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1979年とは

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大相撲優勝力士一覧(おおずもうゆうしょうりきしいちらん)とは現在成績と番付がたどれる江戸時代からの江戸相撲本場所の幕内最高成績力士の一覧である。. 131 関係: 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 、 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、。 千代の富士 貢(ちよのふじ みつぐ、1955年6月1日 - 2016年7月31日)は北海道松前郡福島町出身の元大相撲力士。 第58代横綱。 本名・秋元 貢(あきもと みつぐ)。 血液型はA型。. 新しい!! 大相撲などにおいて多く用いられる。 相撲は個人の実力とほぼ同程度にこの合口が影響する競技となる。 大相撲において番付下位の力士にこの合口が味方する組み合わせの場合、勝敗がほぼ互角でどちらが上位かわからないような対戦成績になったり、下位が大きく勝ち越すといったことまで起こる。 逆に上位に合口が味方する組み合わせの場合、10回20回と対戦を重ねても1回も勝たせない一方的な対戦となることさえある。 最高位で見ると上位が横綱で下位が関脇という組み合わせに最も多いのだが、稀に番付が同じ組み合わせの例もある。 ただし、組み合わせによっては一方がこれを克服し関係が逆転することもある。. 新しい!! 最高位は西関脇(1983年(昭和58年)11月場所)。 現役時代の体格は179cm、139kg。 本名は黒谷 昇(くろたに のぼる)。 得意手は右四つ、寄り、上手出し投げベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ 5 時津風部屋』p28。 現在は、年寄・鏡山である。. 新しい!! 第62代横綱。 本名は青木 康(あおき やすし)ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ 2 ニ所ノ関部屋』p23。. 新しい!! 新しい!! 幕内最高優勝は、横綱・白鵬翔(13勝2敗・3場所連続9回目)。. 新しい!! 幕内最高優勝は、横綱・白鵬翔(14勝1敗・3場所連続6回目). 新しい!! 幕内最高優勝は大関・琴欧洲勝紀(14勝1敗・初)。. 新しい!! 幕内最高優勝は横綱・白鵬翔(15戦全勝・3場所ぶり7回目)。. 新しい!! 幕内最高優勝は横綱・白鵬翔(14勝1敗・2場所連続8回目)。. 新しい!! 幕内最高優勝は横綱・白鵬翔(15戦全勝・12回目)。. 新しい!! 幕内最高優勝は横綱・朝青龍明徳(14勝1敗・23回目)。. 新しい!! 幕内最高優勝は、横綱・白鵬翔(15戦全勝・2場所ぶり10回目)。. 新しい!! 幕内最高優勝は大関・日馬富士公平(14勝1敗・初)。. 新しい!! 幕内最高優勝は横綱・白鵬翔(14勝1敗・11回目)。. 新しい!! 幕内最高優勝は横綱・朝青龍明徳(14勝1敗・24回目)。. 新しい!! 幕内最高優勝は横綱・白鵬翔(14勝1敗・5場所連続17回目)。. 新しい!! 幕内最高優勝は横綱・朝青龍明徳(13勝2敗・25回目)。. 新しい!! 幕内最高優勝は横綱・白鵬翔(15戦全勝・13回目)。. 新しい!! 幕内最高優勝は横綱・白鵬翔(15戦全勝・2場所連続14回目)。. 新しい!! 幕内最高優勝は横綱・白鵬翔(15戦全勝・3場所連続15回目)。. 新しい!! 幕内最高優勝は横綱・白鵬翔(全勝・4場所連続16回目)。. 新しい!! 幕内最高優勝は横綱・白鵬翔(14勝1敗・2場所連続21回目)。. 新しい!! 幕内最高優勝は横綱・白鵬翔(14勝1敗・6場所連続18回目)。. 新しい!! 幕内最高優勝は大関・日馬富士公平(14勝1敗・13場所ぶり2回目)。. 新しい!! 幕内最高優勝は横綱・白鵬翔(13勝2敗・20回目)。. 新しい!! 幕内最高優勝は、横綱・白鵬翔(14勝1敗・23回目). 新しい!! 幕内最高優勝は、大関・把瑠都凱斗(14勝1敗・初). 新しい!! 幕内最高優勝は、横綱・白鵬翔(13勝2敗・22回目)。. 新しい!! 幕内最高優勝は、前頭7枚目・旭天鵬勝(12勝3敗・初). 新しい!! 幕内最高優勝は、大関・日馬富士公平(15戦全勝・6場所ぶり3回目). 新しい!! 幕内最高優勝は、大関・日馬富士公平(15戦全勝・2場所連続4回目). 新しい!! 幕内最高優勝は、横綱・日馬富士(15戦全勝・5回目). 新しい!! 幕内最高優勝は、横綱・白鵬翔(14勝1敗・4場所連続32回目)。. 新しい!! 幕内最高優勝は横綱・白鵬翔(14勝1敗・2場所ぶり29回目)。. 新しい!! 幕内最高優勝は横綱・白鵬翔(13勝2敗・2場所連続30回目)。. 新しい!! 幕内最高優勝は横綱・白鵬翔(14勝1敗・3場所連続31回目)。. 新しい!! 幕内最高優勝は、横綱・日馬富士公平(13勝2敗・12場所ぶり7回目). 新しい!! 幕内最高優勝は横綱・白鵬翔(14勝1敗・6場所連続34回目)。. 新しい!! 幕内最高優勝は関脇・照ノ富士春雄(12勝3敗・初)。. 新しい!! 幕内最高優勝は横綱・白鵬翔(14勝1敗・2場所ぶり35回目)。. 新しい!! 幕内最高優勝は、横綱・鶴竜力三郎(12勝3敗・9場所ぶり2回目)。. 新しい!! 幕内最高優勝は横綱・鶴竜力三郎(14勝1敗・7場所ぶり3回目)。. 新しい!! 幕内最高優勝は大関・琴奨菊和弘(14勝1敗・初優勝)。. 新しい!! 幕内最高優勝は横綱・白鵬翔(14勝1敗・4場所ぶり36回目)。. 新しい!! 幕内最高優勝は横綱・白鵬翔(15戦全勝・2場所連続37回目)。. 新しい!! 幕内最高優勝は横綱・日馬富士公平(13勝2敗・4場所ぶり8回目)。. 新しい!! 幕内最高優勝は大関・豪栄道豪太郎(15戦全勝・初優勝)。. 新しい!! 幕内最高優勝は、横綱・白鵬翔(14勝1敗・2場所ぶり40回目)。. 新しい!! 幕内最高優勝は、大関・稀勢の里寛(14勝1敗・初). 新しい!! 幕内最高優勝は、横綱・稀勢の里寛(13勝2敗・2場所連続2回目). 新しい!! 幕内最高優勝は、横綱・白鵬翔(15戦全勝・6場所ぶり38回目). 新しい!! 興行場所は愛知県体育館。. 新しい!! 興行場所は両国国技館。 幕内最高優勝は、横綱・日馬富士公平(11勝4敗・7場所ぶり9回目). 新しい!! 大相撲平成30年1月場所 幕内最高優勝は、前頭3枚目・栃ノ心剛史(14勝1敗・1回目)。. 新しい!! 幕内最高優勝は横綱・鶴竜力三郎(13勝2敗・8場所ぶり4回目)。 大相撲平成30年3月場所. 新しい!! 第48代横綱。 本名は納谷 幸喜(なや こうき)であるが、一時期は母親の再婚によって住吉 幸喜(すみよし こうき)と名乗っていたこともあった。. 新しい!! sumogames. aspx? 新しい!! 本名は一宮章(旧姓は渡辺)。 身長175cm、体重136kg。 得意手は突き、押し。 最高位は東小結。 長男はプロレスラーの一宮章一。 次男は元横綱朝青龍マネージャーの一宮章広。 その風貌と優しく穏やかな性格から「平和ちゃん」の愛称で親しまれたベースボールマガジン社『大相撲戦後70年史』25ページベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ 3 高砂部屋』p20。. 新しい!! 現在はKONISHIKI(コニシキ)の芸名でタレント活動を行っている。 他に子供向け教育番組などでコニちゃんの芸名を使用することもある。 本名の旧姓は塩田、米国籍時代の本名はサレバ・ファウリ・アティサノエ Saleva'a Fuauli Atisano'e。 帰化以前の大相撲時代にはサレバ・アティサノエと記載されたこともある。 愛称はサリー、コニちゃん、黒船。 現在の体格は身長184cm、体重153kg。 血液型はAB型、星座は山羊座。 関取時代のプロフィールは、身長187cm、体重275kg(最重量時は285kg)。 ロンドン巡業では当時大相撲史上最重量の巨体を形容する「ダンプトラック」の異名が与えられた。 得意手は突き、押し、きめ出し。 最高位は東大関(外国出身初)。 横綱を含む幕内力士としては3人目の小錦、十両以下を含めては6人目の小錦である。 生粋のハワイアンではなく、両親はサモアからの移民(ただしポリネシア人の身体形質・言語上の同質性は極めて高い)でサモア系アメリカ人でもある。 10人兄弟姉妹の8番目(上から6人はサモア生まれ、小錦含む下の3人はハワイ生まれ、1人は従姉妹)。 兄にアントニオ猪木と格闘技戦で戦ったこともあるアノアロ・アティサノエ。 親族の中にアメリカのgangsta rapグループ、Boo Yaa T. のメンバーがいる。. 新しい!! sumogames. aspx? 新しい!! 四股名は他に温海嶽(あつみだけ)、鶴ヶ嶽(つるがたけ)、常山(つねやま)、花頂山(かちょうざん)。 幕内では花頂山が一番長く、錦絵や史跡でもその名で呼ばれることが多い。 最高位は大関だが、病のため実際に土俵をつとめたのは関脇まで。 身長176cmと伝わる。 雷電爲右エ門に2度勝った唯一の力士として知られる。. 新しい!! 第57代横綱。 本名は石山 五郎(いしやま ごろう)。 現役引退後は年寄として後進の指導に尽くし、日本相撲協会の理事長職も務めた。 また、相撲博物館の館長職にも就いている。. 新しい!! 十両の上。. 新しい!! 特に明記のない場合1909年(明治42年)6月場所の優勝額贈呈開始によって、現在の個人優勝制度が確立して以降のもの。. 新しい!! かつては簡素なものであったが時代とともに賞品の数が増え、現在では20種類以上の表彰が行われ時間も40分以上かかる。 また優勝賞品は、開催地自治体からのものなど各場所によって多少異なる場合がある。 なお、土俵上は女人禁制であるため、授与する人物は男性に限定される。 天皇賜杯を筆頭とする優勝賞品のトロフィーは、本場所開催中入り口付近に展示され来場者の目を楽しませている。. 新しい!! sumogames. aspx? 新しい!! 第50代横綱。 本名は市川(旧姓:佐々田)晋松(いちかわ しんまつ)。. 新しい!! 第52代横綱。 本名は竹澤 勝昭(たけざわ かつあき)得意技は突っ張り、左四つ、寄り、上手投げ、外掛け。. 新しい!! 第55代横綱。 本名は小畑 敏満(おばた としみつ)。 血液型はAB型。 元日本相撲協会理事長(第9代、第12代)。 息子は俳優の北斗潤。. 新しい!! 北海道広尾郡広尾町生まれ。 現役時代の体格は身長181cm、体重150kg。 得意技は押し、左四つ、寄り。 愛称は本名の「ほし」に由来する「ポチ」、海外公演で付けられた「ブルドッグ」。 「花のサンパチ組」(昭和38年生まれ)の一人。 血液型はA型。 現在は、年寄・八角 信芳(はっかく のぶよし)として八角部屋(高砂一門)の師匠。 第13代日本相撲協会理事長 朝日新聞 2015年12月18日閲覧。. 新しい!! 各横綱の成績・人物等については各横綱の項を参照。 北海道出身の横綱は8人で全都道府県中最多であるが、北勝海の引退を最後に北海道出身の横綱はもとより大関も誕生しておらず、北海道相撲界の地盤低下を心配する声も聞かれる。. 新しい!! 日本駐箚エストニア特命全権大使。 オーストリア駐箚エストニア特命全権大使、外務省儀典局局長、ハンガリー駐箚エストニア特命全権大使、リーギコグ事務局外国関係局議長相談役などを歴任した。. 新しい!! 日本では、大相撲の幕内最高優勝力士表彰の際の活躍で広く知られた。. 新しい!! 狭義には、市場経済において「自由競争による地元勢の淘汰」を表す用語である。 特に、市場開放により外資系企業により国内系企業が淘汰されてしまうことをいう。 ウィンブルドン効果とも呼ばれる。. 新しい!! この名称は、「gas(ガス)」とアルコールやフェノール類の接尾辞であるolと不飽和炭化水素の接尾辞であるineに由来する。 ガソリンは代表的な液体燃料である。 米国ではガスと呼ばれることが多く、燃料切れを意味するガス欠はこれに由来する。 日本の法令などでは揮発油(きはつゆ)と呼ばれる場合がある。. 新しい!! 新しい!! 新しい!! 現役時代の最高位は東大関。 現在は年寄・大鳴戸。. 新しい!! かつて部屋から育った横綱や大関、あるいは関脇以下でも幕内最高優勝を経験する等名力士と呼ばれた者、歴史ある部屋では歴代の師匠の四股名が主に該当する。 特に一時代を築いた横綱や部屋の開祖あるいは中興の祖と呼ばれる親方の名前はその部屋の出世名の筆頭とされることも多い。 番付や実績では若干不足と思われる力士であっても所属部屋や年寄名跡の後継者と決定したことにより襲名される例もある。 平成以降は返上や襲名辞退が多くなり、さらに同10年代以降は新興部屋の増加とそれに伴う伝統部屋の衰退もあり、血縁関係による襲名を除けばこうした四股名を名乗る力士はほぼ皆無となっている。 また行司においても出世名は存在し、主に歴代立行司が前名として名乗ったもの、あるいは立行司名に次ぐような地位と歴史ある名跡が該当する。 こちらの詳細は行司の項目を参照。. 新しい!! 1984年に発売された。 1994年には、X68000でビデオゲームアンソロジーVol. 5(エキサイティングアワーと合同で)として発売され、2015年1月22日には、PlayStation 4のアーケードアーカイブスシリーズの一環として配信された。. 新しい!! 新しい!! 試合そのものは個人戦であり、その個人戦の成績をチームで総合し勝敗が決まる。 チーム対チームで戦うものは集団競技であって団体戦とは呼ばないが、集団競技を団体戦的に行うことは可能である(各国のクラブチームの5チーム一組での対抗試合、など。 ただし実例はほとんどない)。 また、オリンピックのように、個人戦の集積ではあっても総合優勝が発表・表彰されないものも団体戦とはいわない。. 新しい!! 第51代横綱。 得意技は突っ張り、右四つ、寄り、吊り、上手投げベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ 2 ニ所ノ関部屋』p22。. 新しい!! 第32代横綱。 本名は西ノ内 彌寿喜(にしのうち やすき)。. 新しい!! 本名は中山 浩一(なかやま こういち)。 江東区立深川第二中学校卒業。 最高位は東大関。 現役時代の体格は身長183cm、体重173kg。 得意手は左四つ、寄り。 現在は年寄・尾車。 愛称は「ペコちゃん」ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ 2 ニ所ノ関部屋』p23。. 新しい!! 佐渡ヶ嶽部屋所属。 本名は松澤英行。 最高位は東関脇。 現役時代の体格は身長177cm、体重144kg。 得意技は突き、押し、右四つ、寄り、もろ差し、掬い投げ。 現在は年寄・朝日山。. 新しい!! 本名は森脇 幸太郎。 初代緋縅力弥と養子縁組した。 身長176cm、体重148kgの太鼓腹が持ち味だった。 京都府(旧山城国)出身。 最高位は西大関。 平戸藩のお抱え力士だった。 1817年10月初土俵。 1823年2月十両昇進。 10月場所で、養父の四股名を引き継いで2代目・緋縅力弥となった。 1824年1月新入幕。 入幕2場所目の1824年10月場所では大関源氏山吉太夫,関脇小柳(後の手柄山繁右エ門)を破って8勝1敗1休の優勝次点の好成績を残した。 1828年は飛躍の年となり、3月場所では7勝1敗2休,10月場所では8勝2休の成績で2場所連続優勝相当成績を挙げた。 しかし、稲妻雷五郎(後の第7代横綱)が大関にいたため、中々関脇から昇進できず9場所も留め置かれるなど、番付運に恵まれなかった。 1833年10月場所、漸く大関に昇進。 しかし大関時代は怪我で出場することができなかった。 後に関脇に戻って現役生活を続けていたが、1836年2月場所終了後の8月5日、現役中のまま38歳で死去した。 幕内通算20場所 88勝29敗54休5分11預1無の成績を残した。 また優勝相当成績は2回(1828年3月、10月場所)ある。 阿武松緑之助(第6代横綱)、稲妻と並んで「文政角界の三傑」と謳われた名力士だった。 新しい!! 新しい!! 第38代横綱。 本名は菅 萬藏(すが まんぞう)で、のちに大野 萬蔵(おおの まんぞう)となるベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ 4 立浪部屋』p30。. 新しい!! 新しい!! 各横綱の成績・人物等については各横綱の項を参照。 青森県出身の横綱は6人で全都道府県中2番目 1番は北海道 であるが、旭富士の引退を最後に青森県出身の横綱は20年近く誕生していない。. 新しい!! 現役時は二子山部屋所属であった。 最高位は東大関。 本名は花田 満(はなだ みつる)。 身長183cm、体重114kg、血液型はB型。 得意技は左四つ、寄り、吊り、上手投げ。 「土俵の鬼」と謳われた第45代元横綱・初代若乃花の弟という血筋のよさに加え、細身で均整のとれた体格と甘いマスクから、角界のプリンスと呼ばれた。 大相撲の歴史上、また日本のスポーツ史上屈指の人気を誇った。 位階は従五位旭日小綬章受章。 1993年1月場所後に次男の花田光司が四股名を「貴花田」から「貴ノ花」に変え、そして1994年11月以降の四股名であり後に一代年寄名跡となった「貴乃花」にして以降は、父の方は「初代貴ノ花」または「先代貴ノ花」と呼ばれている。. 新しい!! 最高位は東大関。 本名は浪岡貞博(なみおか ただひろ)。 現役時代の体格は身長196cm、体重175kg、血液型はO型、愛称は「貴にょ浪」(由来はやくみつるの4コマ漫画から)。 角界では「浪大関」「浪関」と呼ばれていた。 趣味は釣り。. 新しい!! sumogames. aspx? 新しい!! 本名は吉永 一美(よしなが かずみ)。 最高位は東大関。 現役時代の体格は身長187cm、体重132kg。 得意手は左四つ、寄り、吊り、出し投げ。 現在は陸奥親方ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ 5 時津風部屋』p28。. 新しい!! 本名、天野久富。 実弟の稲妻咲右エ門も大関で、大相撲史上初の兄弟幕内力士でもある。. 新しい!! 現役時代の体格は身長183cm、体重128kg。 得意手は左四つ、寄り、掬い投げ。 最高位は東関脇。 一時期、四股名を長谷川 戡洋(はせがわ かつひろ)としていた時期もあった。 叔父に大相撲の八百長告発手記を発表した経験のある四季の花範雄がいる。. 新しい!! 最高位は東大関。 身長188cm、体重125kg。 本名は日高六男(ひだか むつお)。 現在は年寄・12代二所ノ関。 夫人は、自身と同じ鹿児島県出身の元アイドル歌手だった高田みづえ(若嶋津が幕内に昇進した頃に雑誌のインタビューで「理想の女性は」と聞かれてみづえ夫人の名を出していた。 それから4年ほど後に実際に結婚することとなる)。 南国出身の精悍な顔立ちで、「南海の黒豹(クロヒョウ)」の異名で呼ばれ、当時人気だった少年漫画『キャプテン翼』の登場人物の名前にも起用されるなど、人気の高い力士だった。. 新しい!! 引退後は年寄・間垣。 師匠であった初代若乃花の娘婿となったが、後に離婚。 大関時代までの四股名は「若三杉」だったが、横綱昇進を機に師匠の四股名「若乃花」を継承した(大関まで名乗った若三杉も当時部屋付きだった荒磯親方、元関脇若三杉彰晃の四股名を継承したものである)。 青森県南津軽郡大鰐町出身。 身長187cm、体重133kg。 血液型はA型。 現役時代の愛称は下の名前の勝則から「カンボ」と呼ばれていた。. 新しい!! 最高位は東小結(1968年5月場所)。 本名は冨山 順(とみやま じゅん)。 現役時代の体格は178cm、103kg。 得意手は左四つ、寄り、吊り、うっちゃり ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ 4 立浪部屋』p24。 引退後は、年寄・大鳴戸から同・玉垣を襲名した。. 新しい!! 現在はオフィス北野に所属しタレント及び格闘家として活動している。 血液型はA型。 単に把瑠都またはカタカナでバルトとも表記される。 スウェーデン系エストニア人。 「把瑠都 凱斗」は力士時代の四股名であり、「把瑠都」は母国エストニアが面するバルト海から北辰堂出版『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(塩澤実信、2015年)216ページから217ページ、「凱斗」は本名Kaido(カイド)の音に、日本で素晴らしいものをつかみ母国に「凱旋」してほしいという願いを込めた漢字をあてて、三保ヶ関親方が名づけた。 大相撲力士としては三保ヶ関部屋に入門、その後尾上部屋に所属。 史上初のエストニア出身力士。 最高位は東大関、得意技は右四つ・左四つ・寄り・投げ・吊りであった。 2012年1月場所に初めての幕内最高優勝を成し遂げ、一時綱獲りに挑んだこともあったが、故障などが響いてその年の11月場所限りで大関から陥落、番付を下げた末に2013年9月場所前に十両の地位で現役引退となった。. 新しい!! 第47代横綱。 本名は富樫 剛(とがし つよし)ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ 5 時津風部屋』p28。. 新しい!! 身長177cm、体重110kg。 得意技は左四つ、寄り、上手出し投げ、両前褌、足癖。 本名は花田 茂廣(はなだ しげひろ)。 花田という苗字で同じ青森津軽地方出身であるが、初代若乃花、貴ノ花との血縁はない。 年寄・春日野時代、姓を『宮古』とするが停年(定年)退職後は再び花田に戻した。 2018年5月現在存命中の歴代横綱の中では最も古い代の横綱である。. 新しい!! 現在は年寄・14代玉ノ井。 最高位は東大関、現役時代の体格は身長180cm、体重155kg。 得意手は、おっつけ、ハズ押し、叩き、いなし、右四つ、寄り、上手出し投げ。 本名は志賀 太祐(しが だいすけ)、血液型はA型、星座は蠍座。 趣味は若い頃はラジコン、大関昇進後はゴルフ。. 新しい!! 最高位は東大関。 本名は尾曽武人(おそ たけひと)。 身長184cm、体重177kg。 現在は年寄・藤島、得意手は突き、押し、突き落とし、巻き落とし、左四つ、寄り。 趣味は釣り。 新しい!! 第67代横綱。 本名同じ、旧名・米国名:フィアマル・ペニタニ(Fiamalu Penitani)。 身長192cm、体重235kg。 現在は年寄・武蔵川。 得意手は、突き、押し、右四つ(かつては左四つ)、血液型はA型、8人兄弟の4番目、趣味はゲーム、音楽鑑賞。 愛称は「マル」、「角界の西郷隆盛(西郷どん)」。 2008年(平成20年)4月にフラダンス教室経営の女性と結婚、同年8月23日に故郷のハワイで挙式。 2014年(平成26年)6月28日には第1子となる長男が誕生。. 新しい!! 最高位は東大関。 本名は佐藤 忠雄(さとう ただお)。 現役時代の体格は182cm、133kg。 得意手は左四つ、寄り、押しベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ 4 立浪部屋』p30。 元十両・玉ノ国、元関脇・玉乃島の兄弟は甥。 長男嘉由生は2009年3月に落語家の林家木久扇に入門して林家木りん(はやしや きりん)の名前を貰う。. 新しい!! 現役時代の体格は身長189cm、体重145kg。 得意技は左四つ、寄り。. 新しい!! 最高位は東大関。 現在は年寄・7代高砂浦五郎。 本名は長岡 末弘(ながおか すえひろ)、現役時代の体格は身長183cm、体重183kg。 得意手は突き、押し、左四つ、寄り。. 新しい!! 力士にとっては技量審査の性質があり、本場所での結果に基づき番付の昇降や力士褒賞金の加算が行われる。 本場所における取組は公式戦とされ、通算の成績などは本場所のものを採用している。. 新しい!! 掲載範囲は、日本相撲協会による本場所および協会の直接の源流である江戸(東京)相撲、江戸時代は共に隆盛を誇った京都相撲、大坂(大阪)相撲の本場所である。. 新しい!! 本名は芳野 金治。 身長、体重は不明だが色黒で中背だったと伝わる。 現在の千葉県安房郡(旧・安房国平郡)出身。 最高位は西前頭2枚目。 1761年10月初土俵(三段目とも四段目〈序二段クラスか〉とも伝わる)、1765年10月十両昇進、その場所7戦全勝を達成した。 1770年3月新入幕を果たした。 1771年10月場所では、7勝1敗で優勝相当成績となっている。 しかし、1773年3月場所後の5月30日、巡業先の大坂にて死去。 生年不明だが、初土俵から逆算すると30代で亡くなったと推算される。 通算 3場所 15勝6敗1預1無1休の成績を残した。 優勝相当成績2回(十両時代の1765年10月、幕内で1771年10月)。 しかし番付運が大変悪く、優勝した翌場所はいずれも番付が下がる,十両では負け越しが無かった(4勝4敗はあった)にも関わらず入幕まで4年半(9場所)かかるなど悲運の力士でもあった。 これは、まだ江戸時代には番付制度が確立されていなかった事や江戸時代(特に18世紀)の相撲の記録が散逸している事などが原因である。 化粧廻しが現存しており、最古の物だと言われている。 新しい!! 現在は年寄・11代友綱を襲名し友綱部屋の師匠として後進の指導に当たっているベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ 4 立浪部屋』p29。 愛称は「テンホー」(四股名に由来)。 37歳で史上最年長初優勝を果たし、40歳になって以降も幕内力士として活躍したことから、マスコミでは「角界のレジェンド」とも形容されていた。 現役時代の体格は身長191cm・体重161kgで、長身による懐の深さを生かした取り口で知られた。 得意手は右四つ、寄り。 最高位は西関脇(2003年7月場所・11月場所、2004年5月場所)。. 新しい!! 本名は杉野森 正也(すぎのもり せいや)。 現役時代の体格は身長189cm、体重143kg。 得意技は右四つ、寄り、掬い投げ。 現在は年寄・9代伊勢ヶ濱親方。 元日本相撲協会理事日馬富士が起こした傷害事件の監督責任を取り、2017年12月20日理事を辞任。 親方として参照。。 血液型はB型、趣味は音楽鑑賞、映画鑑賞。 近畿大学を中途退学して入門後、同大学通信教育課程に再度入学し卒業。. 新しい!! 第64代横綱。 のちにプロレスラー、総合格闘家、タレントに転向。 格闘技・プロレス分野では曙(あけぼの)のリングネームで活動している。 2016年現在、東関部屋の師範代もつとめている。 本名同じ(1996年4月22日に日本国籍を取得)。 旧名・米国名: チャド・ジョージ・ハヘオ・ローウェン(Chad George Haaheo Rowan)。 ハワイ・パシフィック大学中退。 日本人以外で初の横綱。 プロ野球・横浜大洋ホエールズ(現:横浜DeNAベイスターズ)に所属していたジョーイ・マイヤーは従兄弟に当たる。. 新しい!! 新しい!! 新しい!! 新しい!! 新しい!! 翌31日、師匠の尾車浩一親方が日本相撲協会に同力士の引退届を提出。. 新しい!! また、今回の処分で謹慎となった理事長武蔵川晃偉の代行として、外部理事の村山弘義(元東京高等検察庁検事長)が名古屋場所終了後まで務めることも併せて決議した。. 新しい!! また、フジテレビは2月6日に開催予定であった『日本大相撲トーナメント』の開催並びに中継を中止することを発表した。. 新しい!! 新しい!! 新しい!! 新しい!! 新しい!! 新しい!! 新しい!! 新しい!! 新しい!! ユニオンペディアは百科事典や辞書のように組織化概念地図や意味ネットワークです。 これは、それぞれの概念との関係の簡単な定義を与えます。 これは、概念図の基礎となる巨大なオンライン精神的な地図です。 これを使うのは無料で、各記事やドキュメントをダウンロードすることができます。 それは教師、教育者、生徒や学生が使用できるツール、リソースや勉強、研究、教育、学習や教育のための基準、です。 学問の世界のための:学校、プライマリ、セカンダリ、高校、ミドル、大学、技術的な学位、学部、修士または博士号のために。 論文、報告書、プロジェクト、アイデア、ドキュメント、調査、要約、または論文のために。 ここで定義、説明、またはあなたが情報を必要とする各重要なの意味、および用語集などのそれに関連する概念のリストです。 日本語, 英語, スペイン語, ポルトガル語, 中国の, フランス語, ドイツ語, イタリア語, ポーランド語, オランダ語, ロシア語, アラビア語, ヒンディー語, スウェーデン語, ウクライナ語, ハンガリー語, カタロニア語, チェコ語, ヘブライ語, デンマーク語, フィンランド語, インドネシア語, ノルウェー語, ルーマニア語, トルコ語, ベトナム語, 韓国語, タイ語, ギリシャ語, ブルガリア語, クロアチア語, スロバキア語, リトアニア語, フィリピン人, ラトビア語, エストニア語 と スロベニア語で利用できます。 すぐにその他の言語。 すべての情報は、から抽出し、それがクリエイティブで利用することができます。 Google Play、Android および Google Play ロゴは、Google Inc. の商標です。

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>相撲という職業の出身県別有名人 このサイトに登録されている有名人の数:70,856人 このサイトに登録されている有名人の「相撲」という職業とその関係者の有名人の数:1,266人 スポンサーリンク 北海道 1 矢後太規 北海道 芽室町 矢後 太規(やご たかのり、1994年7月8日 - )は、北海道河西郡芽室町出身で尾車部屋所属の現役大相撲力士。 本名同じ。 身長187cm、体重178kg、血液型はA型。 最高位は西前頭10枚目(2019年3月場所)。 取り口は左四つ、寄り。 取り口を参考にしている力士、目標とする力士は元横綱稀勢の里。 2 一山本大生・・・元役場職員・大相撲十両 北海道 福島町 一山本 大生(いちやまもと だいき、1993年10月1日 - )は、北海道岩内郡岩内町出身で、二所ノ関部屋所属の現役大相撲力士。 本名は山本 大生(やまもと だいき)。 身長186cm、体重128kg、血液型はB型。 最高位は東十両9枚目(2019年9月場所)。 3 一山本大生 北海道 岩内町 一山本 大生(いちやまもと だいき、1993年10月1日 - )は、北海道岩内郡岩内町出身で、二所ノ関部屋所属の現役大相撲力士。 本名は山本 大生(やまもと だいき)。 身長186cm、体重128kg、血液型はB型。 最高位は東十両9枚目(2019年9月場所)。 4 旭大星託也 北海道 旭川市 旭大星 託也(きょくたいせい たくや、1989年10月18日 - )は、北海道旭川市出身で、友綱部屋(入門時は大島部屋)所属の現役大相撲力士。 本名は大串 拓也(おおぐし たくや)。 身長183cm、体重142kg、血液型はB型。 最高位は西十両7枚目(2015年11月場所)。 5 樋口和貞 北海道 紋別市 樋口 和貞(ひぐち かずさだ、1988年10月24日 - )は、日本の男性プロレスラー、元大相撲力士。 DDTプロレスリング所属。 北海道紋別市出身。 6 錦風真悟 北海道 石狩市 錦風 真悟(にしきかぜ しんご、1978年2月14日 - )は、東京都江戸川区出身(後に北海道浜益郡浜益村を経て合併により石狩市に変更)で、尾車部屋に所属していた元大相撲力士。 現在は世話人。 本名は足達 康之。 現役時代の体格は身長179cm、体重147kg、得意技は左四つ、寄り、押し。 最高位は西幕下筆頭(2001年7月場所)。 好物はチョコレート。 7 若天狼啓介 北海道 根室市 若天狼 啓介(わかてんろう けいすけ、1977年10月18日 - )は北海道根室市出身で間垣部屋所属の元大相撲力士。 本名は上河 啓介(かみかわ けいすけ)、愛称はケイスケ。 身長185cm、体重170kg、血液型はAB型。 得意手は突き、押し。 趣味はウエイトトレーニング。 最高位は西十両2枚目(2010年9月場所)。 2011年4月に大相撲八百長問題による引退勧告処分により引退。 8 千代大海龍二 北海道 千歳市 千代大海 龍二(ちよたいかい りゅうじ、1976年(昭和51年)4月29日 - )は、大分県大分市出身(出生地は北海道千歳市)で九重部屋所属の元大相撲力士。 本名は須藤龍二(すどう りゅうじ)、旧姓は廣嶋(ひろしま)。 最高位は東大関。 現在は、年寄・九重(14代)、九重部屋の師匠。 9 北斗龍定裕 北海道 函館市 北斗龍 定裕(ほくとりゅう さだひろ、1971年3月16日 - )は、北海道函館市出身で、北の湖部屋(引退時は山響部屋)所属の元大相撲力士。 本名は丸山 定裕(まるやま さだひろ)。 身長181cm、体重121kg、血液型はO型。 最高位は東三段目53枚目(1995年5月場所)。 10 立洸熊五郎 北海道 斜里町 立洸 熊五郎(たつひかり くまごろう、1969年10月25日 - 2011年2月24日)は、北海道斜里郡斜里町遠音別出身で、かつて立浪部屋に所属した大相撲力士である。 本名は石橋 義光(いしばし よしみつ)。 11 大翔鳳昌巳 北海道 札幌市 大翔鳳 昌巳(だいしょうほう まさみ、1967年5月7日 - 1999年12月4日)は、北海道札幌市豊平区平岸出身で立浪部屋所属の元大相撲力士。 本名は村田 昌巳(むらた まさみ)。 最高位は東小結。 全盛期の体格は187cm、144kg。 得意手は突っ張り、右四つ、上手投げ。 現役時代はその人柄の良さと礼儀正しさで好感力士として知られた。 日本大学出身 12 北勝鬨準人 北海道 帯広市 北勝鬨 準人(きたかちどき はやと、1966年1月1日 - )は北海道帯広市大空町出身の元大相撲力士。 伊勢ノ海部屋所属。 本名は久我 準人(くが はやと)。 身長183cm、体重148kg。 得意手は右四つ、寄り切り。 最高位は西前頭3枚目(1994年3月場所)。 好物は卵焼き、趣味はサッカー観戦。 現・年寄12代伊勢ノ海。 13 琴冠佑源正 北海道 新冠町 琴冠佑 源正(ことかんゆう もとまさ、1966年2月2日 - )は、佐渡ヶ嶽部屋に所属した元大相撲力士。 14 陸奥北海勝昭 北海道 新ひだか町 旧三石町 陸奥北海 勝昭(むつほっかい かつあき、1964年6月24日 - )は北海道三石郡三石町(現:日高郡新ひだか町)出身の元大相撲力士。 現在は世話人。 現役時代は安治川部屋所属、現在は伊勢ヶ濱部屋所属。 本名は本間 勝明(ほんま かつあき)。 身長179cm、体重188kg。 最高位は東十両6枚目(1994年11月場所)。 趣味はパチンコ、血液型A型、星座は蟹座。 15 旭桜隆秀 北海道 旭川市 旭桜 隆秀(あさひざくら たかひで、1964年12月28日 - )は、大島部屋に所属した元力士。 本名は葛西 一雄、北海道旭川市出身。 最高位は東幕下筆頭。 16 北勝海信芳 北海道 広尾町 北勝海 信芳(ほくとうみ のぶよし、本名:保志 信芳(ほし のぶよし)、1963年6月22日 - )は、大相撲の力士で、第61代横綱。 北海道広尾郡広尾町生まれ。 現役時代の体格は身長181cm、体重150kg。 得意技は押し、左四つ、寄り。 愛称は本名に由来する「ポチ」、海外公演で付けられた「ブルドッグ」。 「花のサンパチ組」(昭和38年生まれ)の一人。 血液型はA型。 17 北勝海信芳大相撲力士) 北海道 広尾町 北勝海 信芳(ほくとうみ のぶよし、本名:保志 信芳(ほし のぶよし)、1963年6月22日 - )は、大相撲の元力士。 第61代横綱。 北海道広尾郡広尾町生まれ。 現役時代の体格は身長181cm、体重150kg。 得意技は押し、左四つ、寄り。 愛称は本名の「ほし」に由来する「ポチ」、海外公演で付けられた「ブルドッグ」。 「花のサンパチ組」(昭和38年生まれ)の一人。 血液型はA型。 18 森乃里治重 北海道 森町 森乃里 治重(もりのさと はるしげ、1963年7月26日 - )は北海道茅部郡森町出身の元大相撲力士。 立田川部屋所属。 本名は高道 治(たかみち おさむ)。 身長178cm、体重148kg。 得意手は突き、押し。 最高位は十両9枚目。 本名の高道で取っていた期間も長い。 19 北吹雪弘士 北海道 旭川市 北吹雪 弘士(きたふぶき ひろし、1963年10月28日 - )は、立浪部屋に所属した元力士。 本名は伊藤 広泰(いとう ひろやす)、北海道旭川市出身。 182cm、128kg、最高位は東十両9枚目(1987年11月場所)。 20 大乃国康 北海道 芽室町 大乃国 康(おおのくに やすし、1962年10月9日 - )は、北海道河西郡芽室町出身の元大相撲力士。 第62代横綱。 本名は青木 康(あおき やすし)。 21 騏ノ嵐和敏 北海道 夕張市 騏乃嵐 和稔(きのあらし かずとし、1961年7月6日 - )は、北海道夕張市出身で、押尾川部屋に所属した大相撲力士。 本名は石山 和敏(いしやま かずとし)。 身長183cm、体重162kg。 得意手は右四つ、寄り。 最高位は東前頭2枚目(1982年11月場所)。 血液型はB型。 22 北天佑勝彦 北海道 室蘭市 北天佑 勝彦(ほくてんゆう かつひこ、本名:千葉 勝彦(ちば かつひこ)、1960年8月8日 - 2006年6月23日)は、北海道室蘭市出身で三保ヶ関部屋所属の元大相撲力士。 最高位は東大関。 後の年寄・二十山。 現役時代の体格は身長183cm、体重149kg。 実弟も角界入りし、九重部屋で、富士昇の四股名で三段目まで昇進した。 血液型はO型、趣味はゴルフ、水墨画。 またその端整なマスクから女性からの人気が高く、当時としては珍しく女性ファンから黄色い声援が上がっていた。 23 富士の里昇 北海道 今金町 富士の里 昇(ふじのさと のぼる、1959年10月23日 - )は、九重部屋に所属した元力士。 本名は瀧 文彦(たき ふみひこ)。 北海道瀬棚郡今金町出身。 187cm、125kg。 最高位は東十両13枚目。 得意技は左四つ、寄り、上手投げ。 24 琴千歳幸征 北海道 千歳市 琴千歳 幸征(ことちとせ こうせい、1957年4月22日 - )は、北海道千歳市出身で、1970年代から1980年代にかけて活躍した大相撲力士。 佐渡ヶ嶽部屋に所属していた。 本名は山本 稔(やまもと みのる)。 身長182cm、体重127kg。 得意手は左四つ、突っ張り、寄り。 最高位は東前頭5枚目(1981年9月場所)。 25 佐ノ藤清彦 北海道 別海町 佐ノ藤 清彦(さのふじ きよひこ、1957年5月27日 - )は北海道野付郡別海町出身の元大相撲力士。 鏡山部屋所属。 本名は佐藤 清彦(さとう きよひこ)。 体重178cm、身長118kg。 得意手は左四つ、寄り。 最高位は東十両5枚目(1983年1月場所)。 なお、「彦」の「彡」の部分が「久」であった時期もある。 26 王湖伊津男 北海道 釧路市 王湖 伊津男(おうこ いつお、本名:鈴木 伊津男(すずき いつお)、1956年8月17日 - 2013年4月24日)は、北海道釧路市出身で、友綱部屋に所属した大相撲力士である。 最高位は東前頭14枚目(1982年7月場所)。 現役時代の体格は180cm、154kg。 得意手は左四つ、寄り。 27 千代の富士貢 北海道 福島町 千代の富士 貢(ちよのふじ みつぐ、1955年6月1日 - )は、北海道松前郡福島町出身の元大相撲力士。 第58代横綱。 本名は秋元 貢(あきもと みつぐ)。 血液型はA型。 28 千代の富士貢大相撲第58代横綱 北海道 福島町 千代の富士 貢(ちよのふじ みつぐ、1955年6月1日 - 2016年7月31日)は1980年代から1990年代初頭にかけて活躍した大相撲力士。 北海道松前郡福島町出身。 第58代横綱。 昭和最後の優勝力士。 本名・秋元 貢(あきもと みつぐ)。 血液型はA型。 29 琴若央雄 北海道 増毛町 琴若 央雄(ことわか ちかお、1954年4月7日 - )は、北海道増毛郡増毛町雄冬出身で、1970年代に活躍した大相撲力士。 佐渡ヶ嶽部屋に所属していた。 本名は香島 春男(かしま はるお)。 最高位は東前頭2枚目(1979年1月場所)。 現役時代の体格は197cm、139kg。 得意手は右四つ、上手投げ、突っ張りなど。 30 北の湖敏満 北海道 壮瞥町 北の湖 敏満 きたのうみ としみつ、1953年5月16日 - 2015年11月20日 は、北海道有珠郡壮瞥町出身の元大相撲力士。 第55代横綱。 本名は小畑 敏満 おばた としみつ。 血液型はAB型[2]。 日本相撲協会理事長 第9代、第12代。 息子は俳優の北斗潤。 31 琴ヶ嶽綱一 北海道 弟子屈町 琴ヶ嶽 綱一(ことがたけ こういち、 1952年9月24日 - )は、北海道川上郡弟子屈町出身で、1970年代半ばに活躍した大相撲力士。 佐渡ヶ嶽部屋に所属していた。 本名は竹内 孝一(たけうち こういち)。 最高位は西前頭筆頭(1977年5月場所)。 現役時代の体格は186cm、114kg。 得意手は左四つ、吊り。 32 琴乃富士太喜 北海道 留寿都村 琴乃富士 宗義(ことのふじ むねよし、1951年11月7日 - )は、北海道虻田郡留寿都村出身で、1970年代半ばから1980年代初めにかけて活躍した大相撲力士。 佐渡ヶ嶽部屋に所属していた。 最高位は東前頭5枚目(1975年11月場所)。 本名は藤沢 宗義(ふじさわ むねよし)。 現役時代の体格は181cm、140kg。 得意手は右四つ、寄り。 33 貴ノ山英二 北海道 根室市 貴ノ山 英二(たかのやま えいじ、1951年6月1日 - )は、二子山部屋に所属した元力士。 本名は田村 英二(たむら えいじ)。 現在の北海道根室市出身。 181cm、95kg。 最高位は西十両11枚目。 得意技は左四つ、上手投げ。 34 大受久晃 北海道 せたな町(旧瀬棚町) 大受 久晃(だいじゅ ひさてる、1950年3月19日 - )は、北海道瀬棚郡瀬棚町(現:久遠郡せたな町)出身の元大相撲力士。 本名は堺谷 利秋(さかいや としあき)。 現役時代の体格は身長177cm、 体重151kg。 最高位は東大関。 年寄・朝日山利秋として、朝日山部屋の経営にも携わった。 35 双津竜順一 北海道 室蘭市 双津竜 順一(ふたつりゅう じゅんいち、1950年2月28日 - 2014年8月12日)は北海道室蘭市出身の元大相撲力士。 本名・山本 順一。 時津風部屋所属。 身長185cm、体重171kg。 最高位は東小結(1979年7月場所)。 得意技は右四つ、寄り。 現役時代のニックネームは「象さん」。 後述の理由により、角界追放後は、報道などでは本名の「山本順一」で一般的に紹介されることが多い。 最高位は東前頭5枚目(1977年3月場所)。 現役時代の体格は182cm、107kg。 得意手は左四つ、突っ張り、上手投げ。 37 貴ノ花健士 北海道 室蘭市 貴ノ花 利彰(たかのはな としあき、1950年2月19日 - 2005年5月30日)は、青森県弘前市出身(北海道室蘭市生まれ)の元大相撲力士。 現役時は二子山部屋所属であった。 最高位は東大関。 本名は花田 満(はなだ みつる)。 身長183cm、体重114kg、血液型はB型。 得意技は左四つ、寄り、吊り、上手投げ。 「土俵の鬼」と謳われた第45代元横綱・初代若乃花の弟という血筋のよさに加え、細身で均整のとれた体格と甘いマスクから、角界のプリンスと呼ばれ、大相撲の歴史上、また日本のスポーツ史上屈指の人気を誇ったと言われる。 位階は従五位旭日小綬章受章。 38 金剛正裕 北海道 深川市 金剛 正裕(こんごう まさひろ、1948年11月18日 - 2014年8月12日)は、北海道雨竜郡一已村(現・深川市)出身の元大相撲力士。 本名は北村 正裕(きたむら まさひろ、旧姓:吉沢)。 得意技は右前褌、寄り。 最高位は東関脇。 39 朝登俊光 北海道 夕張市 朝登 俊光(あさのぼり としみつ、1948年6月3日- )は、北海道夕張市出身で、朝日山部屋に所属した大相撲力士。 本名は霜降 利昭(しもふり としあき)。 現役時代の体格は176cm、156kg。 最高位は東前頭2枚目(1970年1月場所)。 得意手は突き、押し。 40 凌駕精考 北海道 下川町 凌駕 精考(りょうが せいこう、1948年1月20日 - )は、1963年から約11年間、大相撲の立浪部屋に所属していた力士である。 本名は白戸 二三男(しらと ふみお)。 現役時代の体格は176cm、138kg。 得意手は左四つ、突き、押し、寄り。 最高位は東前頭13枚目(1973年3月場所)。 北海道上川郡下川町出身。 41 ケンドーナガサキ 北海道 網走市 桜田 一男(さくらだ かずお、1948年9月26日 - )は、日本の元大相撲力士、プロレスラー。 本名(戸籍上の表記)は櫻田 一男(読みは同じ)。 北海道網走市出身。 ケンドー・ナガサキのリングネームで知られる。 42 ロッキー羽田 北海道 厚岸町 ロッキー羽田(ロッキーはた、1948年9月12日 -1991年10月27日 )は、日本の元大相撲力士、元プロレスラー。 北海道厚岸郡出身。 本名は羽田 光男(はた みつお)。 43 力駒雄偉 北海道 小樽市 力駒 雄偉(ちからこま ゆうい、1948年2月28日 - )は、宮城野部屋に所属した元力士。 本名は相馬 雄偉(そうま ゆうい)だったが、相馬 鉄雄(そうま てつお)に改名している。 北海道小樽市出身。 最高位は西十両11枚目。 174cm、115kg。 得意技は押し、右四つ、寄り。 44 桜田一男 北海道 網走市 桜田 一男(さくらだ かずお、1948年9月26日 - )は、日本の元大相撲力士、プロレスラー。 本名(戸籍上の表記):櫻田 一男(読みは同じ)。 ケンドー・ナガサキのリングネームで知られる。 45 旭國斗雄 北海道 愛別町 旭國 斗雄(あさひくに ますお、1947年4月25日 - )は、立浪部屋所属の元大相撲力士。 最高位は東大関。 北海道上川郡愛別町出身で農家の三男として生まれる。 本名は太田 武雄(おおた たけお)、現役時代の体格は身長174cm、体重121kg、血液型はB型。 引退後は長く年寄・大島として大島部屋を経営し、日本相撲協会の理事として巡業部長も務めた。 46 サムソン・クツワダ 北海道 江別市 サムソン・クツワダ(Samson Kutsuwada)こと轡田 友継(くつわだ ともつぐ、1947年5月1日 - 2004年10月12日)は、日本の元大相撲力士、元プロレスラー。 北海道江別市出身。 47 坤龍文一郎 北海道 釧路市 坤龍 文一郎(こんりゅう ぶんいちろう、1946年2月23日 - )は、二所ノ関部屋に所属した元力士。 本名は福本 文一(ふくもと ぶんいち)。 北海道釧路市出身。 175cm、112kg。 最高位は西十両12枚目。 得意技は突き、押し、諸差し、寄り。 身長178cm、体重109kg。 得意手は突き、押し、右四つ。 最高位は西関脇。 拓殖大学第一高等学校卒業。 小柄さと機動型の相撲から土俵のキャッチフレーズが取り分け多かったことで知られており活字になったものだけでも今・牛若丸、チビッコ・ギャング、小さな巨人、鉄腕アトム、土俵のクレイ、ベトコン、忍者、土俵の魔術師など多数確認される[2]。 49 玄武満 北海道 芦別市 玄武 満(げんぶ みつる、1946年5月4日 - )は、北海道芦別市出身の元大相撲力士。 立浪部屋所属。 本名は栗原 満(くりはら みつる)。 最高位は東十両7枚目(1973年5月場所)。 身長175cm、体重123kg。 現タレント。 50 若吉葉重幸 北海道 夕張市 若吉葉 重幸(わかよしば しげゆき、1945年10月26日 - )は、大相撲のかつて宮城野部屋に所属していた力士である。 本名は千葉 重幸(ちば しげゆき)。 北海道夕張市出身。 最高位は西前頭6枚目(1967年11月場所)。 現役時代の体格は177cm、88kg。 得意手は左四つ、足癖、出し投げ。 51 長谷川勝敏 北海道 岩見沢市(旧栗沢町) 長谷川 勝敏(はせがわ かつとし、本名同じ、1944年7月20日 - )は、北海道空知郡栗沢村(現在の岩見沢市)出身(出生地は樺太恵須取支庁恵須取郡珍内町)で佐渡ヶ嶽部屋所属の元大相撲力士。 現役時代の体格は身長183cm、体重128kg。 得意手は左四つ、寄り、掬い投げ。 最高位は東関脇。 一時期、四股名を長谷川 戡洋(はせがわ かつひろ)としていた時期もあった。 52 北の花勝利 北海道 留寿都村 北の花 勝利(きたのはな かつとし、本名:国岡 治美(くにおか はるよし)、1944年5月22日 - )は、1960年から9年間、大相撲の出羽海部屋に所属した北海道虻田郡留寿都村出身の力士。 最高位は東前頭6枚目(1968年9月場所)。 現役時代の体格は175cm、97kg。 得意手は左四つ、寄り。 53 大雪嶺登 北海道 夕張市 大雪 嶺登(だいせつ みねと、本名:秋田 芳夫(あきた よしお)、1944年11月30日 - 1980年4月16日)は、北海道夕張市出身(本籍地は北海道夕張郡由仁町)で、1960年代後半から1970年代初めにかけて活躍した大相撲力士。 宮城野部屋に所属していた。 最高位は東前頭3枚目(1971年7月場所)。 現役時代の体格は183cm、120kg。 得意手は右四つ、投げ、蹴返し。 54 禊鳳英二 北海道 木古内町 禊鳳 英二(みそぎどり えいじ、本名:佐々木 禊(ささき けい)、1943年12月10日 - )は、北海道上磯郡木古内町出身で、1960年代後半に活躍した大相撲力士。 九重部屋(入門時は出羽海部屋)に所属していた。 最高位は東前頭2枚目(1966年11月場所)。 現役時代の体格は181cm、120kg。 得意手は左四つ、寄り、投げ、外掛け。 55 北の富士勝昭 北海道 旭川市(美幌町生まれ、留萌市育ち) 北の富士 勝昭(きたのふじ かつあき、1942年3月28日 - )は、北海道旭川市(出生は網走郡美幌町)出身の元大相撲力士。 第52代横綱。 本名は竹澤 勝昭(たけざわ かつあき)得意技は突っ張り、左四つ、寄り、上手投げ、外掛け。 56 高鐵山孝之進 北海道 小樽市 高鐵山 孝之進(こうてつやま こうのしん、1942年7月9日 - 1996年4月14日)は、北海道小樽市廐町出身で朝日山部屋に所属した大相撲力士。 本名は菅 孝之進(すが こうのしん)。 身長178cm、体重129kg、得意手は左四つ、寄り、押し。 最高位は西関脇(1967年1月場所)。 57 沢光幸夫 北海道 佐呂間町 沢光 幸夫(さわひかり ゆきお、本名:沢向 幸夫(さわむかい ゆきお)、1941年6月18日 - )は、北海道常呂郡佐呂間村(現・同郡佐呂間町)出身で、時津風部屋に所属した大相撲力士。 最高位は東小結(1964年7月場所)。 大相撲の黄金時代のひとつである「柏鵬時代」の中期に、幕内力士として活躍した。 現役時代の体格は173cm、105kg。 得意手は右四つ、突っ張り、寄り。 58 玉嵐孝平 北海道 芽室町 玉嵐 孝平(たまあらし こうへい、1941年8月1日 - 1993年2月28日)は、北海道河西郡芽室町出身で、1960年代に活躍した大相撲力士である。 本名は成田 幸平(なりた こうへい)。 片男波部屋(入門時は二所ノ関部屋)に所属していた。 最高位は東前頭4枚目(1962年11月場所、1963年7月場所、1964年1月場所)。 現役時代の体格は173cm、116kg。 得意手は右四つ、寄り、上手投げ、押し。 59 木村庄之助 32代 北海道 網走市 32代 木村 庄之助(きむら しょうのすけ、本名:澤田 郁也(さわだ いくや)、1941年2月13日 - )は、大相撲の立行司の一人。 木村庄之助としての在位期間は2006年1月〜2006年2月。 出羽海部屋所属。 60 式守伊之助 34代 北海道 赤平市 34代式守 伊之助(しきもり いのすけ、本名:棚田 好男、1941年2月10日 - )は、大相撲の立行司の一人。 式守伊之助としての在位期間は2006年1月〜2006年2月。 61 34代目式守伊之助 北海道 赤平市 34代式守 伊之助(しきもり いのすけ、本名:棚田 好男、1941年2月10日 - )は、大相撲の立行司の一人。 式守伊之助としての在位期間は2006年1月〜2006年2月。 62 ラッシャー木村 北海道 中川町 ラッシャー木村(ラッシャーきむら、1941年6月30日 - 2010年5月24日)は、日本のプロレスラー、大相撲力士。 本名は木村 政雄(きむら まさお)。 北海道中川郡中川町出身。 63 木村庄之助32代 立行司) 北海道 網走市 32代 木村 庄之助(きむら しょうのすけ、本名:澤田 郁也(さわだ いくや)、1941年2月13日 - )は、大相撲の立行司の一人。 木村庄之助としての在位期間は2006年1月〜2006年2月。 出羽海部屋所属。 64 大鵬幸喜 北海道 弟子屈町、樺太生まれ 大鵬 幸喜(たいほう こうき、1940年(昭和15年)5月29日 - 2013年(平成25年)1月19日)は、北海道川上郡弟子屈町川湯温泉(出生地は樺太敷香郡敷香町)出身の元大相撲力士。 第48代横綱。 本名は納谷 幸喜(なや こうき)であるが、一時期は母親の再婚によって住吉 幸喜(すみよし こうき)と名乗っていたこともあった。 65 松前山武士 北海道 松前町 松前山 武士(まつまえやま たけし、本名:渡辺 貞夫(わたなべ さだお)、1940年6月29日 - )は、北海道松前郡松前町出身で、出羽海部屋(のち九重部屋)に所属した大相撲力士。 最高位は東前頭9枚目(1965年5月場所)。 現役当時の体格は173cm、94kg。 得意手は左四つ、ハズ押し、寄り、投げ。 66 木村庄之助 31代 大相撲立 北海道 美瑛町 31代 木村 庄之助(きむら しょうのすけ、本名:阿部 正夫(あべ まさお)、1940年12月3日 - )は、大相撲の立行司の一人。 木村庄之助としての在位期間は2003年5月〜2005年11月。 立浪部屋所属。 67 木村庄之助 31代 北海道 美瑛町 31代 木村 庄之助(きむら しょうのすけ、本名:阿部 正夫(あべ まさお)、1940年12月3日 - )は、大相撲の立行司の一人。 木村庄之助としての在位期間は2003年3月〜2005年11月。 立浪部屋所属。 68 若十勝正雄 北海道 芽室町 若十勝 正雄(わかとかち まさお、1938年10月20日 - )は、花籠部屋に所属した元力士。 本名は高島 正雄(たかしま まさお)。 北海道河西郡芽室町出身。 177cm、83kg。 最高位は東十両10枚目。 得意技は右四つ、寄り。 69 北ノ國仁 北海道 札幌市 北ノ國 仁(きたのくに ひとし、本名:斎藤 仁(さいとう ひとし)、1938年1月15日 - )は、1960年代半ばに活躍した北海道札幌市西区出身の大相撲力士。 立浪部屋に所属していた。 現役時代の体格は178cm、124kg。 得意手は左四つ、寄り。 最高位は東前頭10枚目(1964年7月場所)。 70 栗家山恵三 北海道 日高町(旧門別町) 栗家山 惠三(くりけやま けいぞう、本名:橘井 恵三(きつい けいぞう)、1938年2月15日 - )は、1956年から凡そ8年間、大相撲の佐ノ山部屋・高砂部屋に在籍した北海道沙流郡門別町(現・日高町)富川出身の力士である。 最高位は西前頭5枚目(1962年5月場所)。 現役時代の体格は175cm、88kg。 得意手は左四つ、突っ張り、寄り。 71 明武谷力伸 北海道 釧路市(旧阿寒町) 明武谷 力伸(みょうぶだに りきのぶ、1937年4月29日 - )は、北海道阿寒郡阿寒町(現:北海道釧路市)出身の元大相撲力士。 本名は明歩谷 清(みょうぶだに きよし)。 最高位は東前頭8枚目(1966年9月場所)。 得意手は右四つ、寄り、蹴手繰りなど。 現役時代の体格は178cm、115kg。 73 羽黒花統司 北海道 西興部村 羽黒花 統司(はぐろはな とうじ、本名:千葉 進(ちば すすむ)、1936年3月28日 - 1984年6月3日)は、北海道紋別郡西興部村出身で、かつて立浪部屋に所属していた大相撲力士である。 大相撲の黄金時代の1つである「柏鵬時代」に、幕内力士として活躍した。 最高位は東関脇(1963年3月場所・1964年7月場所)。 現役時代の体格は181cm、125kg。 得意手は左四つ、吊り、上手投げ。 74 北葉山英俊 北海道 室蘭市 北葉山 英俊(きたばやま ひでとし、1935年5月17日 - 2010年7月20日)は、北海道室蘭市出身の元大相撲力士。 本名は山田 英俊(やまだ ひでとし)。 75 吉野準 北海道 苫小牧市 吉野 準(よしの じゅん、1934年(昭和9年) - )は、日本の元警察官僚。 第79代警視総監。 東京大学出身 76 安念山治 北海道 下川町 安念山 治(あんねんやま おさむ、1934年2月23日 - )は、北海道上川郡下川町出身の元大相撲力士。 本名は安念 治(あんねん おさむ)。 77 若ノ里雄三 北海道 旭川市 若ノ里 雄三(わかのさと ゆうぞう、1932年3月20日 - 1983年4月29日)は、二所ノ関部屋、芝田山部屋、花籠部屋に所属した元力士、元世話人。 本名は山口 雄三(やまぐち ゆうぞう)。 北海道旭川市出身。 身長167cm、体重75kg。 最高位は東十両5枚目。 得意技は左四つ、寄り。 78 双ツ龍徳義 北海道 室蘭市 双ッ龍 徳義(ふたつりゅう とくよし、本名:荒木 徳義(あらき とくよし)、1930年3月3日 - 2006年2月4日)はかつて時津風部屋に所属していた大相撲力士である。 身長185cm、体重108kg。 得意手は右四つ、吊り、上手投げ。 北海道室蘭市出身。 最高位は東前頭筆頭。 79 福緑正義 北海道 旭川市 福緑 正義(ふくみどり まさよし、1930年3月20日 - 2018年1月31日)は、立浪部屋に所属した元力士。 本名は松井 政義(まつい まさよし)。 北海道旭川市出身。 176cm、89kg。 最高位は西十両15枚目。 得意技は左四つ、寄り。 80 佐藤清彦 北海道 別海町 佐藤 清彦(さとう きよひこ、1930年2月17日 - )は、日本のノンフィクション作家。 宮城県生まれ。 早稲田大学文学部卒。 読売新聞社を経て、ノンフィクション作家。 81 若乃花幹士 北海道 室蘭市 初代 若乃花 幹士(わかのはな かんじ)、本名:花田 勝治(はなだ かつじ、1928年(昭和3年)3月16日 - 2010年(平成22年)9月1日)は、青森県弘前市青女子(あおなご)出身で、入門当時は二所ノ関部屋(1953年に花籠部屋の独立とともに移籍)に所属した大相撲力士、第45代横綱。 身長179cm、体重107kg。 血液型はB型。 弘前市名誉市民。 土俵の鬼と呼ばれた。 戦後最軽量横綱である(歴代史上最軽量は栃木山の103kg)。 82 大晃定行 北海道 北斗市(旧上磯町) 大晃 定行(おおひかり さだゆき、1927年9月24日 - 1996年1月14日)は、北海道上磯郡上磯町(現在の北斗市)出身で出羽海部屋所属の元大相撲力士。 本名は柴田 定行。 現役時代の体格は身長181cm、体重115kg。 最高位は東小結(1958年7月場所)。 得意手は突っ張り、叩き、左四つ、寄り。 大相撲屈指の黄金時代といわれる栃・若時代の名力士として知られている。 引退後は年寄・阿武松を襲名した。 83 千代の山雅信 北海道 福島町 千代の山 雅信(ちよのやま まさのぶ、1926年6月2日 - 1977年10月29日)は、北海道松前郡福島町出身の元大相撲力士。 第41代横綱。 本名は杉村 昌治(すぎむら まさはる)。 84 千代の山雅信大相撲第41代横綱 北海道 福島町 千代の山 雅信(ちよのやま まさのぶ、1926年6月2日 - 1977年10月29日)は、北海道松前郡福島町出身の元大相撲力士。 第41代横綱。 本名は杉村 昌治(すぎむら まさはる)。 85 旭國強 北海道 旭川市 旭國 強(あさひくに つよし、1924年生まれ)は、立浪部屋に所属した元力士。 本名は山田 強(やまだ つよし)。 北海道旭川市出身。 174cm、83kg。 最高位は西十両12枚目。 得意技は右四つ、下手投げ。 86 北の洋昇 北海道 網走市 北の洋 昇(きたのなだ のぼる、1923年2月1日 - 2002年1月8日)は、北海道網走郡網走町北浜(現:北海道網走市北浜)出身で、1940年代後半から1960年代にかけて活躍した大相撲力士である。 本名は緒方 昇(おがた のぼる)。 87 緑嶋英三 北海道 石狩市 緑嶋 英三(みどりしま えいぞう、1923年1月25日 - )は、かつて立浪部屋に所属した大相撲力士である。 本名は今井 英三(いまい えいぞう)。 北海道石狩郡石狩町(現在の北海道石狩市)出身。 現役時代の体格は176cm、88kg。 自己最高位は東前頭4枚目(1947年11月場所)。 得意手は左四つ、押し。 88 輝昇勝彦 北海道 留萌市 輝昇 勝彦(てるのぼり かつひこ、1922年1月26日 - 1967年2月20日)は、北海道留萌市(出生時は留萌郡留萌町)出身で、1940年代から1950年代にかけて活躍した大相撲力士である。 本名は小林 良彦(こばやし よしひこ)。 89 輝曻勝彦 北海道 留萌市 輝昇 勝彦(てるのぼり かつひこ、1922年1月26日 - 1967年2月20日)は、北海道留萌市出身で、1940年代から1950年代にかけて活躍した大相撲力士である。 本名は小林 良彦(こばやし よしひこ)。 90 吉葉山潤之輔 北海道 石狩市(旧厚田村) 吉葉山 潤之輔(よしばやま じゅんのすけ、1920年4月3日 - 1977年11月26日)は、北海道厚田郡厚田村(現:石狩市)出身の元大相撲力士。 第43代横綱。 本名は池田 潤之輔(いけだ じゅんのすけ)。 91 藤錦千代吉 北海道 寿都町 藤錦 千代吉(ふじにしき ちよきち、本名:福田 千代吉(ふくだ ちよきち)、1920年1月9日 - 1961年6月28日)は、北海道寿都郡寿都町出身で、二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。 最高位は東前頭18枚目(1948年10月場所)。 現役時代の体格は177cm、90kg。 得意手は右四つ、上手投げ。 92 十勝岩豊 北海道 大樹町 十勝岩 豊(とかちいわ ゆたか、1919年1月10日 - 1979年2月12日)は、北海道十勝郡大津村(現在の広尾郡大樹町)出身、出生地は北海道中川郡本別村(現在の足寄郡陸別町)で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。 本名は三好 豊(みよし ゆたか)。 現役時代の体格は176cm、105kg。 得意手は左四つ、寄り、吊り。 最高位は西前頭筆頭(1945年6月場所)。 93 斜里錦菊三 北海道 斜里町 斜里錦 菊三(しゃりにしき きくぞう、本名:京堂 菊三(きょうどう きくぞう)、1917年7月12日 - 1950年1月22日)は、北海道斜里郡斜里町出身で、1930年代末から1940年代にかけて活躍した大相撲力士。 二所ノ関部屋に所属した。 最高位は西前頭18枚目(1943年1月場所)。 現役時代の体格は173cm、102kg。 得意手は右四つ、押し。 94 名寄岩静男 北海道 名寄市 名寄岩 静男(なよろいわ しずお、1914年9月27日 - 1971年1月26日)は、北海道名寄市出身(出生地は北海道小樽市)の元大相撲力士。 本名は岩壁 静雄(いわかべ しずお)。 95 若浪義光 北海道 東川町 若浪 義光(わかなみ よしみつ、1914年5月6日 - 1982年12月30日)は、樺太恵須取郡恵須取町(現在のサハリン・ウグレゴルスク)出身で1940年代に活躍した立浪部屋所属の元大相撲力士。 最高位は東前頭19枚目(1940年5月場所)。 本名は若林 義光(わかばやし よしみつ)。 現役時代の体格は身長176cm、体重94kg。 得意手は右四つ、寄り。 96 巴潟誠一 北海道 函館市 巴潟 誠一(ともえがた せいいち、本名:工藤 誠一(くどう せいいち)、1911年3月30日 - 1978年12月24日)は、北海道函館市出身で高嶋部屋所属の元大相撲力士。 現役時代の体格は身長165cm、体重90kg、得意手は押し、突き落とし、巻き落とし。 最高位は西小結。 97 松前山熊義 北海道 函館市 松前山 熊義(まつまえやま くまよし、1909年8月5日 - 1984年3月3日は、高島部屋に所属した力士。 本名は川崎 熊義。 現在の北海道函館市出身。 173cm、87kg。 最高位は西前頭筆頭。 98 旭川幸之焏 北海道 旭川市 旭川 幸之丞(あさひかわ ゆきのじょう、1905年8月18日 - 1978年1月31日)は、北海道上川郡(現:北海道旭川市、出生地は富山県下新川郡(現:富山県魚津市))出身で、1930年代から1940年代にかけて活躍した大相撲力士である。 本名は宮坂 幸吉(みやさか こうきち)。 99 旭川幸之丞 北海道 旭川市 旭川 幸之丞(あさひかわ ゆきのじょう、1905年8月18日 - 1978年1月31日)は、北海道上川郡(現:北海道旭川市、出生地は富山県下新川郡(現:富山県魚津市))出身で、1930年代から1940年代にかけて活躍した大相撲力士である。 本名は宮坂 幸吉(みやさか こうきち)。 100 太刀光電右エ門 北海道 三笠市 太刀光 電右エ門(たちひかり でんえもん、1897年3月29日 - 1952年5月15日)は、北海道三笠市出身の元大相撲力士。 本名は八田 政次(はった まさつぐ(まさじ))。 101 一ノ濵善之助 北海道 七飯町 一ノ濵 善之助(いちのはま ぜんのすけ、1897年4月20日 - 1962年9月9日)は、井筒部屋に所属した力士。 引退後は7代九重を一時期襲名し、後進の指導につとめた。 本名は大塚 善作(旧姓佐々木、高橋)。 北海道亀田郡七飯町出身。 175cm、83kg。 最高位は西前頭4枚目。 102 三杦磯善七 北海道 八雲町(旧熊石町) 三杦磯 善七(みすぎいそ ぜんしち、1892年11月26日 - 1951年4月22日)は、北海道爾志郡熊石村(現:北海道二海郡八雲町)出身の元大相撲力士。 本名は小西 善七(こにし ぜんしち)。 103 太田武雄 北海道 愛別町 Wikipedia未登録 大相撲元大関旭國斗雄 104 清晃剛 北海道 厚岸町 Wikipedia未登録 元大相撲力士 105 阿部脩 北海道 旭川市 Wikipedia未登録 大相撲力士、プロレスラー、プロレスレフェリー、俳優 106 北瀬海弘光 北海道 せたな町(旧北檜山町) 北瀬海 弘光(きたせうみ ひろみつ、1948年7月2日 - )は、北海道瀬棚郡北檜山町(現・久遠郡せたな町)出身で九重部屋(入門時は出羽海部屋)所属の元大相撲力士。 本名は土谷 孝(つちや たかし)。 最高位は東関脇(1976年7月場所)。 現役時代の体格は身長175cm、体重115kg。 得意技は左四つ、寄り、もろ差し。 青森県 107 阿武咲奎也 青森県 中泊町 阿武咲 奎也(おうのしょう ふみや、1996年7月4日 - )は、青森県北津軽郡中泊町出身で、阿武松部屋所属の現役大相撲力士。 本名は打越 奎也(うてつ ふみや)。 身長176cm、体重163kg、血液型はO型。 最高位は東前頭14枚目(2017年5月場所)。 108 笹ノ山喜悌 青森県 八戸市 笹ノ山 喜悌(ささのやま よしとも、1992年12月30日 - )は、青森県八戸市出身で木瀬部屋(入門時は北の湖部屋)所属の現役大相撲力士。 本名は笹山 喜悌(ささやま よしとも)。 身長180cm、体重150kg、最高位は東幕下3枚目(2015年1月場所)。 同じ木瀬部屋の笹山は実兄。 109 大成道喜悌 青森県 八戸市 大成道 喜悌(だいせいどう よしとも、1992年12月30日 - )は、青森県八戸市出身で木瀬部屋(入門時は北の湖部屋)所属の現役大相撲力士。 本名は笹山 喜悌(ささやま よしとも)。 身長180cm、体重150kg、最高位は西十両12枚目(2017年11月場所)。 好きなタレントは岡本玲。 顔がメラニア・トランプに似ている。 平成4年度生まれの関取を指す、いわゆる「花のヨン組」の1人。 110 宝富士大輔 青森県 中泊町 宝富士 大輔(たからふじ だいすけ、1987年2月18日 - )は、青森県北津軽郡中里町(現在の中泊町)出身で伊勢ヶ濱部屋所属の現役大相撲力士。 本名は杉山 大輔(すぎやま だいすけ)。 愛称は、パンダ、角界のマツコ(・デラックス)、たーたん。 身長186cm、体重165kg、血液型はAB型。 得意手は左四つ、寄り。 最高位は東小結(2015年7月場所)。 趣味は音楽鑑賞。 好物はオムライスとハンバーグ。 嫌いなものは納豆。 近畿大学出身 111 誉富士歓之 青森県 鰺ヶ沢町 誉富士 歓之(ほまれふじ よしゆき、1985年5月6日 - )は、青森県西津軽郡鰺ヶ沢町出身で伊勢ヶ濱部屋所属の現役大相撲力士。 本名は三浦 歓之(みうら よしゆき)。 血液型はB型。 愛称は、ミッちゃん。 身長は180cm、体重は160kg。 得意手は突き・押し。 最高位は西前頭6枚目(2015年11月場所)。 好きな食べ物は寿司。 趣味はコレクション(ガンプラなど)、天体観測。 憧れの力士は武双山で、武双山に倣って銀ねずの締め込みをしていたこともある。 [2] 近畿大学出身 112 若三藤成豊 青森県 弘前市 若三藤 成豊(わかみふじ しげと 本名:藤田 成豊(ふじた しげと)、1985年7月16日 - )は間垣部屋(現存せず)に所属していた、青森県弘前市出身の元大相撲力士である。 身長176cm、体重193kg。 得意手は右四つ、寄り。 最高位は西幕下14枚目(2006年11月場所)、血液型はB型。 113 将司昂親 青森県 深浦町 将司 昂親(まさつかさ こうしん、1984年6月7日 - )は、青森県西津軽郡深浦町出身で入間川部屋所属の大相撲力士。 本名は小野正仁(おの まさひと)。 身長183cm、体重147kg、血液型はA型。 得意手は、突き、押し、食い下がり。 最高位は西前頭8枚目(2008年9月場所、2010年9月場所)。 2011年の大相撲八百長問題にて引退勧告処分を受け、引退した。 114 克乃富士修一 青森県 つがる市 克乃富士 修一(かつのふじ しゅういち、1984年5月4日 - )は、青森県つがる市出身で境川部屋所属の現役大相撲力士。 本名は鶴賀 修一。 血液型B型。 最高位は西幕下15枚目(2009年3月場所)。 115 寶千山幸観 青森県 弘前市 寶智山 幸観(ほうちやま こうかん、1982年1月18日 - )は、青森県弘前市出身で境川部屋(入門時は中立部屋)所属の元大相撲力士。 本名は棟方幸観(むなかた ゆきみ)。 身長188cm、体重155kg、血液型はO型。 得意手は突き、右四つ、寄り。 最高位は西前頭14枚目(2006年9月場所、2007年5月場所)。 現在は年寄・君ヶ濱。 なお、「寶」という文字は常用漢字外であるため新聞・雑誌などでは宝智山(のちの四股名の時は宝千山)と表記されることが多い。 関取として在位した場所はすべて寶智山の四股名で在位。 116 寶智山幸観 青森県 弘前市 寶智山 幸観(ほうちやま こうかん、1982年1月18日 - )は、青森県弘前市出身で境川部屋(入門時は中立部屋)所属の元大相撲力士。 本名は棟方幸観(むなかた ゆきみ)。 身長188cm、体重155kg、血液型はO型。 得意手は突き、右四つ、寄り。 最高位は西前頭14枚目(2006年9月場所、2007年5月場所)。 現在は年寄・君ヶ濱。 なお、「寶」という文字は常用漢字外であるため新聞・雑誌などでは宝智山(のちの四股名の時は宝千山)と表記されることが多い。 関取として在位した場所はすべて寶智山の四股名で在位。 117 栃翼祐一 青森県 鶴田町 栃翼 祐一(とちつばさ ゆういち、1980年10月3日 - )は、青森県北津軽郡鶴田町出身で春日野部屋に所属していた、元大相撲力士。 本名は加賀谷祐一(かがや ゆういち)、身長167cm、体重99. 8kg。 最高位は東幕下4枚目(2012年1月場所)。 118 安美錦竜児 青森県 深浦町 安美錦 竜児(あみにしき りゅうじ、1978年10月3日 - )は、青森県西津軽郡深浦町出身で伊勢ヶ濱部屋(入門時は安治川部屋)所属の現役大相撲力士。 本名は杉野森 竜児(すぎのもり りゅうじ)、愛称は「リュウジ」。 インターネット上では「あみたん」とも呼ばれる。 身長184cm、体重145kg、血液型はA型、星座は天秤座。 得意手は、右四つからの寄り、出し投げ、力も強く独特の間合いをとり変化も使う。 四股名は、「故郷に錦を飾る」との意味を込めて師匠の伊勢ヶ濱親方(当時の安治川親方)が命名した[2]。 趣味はテレビゲーム。 好物はワイン、甘口のカレーライス。 嫌いなものは梅全般。 [3]最高位は東関脇(2007年9月場所 - 2008年1月場所)。 いつも微妙な取り組みにより行司が軍配を上げにくい相撲をとるため「行司泣かせ」の異名を持つ。 119 岩木山竜太 青森県 旧岩木町 岩木山 竜太(いわきやま りゅうた、1976年3月2日 - )は、青森県中津軽郡岩木町(現弘前市)出身で境川部屋(入門時は中立部屋)所属の元大相撲力士。 本名は對馬 竜太(つしま りゅうた)、愛称はツシマ。 身長184cm、体重177kg、血液型はO型、趣味は音楽鑑賞と競馬研究。 最高位は東小結(2005年3月場所)。 現在は、年寄・関ノ戸。 青森大学出身 120 高見盛精彦 青森県 板柳町 高見盛 精彦(たかみさかり せいけん、1976年5月12日 - )は、青森県北津軽郡板柳町福野田常盤出身で東関部屋所属の元大相撲力士。 アマチュア相撲出身。 本名は加藤精彦(かとう せいけん)、愛称はカトちゃん、たかみー、角界のロボコップ。 身長188cm、体重145kg、血液型はO型。 得意手は右四つ、寄り。 最高位は東小結(2002年9月場所、2003年11月場所)。 現在は年寄・振分として同部屋で後進の指導に当たっている。 日本大学出身 121 武州山隆士 青森県 旧浪岡町 武州山 隆士(ぶしゅうやま たかし、1976年5月21日 - )は、青森県南津軽郡浪岡町(現在の青森市)出身で藤島部屋所属(入門時は武蔵川部屋)の元大相撲力士。 本名は山内 隆志(やまうち たかし)。 身長191cm、体重174kg、血液型はO型。 最高位は西前頭3枚目(2009年11月場所)。 現在は年寄清見潟として、藤島部屋で後進の指導に当たっている。 大東文化大学出身 122 十文字友和 青森県 階上町 十文字 友和(じゅうもんじ ともかず、1976年6月9日 - )は、青森県三戸郡階上町出身で陸奥部屋(入門当時は立田川部屋)に所属した元大相撲力士。 本名同じ、愛称はモン。 身長185cm、体重160kg、血液型はB型。 得意手は右四つ、寄り。 最高位は東前頭6枚目(2003年7月場所、2004年3月場所)。 2011年の大相撲八百長問題にて引退勧告処分を受け、引退した。 123 安壮富士清也 青森県 深浦町 安壮富士 清也(あそうふじ せいや、1976年1月17日 - )は、青森県西津軽郡深浦町出身で伊勢ヶ濱部屋(入門時は安治川部屋)所属の元大相撲力士。 本名は杉野森清寿(すぎのもり きよとし)、愛称はキヨ。 身長181cm、体重126kg、血液型はO型、趣味はカラオケ、格闘技観戦。 得意手は右四つ、投げ、突き。 最高位は東前頭13枚目(2006年11月場所)。 2011年の大相撲八百長問題にて引退勧告処分を受け、引退した。 124 舞風昌宏 青森県 十和田市 舞風 昌宏(まいかぜ まさひろ、1976年9月21日 - )は、青森県十和田市出身の元大相撲力士。 尾車部屋所属。 本名は佐藤 昌宏(さとう まさひろ)。 身長179cm、体重135kg。 得意手は突き、押し。 最高位は西十両10枚目(2005年1月場所)、愛称は「舞ちゃん」 125 一の谷崇帥 青森県 大鰐町 一の谷 崇帥(いちのたに そうし、1976年6月10日 - )は、青森県南津軽郡大鰐町出身で中村部屋所属の元大相撲力士。 本名は木田 崇帥(きだ そうし 以前は木田 崇師(読み方は同じ))。 現役時は身長182cm、体重128kg。 最高位は東十両12枚目(2004年7月場所)。 126 若の里忍 青森県 弘前市 若の里 忍(わかのさと しのぶ、1976年7月10日 - )は、青森県弘前市出身で鳴戸部屋(引退時は田子ノ浦部屋)に所属していた元大相撲力士。 本名は古川忍(こがわ しのぶ)、愛称はコガワ。 現役時代の体格は身長185cm、体重163kg、血液型はO型。 127 追風海直飛人 青森県 板柳町 追風海 直飛人(はやてうみ なおひと、1975年7月5日 - )は、日本の政治家。 自由民主党所属の青森県議会議員(2期)。 前青森県板柳町議会議員(1期)。 かつて追手風部屋(入門時は友綱部屋)に所属した元大相撲力士。 本名は齊藤 直飛人(さいとう なおひと)。 現役時代の体格は185cm、129kg。 得意手は右四つ、寄り、上手投げ。 最高位は西関脇(2000年11月場所)。 趣味は読書、愛称はサイトー。 血液型はO型。 128 北勝岩治 青森県 五所川原市 北勝岩 治(ほくといわ おさむ、1974年6月1日- )は、青森県北津軽郡金木町(現在の五所川原市)出身で八角部屋に所属した元大相撲力士。 本名は原田治(はらだ おさむ)。 身長177cm、体重167kg。 得意手は突き、押し。 最高位は東十両10枚目(2002年5月場所)、血液型はB型。 129 海鵬涼至 青森県 深浦町 海鵬 涼至(かいほう りょうじ 1973年4月17日 - )は、青森県西津軽郡深浦町出身で八角部屋に所属した元大相撲力士。 本名は熊谷涼至(くまがい りょうじ)、愛称はクマ。 現役時は身長177cm、体重125kg、血液型はO型、趣味はスポーツ観戦。 得意手は左四つ、下手投げ。 左を差して食いついての芸が持ち味で、小兵ならではの動きの良さが身上であった。 最高位は西小結(2001年11月場所)。 なお海鵬の四股名は、父が所有する漁船「海鵬丸」に由来する。 日本大学出身 130 貴ノ浪貞博 青森県 三沢市 貴ノ浪貞博(たかのなみ さだひろ、1971年10月27日 - 2015年6月20日)は、青森県三沢市出身で二子山部屋(入門時は藤島部屋、引退時は貴乃花部屋)所属の元大相撲力士。 最高位は東大関。 本名は浪岡貞博(なみおか ただひろ)。 現役時代の体格は身長196cm、体重175kg、血液型はO型、愛称は「貴にょ浪」(由来はやくみつるの4コマ漫画から)。 大関時代には部屋では「浪大関」と呼ばれていた。 趣味は釣り。 131 朝乃涛誠 青森県 中泊町 朝乃涛 誠(あさのなみ まこと、1971年6月19日 - )は、青森県北津軽郡中泊町出身で若松部屋所属の元大相撲力士。 本名は太田誠(おおた まこと)、身長187cm、体重140kg。 最高位は東十両3枚目(1993年3月場所)。 132 大殿英武 青森県 青森市 大殿 英武(だいでん えいぶ、1970年9月8日-)は青森市出身の元大相撲力士。 大鵬部屋所属。 本名は伊藤 英武(いとう えいぶ)。 身長175cm、体重127kg。 得意手は左四つ、下手投げ。 趣味は音楽鑑賞。 最高位は西十両13枚目(1994年3月場所)。 133 浪乃花教天 青森県 旧浪岡町 浪乃花 教天(なみのはな かずたか、1969年3月19日 - )は、青森県南津軽郡浪岡町(現:青森市)出身で二子山部屋に所属した元大相撲力士。 本名は工藤 和博(くどう かずひろ)。 現役時代の体格は178cm、135kg。 最高位は東小結(1995年3月場所)。 得意手は突き、押し。 134 舞の海秀平 青森県 鰺ヶ沢町 舞の海 秀平(まいのうみ しゅうへい、1968年2月17日 - )は、日本のスポーツキャスター、タレント、NHK大相撲解説者、出羽海部屋所属の元大相撲力士。 有限会社舞の海カンパニー(本人の個人事務所)所属。 本名は長尾 秀平(ながお しゅうへい)、愛称はシュウヘイ。 2013年現在の体格は身長169cm、体重85kg。 血液型B型、左利き。 日本大学出身 135 旭富士正也 青森県 旧木造町 旭富士 正也(あさひふじ せいや、1960年(昭和35年)7月6日 - )は、青森県つがる市出身で大島部屋所属の元大相撲力士、第63代横綱。 本名は杉野森 正也(すぎのもり せいや)。 現役時代の体格は身長189cm、体重143kg。 得意技は右四つ、寄り、掬い投げ。 現在は、年寄・9代伊勢ヶ濱親方。 近畿大学出身 136 三杉磯拓也 青森県 八戸市 三杉磯 拓也(みすぎいそ たくや、1956年(昭和31年)5月11日- )は、青森県八戸市出身で、放駒部屋(入門時は花籠部屋)に所属した大相撲力士。 最高位は西前頭2枚目(1979年1月場所、1982年3月場所)。 本名は上沢 秀則(かみさわ ひでのり)。 現役時代の体格は187cm、126kg。 得意手は左四つ、突っ張り、寄り、上手投げ、突き落とし。 137 綾の海金太郎 青森県 つがる市 綾の海 金太郎(あやのうみ きんたろう、1955年8月17日-)は、大鵬部屋に所属した元力士。 本名は黒滝 隆男(くろたき たかお)。 現在の青森県つがる市出身。 現役時代の体格は177cm、107kg。 最高位は東十両13枚目(1980年7月場所)。 得意手は左四つ、寄り、下手投げ。 138 2代目若乃花幹士 青森県 大鰐町 若乃花 幹士(わかのはな かんじ、本名:下山 勝則(しもやま かつのり)、1953年4月3日 - )は、元大相撲力士、第56代横綱。 引退後は年寄・間垣。 師匠であった初代若乃花の娘婿となったが、後に離婚。 大関時代までの四股名は「若三杉」だったが、横綱昇進を機に師匠の四股名「若乃花」を継承した(大関まで名乗った若三杉も当時部屋付きだった荒磯親方、元関脇若三杉彰晃の四股名を継承したものである)。 青森県南津軽郡大鰐町出身。 身長187cm、体重133kg。 血液型はA型。 現役時代の愛称は下の名前の勝則から「カンボ」と呼ばれていた。 139 大觥吉男 青森県 青森市 大觥 吉男(たいこう よしお、本名:横山 吉男(よこやま よしお)、1953年10月30日- )は、青森県青森市出身で、1970年代後半に活躍した大相撲力士。 二子山部屋に所属していた。 最高位は西前頭8枚目(1978年7月場所)。 現役時代の体格は174cm、133kg。 得意手は左四つ、寄り。 140 隆の里俊英 青森県 旧浪岡町 隆の里 俊英(たかのさと としひで、1952年(昭和27年)9月29日 - 2011年(平成23年)11月7日)は、青森県南津軽郡浪岡町(現在の青森市)出身で二子山部屋所属の元大相撲力士、第59代横綱。 本名は高谷 俊英(たかや としひで)。 現役時代は身長181cm、体重158kg。 得意手は、右四つ、寄り、吊り、上手投げ。 引退後は年寄・鳴戸を襲名。 鳴戸部屋師匠として稀勢の里、若の里、隆乃若ら7人の関取を育成した。 血液型はO型。 141 魁輝薫秀 青森県 旧天間林村 魁輝 薫秀(かいき のぶひで、本名:西野 政章(にしの まさあき)、1952年6月12日- )は、友綱部屋に所属した元大相撲力士。 最高位は東関脇(1979年7月場所)。 青森県上北郡七戸町(現役時代は天間林村で、場内放送の出身地紹介では〈村〉を省いてアナウンスされていた)出身。 142 出羽の花義貴 青森県 旧中里町 出羽の花 義貴(でわのはな よしたか、1951年5月13日 - )は、青森県北津軽郡中泊町(旧・同郡中里町)出身で、出羽海部屋に所属した大相撲力士である。 本名は野村 双一(のむら そういち)。 日本大学出身 143 晃山昌士 青森県 五所川原市 晃山 昌士(こうざん まさし、1951年6月14日-)は、高島部屋に所属した元力士。 本名は高橋 力雄(旧姓・蒔田)。 青森県五所川原市出身。 184cm、115kg。 最高位は西十両筆頭。 得意技は突き、押し。 144 37代木村庄之助 青森県 六戸町 37代木村庄之助(きむら しょうのすけ、本名:畠山 三郎(はたけやま さぶろう)、1950年3月16日 - )は、大相撲の立行司の1人だった。 高島部屋、熊ヶ谷部屋、大島部屋を経て引退時は友綱部屋所属。 血液型はA型。 145 貴ノ花利彰 青森県 弘前市 貴ノ花 利彰(たかのはな としあき、1950年2月19日 - 2005年5月30日)は、青森県弘前市出身の元大相撲力士。 現役時は二子山部屋所属であった。 最高位は東大関。 本名は花田 満(はなだ みつる)。 身長183cm、体重114kg、血液型はB型。 得意技は左四つ、寄り、吊り、上手投げ。 「土俵の鬼」と謳われた第45代元横綱・初代若乃花の弟という血筋のよさに加え、細身で均整のとれた体格と甘いマスクから、角界のプリンスと呼ばれた。 大相撲の歴史上、また日本のスポーツ史上屈指の人気を誇った。 位階は従五位旭日小綬章受章。 146 北ノ花吉保 青森県 むつ市 北ノ花 吉保(きたのはな よしやす、1950年6月13日-)は、二子山部屋に所属した元力士。 本名は藤井 光雄(ふじい みつお)。 青森県むつ市(当時は下北郡田名部町)出身。 身長181cm、体重107kg。 最高位は西十両4枚目。 得意技は右四つ、投げ、突き。 147 若獅子茂憲 青森県 旧上北町 若獅子 茂憲(わかじし しげのり、1948年5月4日 - )は、青森県上北郡上北町(現・同郡東北町)出身の元大相撲力士。 二子山部屋所属。 本名は和田 耕三郎(わだ こうざぶろう)。 現役時の体格は174cm、130kg。 得意手は突っ張り、押し、蹴手繰り。 目が非常に細かった事から、愛称は座頭市。 入門前の転居した回数の多さや、引退後、数々の年寄名跡を襲名した事から「渡り鳥」の異名を持った。 最高位は東小結(1976年9月場所)。 148 栃勇義治 青森県 田舎館村 栃勇 義治(とちいさみ よしはる、1947年10月2日- )は、青森県南津軽郡田舎館村出身で、春日野部屋に所属した大相撲力士。 身長177cm、体重115kg。 得意手は左四つ、押し、吊り。 本名は阿保 鉄雄(あぼ てつお)。 最高位は東前頭7枚目(1971年1月場所)。 149 田中英壽 青森県 五所川原市 田中 英壽(田中 英寿、たなか ひでとし、1946年12月6日 - )は、学校法人日本大学第12代理事長。 150 陸奥嵐幸雄 青森県 東北町 陸奥嵐 幸雄(むつあらし ゆきお、1943年1月12日 - 2002年7月30日)は、青森県上北郡甲地村(現在の東北町)出身で宮城野部屋所属の元大相撲力士。 本名は南 幸雄(みなみ ゆきお)。 身長177cm、体重115kg。 得意手は左四つ、吊り、河津掛け。 最高位は東関脇。 151 二子岳武 青森県 金木町 二子岳 武(ふたごだけ たけし、1943年11月15日 - )は、青森県北津軽郡金木町(現在の五所川原市)出身で、二子山部屋(入門時は花籠部屋)に所属した大相撲力士。 本名は山中 武(やまなか たけし)。 現役時代の体格は178cm、113kg。 最高位は西小結(1967年11月場所、1968年3月場所、同年5月場所)。 得意手は左四つ、内無双、下手投げなど。 152 9代式守勘太夫 青森県 五戸町 9代式守 勘太夫(しきもり かんだゆう、本名:三浦 国男、1942年8月17日 - )は大相撲の元三役格行司。 153 津軽國芳隆 青森県 中泊町 津軽國 芳隆(つがるくに よしたか、1941年5月15日-)は、春日野部屋に所属した元力士。 本名は秋元 久伍(あきもと ひさご)。 現在の青森県北津軽郡中泊町出身。 183cm、109kg。 最高位は東十両3枚目。 得意技は左四つ、寄り。 154 魁罡功 青森県 青森市 魁功(かいごう いさお、1941年11月16日- )は、青森県青森市金沢出身で、1960年代から1970年代にかけて活躍した大相撲力士。 現役時代は、二子山部屋(入門時は花籠部屋)に所属した。 本名は大村 功(おおむら いさお)。 現役当時の体格は182cm、111kg。 得意手は右四つ、投げ。 最高位は西前頭5枚目(1969年5月場所、同年11月場所)。 155 栃ノ海晃嘉 青森県 田舎館村 栃ノ海 晃嘉(とちのうみ てるよし、1938年(昭和13年)3月13日 - )は、青森県南津軽郡光田寺村(現在の田舎館村)出身で春日野部屋所属の元大相撲力士、第49代横綱。 身長177cm、体重110kg。 得意技は左四つ、寄り、上手出し投げ、両前褌、足癖。 本名は花田 茂廣(はなだ しげひろ)。 花田という苗字で同じ青森津軽地方出身であるが、初代若乃花との血縁はない。 年寄・春日野時代、姓を『宮古』とするが停年(定年)退職後は再び花田に戻した。 156 一乃矢藤太郎 青森県 田舎館村 一乃矢 藤太郎(いちのや とうたろう、本名:須藤 良一(すどう りょういち)、1937年6月30日-1977年4月19日)は、青森県南津軽郡田舎館村出身で、かつて春日野部屋に所属した大相撲力士である。 最高位は西前頭4枚目(1962年3月場所)。 現役時代の体格は173cm、86kg。 得意手は右四つ、寄り。 157 一乃矢藤太郎大相撲力士、一ノ矢藤太郎の曾孫、前頭 青森県 田舎館村 一乃矢 藤太郎(いちのや とうたろう、本名:須藤 良一(すどう りょういち)、1937年6月30日-1977年4月19日)は、青森県南津軽郡田舎館村出身で、かつて春日野部屋に所属した大相撲力士である。 最高位は西前頭4枚目(1962年3月場所)。 現役時代の体格は173cm、86kg。 得意手は右四つ、寄り。 158 青ノ里盛 青森県 旧倉石村 青ノ里 盛(あおのさと さかり、1935年11月13日-2008年5月16日)は、青森県三戸郡倉石村(現役当時、現在は同郡五戸町)出身で、時津風部屋に所属した大相撲力士である。 本名は小笠原 盛(おがさわら さかり)。 最高位は西張出関脇(1963年5月場所)。 現役時代の体格は182cm、120kg。 得意手は右四つ、寄り、上手投げ。 159 栃ノ関雅清 青森県 田舎館村 栃ノ関 雅清(とちのせき まさきよ、1932年11月1日-)は、春日野部屋に所属した元力士。 本名は工藤 勇三(くどう ゆうぞう)。 青森県南津軽郡田舎館村出身。 167cm、79kg。 最高位は西十両20枚目。 得意技は左四つ、下手投げ。 160 芳野嶺元志 青森県 青森市 芳野嶺 元志(よしのみね もとし、1931年7月7日-2012年2月17日)は、青森県東津軽郡後潟村(現・同県青森市小橋)出身で、友綱部屋(入門から1961年5月場所前までは、高嶋部屋)に所属した大相撲力士である。 本名は山口 政志(やまぐち まさし)。 得意手は右四つ、寄り、押し。 身長173cm、体重96kg。 自己最高位は、東前頭8枚目(1958年9月場所)。 161 出羽ノ花好秀 青森県 つがる市 出羽ノ花 好秀(でわのはな よしひで、本名:小山内 清三(おさない せいぞう)、1928年11月1日- )は、1950年代に活躍した大相撲力士である。 最高位は西前頭13枚目(1957年1月場所)。 現役時代は出羽海部屋に所属していた。 現役時代の体格は176cm、94kg。 得意手は突っ張り、右四つ、寄り。 162 初代若乃花幹士 青森県 弘前市 初代 若乃花 幹士(わかのはな かんじ、本名:花田 勝治(はなだ かつじ)、1928年(昭和3年)3月16日 - 2010年(平成22年)9月1日)は、青森県弘前市青女子(あおなご)出身で、入門当時は二所ノ関部屋(1953年に花籠部屋の独立とともに移籍)に所属した大相撲力士、第45代横綱。 身長179cm、体重107kg。 血液型はB型。 弘前市名誉市民。 土俵の鬼と呼ばれた。 戦後最軽量横綱である。 (歴代史上最軽量は栃木山の103kg) 163 津軽海伝藏 青森県 黒石市 津軽海 伝藏(つがるうみ でんぞう、1928年5月13日 - 2013年7月14日)は、青森県南津軽郡(現黒石市)出身の元大相撲力士。 春日野部屋所属。 本名は宇野 傳三(うの でんぞう)。 身長167cm、体重79kg。 得意手は、左四つ、寄り。 最高位は西十両16枚目(1957年1月場所)。 得意技は左四つ、寄り。 引退後は若者頭・津軽海として長く後進の指導に当たった。 164 大瀬川半五郎 青森県 弘前市 大瀬川 半五郎(おおせがわ はんごろう、本名:石崎 賢四郎(いしざき けんしろう)、1927年2月1日-? )は、青森県弘前市出身で、伊勢ヶ濱部屋(一時、荒磯部屋)に所属した大相撲力士。 最高位は西前頭6枚目(1957年11月場所)。 現役時代の体格は179cm、115kg。 得意手は右四つ、寄り。 165 神錦國康 青森県 青森市 神錦 國康(かみにしき くにやす、本名:山口 健二郎(やまぐち けんじろう)、1925年8月28日-2005年10月22日)は、青森県東津軽郡奥内村(現役当時、現在の同県青森市清水)出身で、高嶋部屋に所属した大相撲力士である。 得意手は右四つ、外掛け、吊り。 最高位は西前頭5枚目(1953年5月場所)。 現役時代の体格は180cm、96kg。 166 一錦周之助 青森県 青森市 一錦 周之助(いちにしき しゅうのすけ、1924年5月20日 - 2012年7月20日)は、青森県東津軽郡横内村(現:青森市)出身で高嶋部屋所属の大相撲力士。 本名は鳴海 周之助(なるみ しゅうのすけ)。 現役時代の体格は身長177cm、体重79kg。 最高位は西十両7枚目(1951年5月場所)。 得意技は突っ張り・右四つ・上手投げ。 魁将龍の祖父、巴潟の義弟、魁輝の義父。 引退後は友綱部屋を継承し、停年まで後進の指導に当たった。 167 鏡里喜代治 青森県 三戸町 鏡里 喜代治(かがみさと きよじ、1923年4月30日 - 2004年2月29日)は、青森県三戸郡斗川村(現・青森県三戸郡三戸町)出身の元大相撲力士。 第42代横綱。 本名は奥山 喜世治(おくやま きよじ)。 168 陸奥ノ里敏男 青森県 鰺ヶ沢町 陸奥ノ里敏男(むつのさととしお、1916年9月25日 - )は、出羽海部屋に所属した元力士。 本名は山口敏男。 青森県西津軽郡鯵ヶ沢町出身。 173cm、92kg。 最高位は西前頭6枚目。 169 櫻錦利一 青森県 板柳町 櫻錦 利一(さくらにしき りいち、1916年6月26日 - 1962年6月4日)は、青森県北津軽郡板柳町出身で出羽海部屋(入門時は新興力士団)所属の元大相撲力士である。 身長171cm、体重93kg。 得意手は左四つ、押し、蹴手繰り。 最高位は西小結。 170 綾若真生 青森県 黒石市 綾若 真生(あやわか まさお、1909年3月3日 - 1989年11月10日)は、元大相撲力士である。 青森県南津軽郡(現在の黒石市)出身、本名は高橋勝雄(たかはし かつお)。 出羽海部屋所属。 最高位は西前頭5枚目(1940年1月場所)。 現役時代の体格は170cm、82kg。 得意手は右四つ、下手投げ、捻り、足癖、とったり。 171 鏡岩善四郎 青森県 十和田市 鏡岩 善四郎(かがみいわ ぜんしろう、1902年5月4日 - 1950年8月6日)は、青森県上北郡(現:青森県十和田市、出生地は青森県三戸郡)出身の元大相撲力士。 本名は佐々木 善四郎(ささき ぜんしろう)。 172 綾ノ浪俊一郎 青森県 田舎館村 綾ノ浪 俊一郎(あやのなみ しゅんいちろう、1901年8月25日-1984年7月1日)は、湊川部屋、追手風部屋、再度湊川部屋に所属した元力士。 青森県南津軽郡田舎館村出身。 本名は鈴木 俊一郎(すずき しゅんいちろう)。 身長170cm、体重94kg。 最高位は東前頭7枚目。 得意手は突っ張り、押し。 173 清水川元吉 青森県 五所川原市 清水川 元吉(しみずがわ もときち、1900年1月13日 - 1967年7月5日)は、青森県北津軽郡三好村(現:青森県五所川原市)出身の元大相撲力士。 本名は長尾 米作(ながお よねさく)。 174 綾櫻由太郎 青森県 西津軽郡 綾櫻 由太郎(あやざくら よしたろう、1898年3月11日 - 1982年12月8日)は、青森県西津軽郡出身の元大相撲力士。 本名は清野 由太郎(きよの(せいの) ゆうたろう)。 175 大ノ里萬助 青森県 藤崎町 大ノ里 萬助(おおのさと まんすけ、1892年4月1日 - 1938年1月22日)は、青森県南津軽郡藤崎町出身の元大相撲力士。 本名は天内 萬助(あまうち(てんうち) まんすけ)。 176 大ノ高純市 青森県 藤崎町 大ノ高純市(おおのたかじゅんいち、1891年8月10日-1948年4月30日)は、高砂部屋、振分部屋に所属した元力士。 本名は中村佐助。 青森県南津軽郡藤崎町出身。 168cm、88kg。 最高位は西前頭10枚目。 177 櫻川五良蔵 青森県 黒石市 櫻川五良藏(さくらがわごろぞう、1886年5月17日 - 1924年2月25日)は、立田山部屋に所属した元力士。 本名は木村慶次郎。 現在の青森県黒石市出身。 身長167cm、体重105kg。 最高位は西前頭2枚目。 178 十三ノ浦金四郎 青森県 中泊町 十三ノ浦金四郎(とさのうらきんしろう、1885年12月27日 - 1914年10月9日)は、二十山部屋に所属した元力士。 本名は岩田金四郎。 青森県北津軽郡中里町出身。 170cm、120kg。 最高位は西前頭9枚目。 本名は、清藤 純司(せいどう じゅんじ)。 引退後は8代高島を襲名して高島部屋を創設、大関をはじめとする多くの幕内力士を育てた。 180 小ノヶ嵜金蔵 青森県 黒石市 小ノヶ嵜 金藏(おのがさき きんぞう、1884年1月1日-1967年4月2日)は、熊ヶ谷部屋に所属した元力士。 本名は佐藤金作(旧姓工藤)。 現在の青森県黒石市出身。 170cm、86kg。 最高位は西前頭5枚目。 181 綾川五郎次 青森県 黒石市 綾川 五郎次(あやがわ ごろうじ、1883年11月2日 - 1933年2月16日)は、青森県南津軽郡(現:青森県黒石市)出身の元大相撲力士。 本名は村上 要作(むらかみ ようさく)。 182 雲竜辰五郎 青森県 つがる市 雲竜辰五郎(うんりゅうたつごろう、1880年3月-1919年12月30日)は、追手風部屋、高砂部屋、草風部屋(京都相撲)、藤島部屋(大坂相撲)、再度追手風部屋に所属した元力士。 7代千賀ノ浦。 本名は野宮辰五郎。 青森県つがる市出身。 165cm、98kg。 最高位は東前頭7枚目。 183 源氏山頼五郎 青森県 中泊町 源氏山 頼五郎(げんじやま らいごろう、1864年3月31日〈元治元年2月24日〉 - 1919年〈大正8年〉8月3日)は、高砂部屋に所属した元力士。 184 綾浪徳太郎 青森県 藤崎町 綾浪徳太郎(あやなみとくたろう、1856年6月3日(安政3年5月1日) - 1901年(明治34年)7月12日)は、高砂部屋に所属した元力士。 6代追手風。 本名は高木徳太郎。 陸奥国津軽郡(現在の青森県南津軽郡藤崎町)出身。 174cm、90kg。 最高位は東関脇。 185 一ノ矢藤太郎 青森県 田舎館村 一ノ矢 藤太郎(いちのや とうたろう、1856年3月25日 - 1923年2月15日)は、青森県南津軽郡田舎館村出身の大相撲力士。 高砂部屋所属。 最高位は大関。 本名は福士藤太郎。 現役時代の体格は178cm、95kg。 186 一ノ矢藤太郎大相撲力士、大関 青森県 田舎館村 一ノ矢 藤太郎(いちのや とうたろう、1856年3月25日 - 1923年2月15日)は、青森県南津軽郡田舎館村出身の大相撲力士。 高砂部屋所属。 最高位は大関。 本名は福士藤太郎。 現役時代の体格は178cm、95kg。 187 柏戸利助 青森県 五所川原市 柏戸 利助(かしわど りすけ、天明3年(1783年) - 文政13年10月27日(1830年12月3日))は、陸奥国津軽郡(現:青森県五所川原市)出身の元大相撲力士。 188 埒見恒 青森県 鰺ヶ沢町 Wikipedia未登録 元大相撲力士:最高位幕下、九重部屋所属、鯵ヶ沢高校出身 189 櫻錦守弘 青森県 板柳町 櫻錦 利一(さくらにしき りいち、1916年6月26日 - 1962年6月4日)は、青森県北津軽郡板柳町出身で出羽海部屋(入門時は新興力士団)所属の元大相撲力士である。 身長171cm、体重93kg。 得意手は左四つ、押し、蹴手繰り。 最高位は西小結。 岩手県 190 錦木徹也 岩手県 盛岡市 錦木 徹也(にしきぎ てつや、1990年8月25日 - )は、岩手県盛岡市出身で、伊勢ノ海部屋所属の現役大相撲力士。 本名は熊谷 徹也(くまがい てつや)。 身長186cm、体重167kg、血液型はA型。 最高位は東前頭14枚目(2016年5月場所)。 191 四ツ車大八 岩手県 花巻市 四ツ車 大八(よつぐるま だいはち、1980年7月24日 - )は、岩手県花巻市出身で伊勢ノ海部屋所属の元大相撲力士。 本名は、山影誠(やまかげ まこと)。 体格は身長184cm、体重154kg、血液型はO型。 得意手は右四つ、寄り、投げ。 最高位は西十両8枚目(2008年11月場所)。 192 栃乃花仁 岩手県 久慈市・旧山形村 栃乃花 仁(とちのはな ひとし 1973年2月28日 - )は、岩手県九戸郡山形村(現在の久慈市)出身で春日野部屋所属の元大相撲力士。 本名は谷地仁(やち ひとし)。 身長184cm、体重148kg。 得意手は右四つ、寄り、おっつけ。 最高位は東小結(2000年11月場所)。 現在は年寄・二十山。 193 外ヶ濱信行 岩手県 二戸市 外ヶ濱 信行(そとがはま のぶゆき、1968年7月8日 - )は、岩手県二戸市出身の元大相撲力士。 伊勢ノ海部屋所属。 本名は欠端信行(かけはた のぶゆき)。 身長182cm、体重130kg。 最高位は西幕下10枚目(1990年7月場所)。 194 木村晃之助 岩手県 一関市 木村 晃之助(きむら こうのすけ、本名:小島 俊明、1965年4月21日 - )は大相撲の幕内格筆頭行司である。 九重部屋所属。 血液型はO型。 195 岩手富士祐一 岩手県 奥州市 岩手富士 祐一(いわてふじ ゆういち、1963年8月9日 - )は、朝日山部屋に所属した元力士。 本名は鈴木 祐一 すずき ゆういち 、岩手県江刺市(現・奥州市)出身、身長185cm、体重133kg。 最高位は東十両6枚目。 得意技は左四つ、寄り。 196 福ノ里邦男 岩手県 軽米町 福ノ里 邦男(ふくのさと くにお、1961年6月4日 - )は岩手県九戸郡軽米町出身の元大相撲力士。 陸奥部屋所属。 本名は福田 邦男(ふくだ くにお)。 身長180cm、体重107kg。 得意手は上手投げ、寄り。 最高位は東十両13枚目(1989年9月場所)。 現在は若者頭。 197 影虎和彦 岩手県 軽米町 影虎 和彦(かげとら かずひこ、本名:滝沢 和彦(たきさわ かずひこ)、1954年5月21日- )は、岩手県九戸郡軽米町大字山内出身で、九重部屋に所属した大相撲力士。 最高位は東前頭11枚目(1980年7月場所)。 現役時代の体格は182cm、116kg。 得意手は左四つ、突き、押しなど。 198 若ノ海正照 岩手県 花巻市 若ノ海 正照(わかのうみ まさてる、1945年10月25日 - 1995年3月31日)は、岩手県稗貫郡内川目村(のち大迫町、現在の花巻市)出身で、花籠部屋に所属した大相撲力士。 本名は松田 秋夫(まつだ あきお)。 現役時代の体格は176cm、126kg。 得意手は左四つ、寄り。 最高位は東前頭2枚目(1973年1月場所)。 199 花光節夫 岩手県 八幡平市 花光 節夫(はなひかり せつお、1940年6月21日 - ?)は、岩手県岩手郡松尾村(現在の同県八幡平市)出身で、花籠部屋に所属した大相撲力士。 本名は遠藤 節夫(えんどう せつお)。 身長178cm、体重132kg。 得意手は左四つ、寄り。 最高位は東前頭3枚目(1968年1月場所)。 200 前田川克郎 岩手県 奥州市 前田川 克郎(まえだがわ かつろう、1939年2月9日-1998年11月4日)は、岩手県江刺市稲瀬(現役当時、現・同県奥州市)出身で、高砂部屋に所属した大相撲力士。 大相撲の黄金時代の一つである、「柏鵬時代」に活躍した力士の1人である。 本名は高橋 勝郎(たかはし かつろう)。 最高位は西関脇(1961年7月場所・1962年7月場所)。 現役当時の体格は170cm、117kg。 得意手は左四つ、寄り、突き、押し。 201 及川煌久 岩手県 奥州市 及川 煌久(おいかわ てるひさ、本名:及川 耕貢(- こうぐ)、1936年12月16日- )は、1950年代後半から1960年代初めにかけて活躍した、岩手県胆沢郡前沢町(現役当時、現在の同県奥州市)出身の大相撲力士である。 現役時代は、高砂部屋(入門時は尾上部屋)に所属した。 身長176cm、体重120kg。 得意手は左四つ、寄り。 最高位は東前頭10枚目(1960年9月場所)。 202 大海竹郎 岩手県 八幡平市 大海 竹郎(たいかい たけろう、1933年8月8日-)は、花籠部屋に所属した元力士。 本名は佐藤 竹郎(さとう たけろう)。 現在の岩手県八幡平市出身。 176cm、86kg。 最高位は東十両10枚目。 得意技は左四つ、寄り。 203 宮錦浩 岩手県 宮古市 宮錦 浩(みやにしき ひろし、1927年5月30日-1992年7月6日)は、1950年代に活躍した大相撲力士である。 本名は野澤 浩(のざわ ひろし)。 高砂部屋(入門時は芝田山部屋)に所属していた。 最高位は西小結(1955年1月場所)。 得意手は左四つ、寄り。 現役時代の体格は171cm、119kg。 204 美楯山海一郎 岩手県 盛岡市 美楯山 海一郎(みたてやま かいいちろう、1925年7月20日-)は、立浪部屋、時津風部屋(当初は双葉山相撲道場)に所属した元力士。 本名は樋下 茂(ひのした しげる)(旧姓田上)。 岩手県盛岡市出身。 174cm、77kg。 最高位は東十両2枚目。 得意技は右四つ、上手投げ。 205 木村庄之助 27代 岩手県 盛岡市 27代 木村 庄之助(きむら しょうのすけ、本名:熊谷 宗吉(くまがい そうきち)、1925年12月3日 - )は、大相撲の立行司の一人である。 木村庄之助としての在位期間は1977年11月〜1990年11月。 立浪部屋所属。 206 柏戸秀剛 岩手県 洋野町 柏戸秀剛 かしわど ひでたけ、1918年5月3日-1982年12月11日 は、春日山部屋に所属していた岩手県九戸郡種市町 現洋野町 出身の元大相撲力士である。 本名は佐々木秀剛。 最高位は東前頭筆頭(1947年6月場所)。 現役時代の体格は186cm、96kg。 得意手は右四つ、吊り、上手投げ。 207 照錦富治 岩手県 花巻市 照錦 富治(てるにしき とみじ、1911年6月15日 - 1971年3月9日)は、伊勢ノ海部屋、花籠部屋に所属した元力士。 また11、13代放駒、10代花籠。 本名は照井 富治(てるい とみじ)。 現在の岩手県花巻市出身。 164cm、105kg。 最高位は西十両4枚目。 得意技は右四つ、寄り、下手投げ。 208 宮城山福松 岩手県 一関市 宮城山 福松(みやぎやま ふくまつ、1895年2月27日 - 1943年11月19日)は、岩手県西磐井郡(現:岩手県一関市)山目町出身の元大相撲力士。 第29代横綱。 本名は佐藤 福松(さとう ふくまつ)。 209 錦木塚五郎 岩手県 花巻市 錦木 塚五郎(にしきぎ つかごろう、生年不明 - 1821年8月26日〈文政4年7月29日〉)は、二所ノ関部屋に所属した元力士。 宮城県 210 五城楼勝洋 宮城県 仙台市 五城楼 勝洋(ごじょうろう かつひろ、本名:小島 章朋(こじま あきとも)、1973年8月18日 - )は、仙台市青葉区出身で間垣部屋所属の元大相撲力士。 身長191cm、体重156kg。 血液型はAB型。 得意手は左四つ、寄り、突き、押し。 最高位は東前頭3枚目(1998年7月場所)。 趣味は釣りとパソコン。 現在は年寄・濱風。 211 泉田純至 宮城県 泉田 純(いずみだ じゅん、1965年10月28日 - )は、男性プロレスラー、元大相撲力士。 宮城県栗原郡一迫町出身。 全日本プロレス、プロレスリング・ノアを経て、現在はフリーランス。 212 泉田純 宮城県 栗原市 泉田 純(いずみだ じゅん、1965年10月28日 - 2017年1月? 日)は、日本のプロレスラー、元大相撲力士。 宮城県栗原郡一迫町出身。 全日本プロレス、プロレスリング・ノアに所属していた。 213 青葉山弘年 宮城県 大郷町 青葉山 弘年(あおばやま ひろとし、本名:高橋 幸一(たかはし こういち)、1950年4月3日 - 1997年9月24日)は、宮城県黒川郡大郷町出身で、1970年代半ばから1980年代にかけて活躍した大相撲力士。 現役時代は、木瀬部屋に所属した。 身長187cm、体重132kg。 得意手は右四つ、吊り。 最高位は東小結(1979年1月場所)。 1部マスコミには起重機と呼ばれていた。 214 不知火親方 宮城県 仙台市 青葉城 幸雄(あおばじょう ゆきお、1948年11月14日- )は、宮城県仙台市太白区出身で、1970年代から1980年代にかけて活躍した大相撲力士。 押尾川部屋(入門時は二所ノ関部屋)に所属した。 本名は庄司 幸雄(しょうじ ゆきお)。 現役時代の体格は181cm、152kg。

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弘前市出身の有名人

津軽 なまこ 津軽 の プリンス の 愛称 が ある 元 大相撲 力士 は

でのにて (2017年3月4日 基礎情報 四股名 旭富士 正也 本名 杉野森 正也 愛称 津軽なまこ 、津軽のプリンス 、組長 生年月日 1960-07-06 (59歳) 出身 ・ (現) 身長 188cm 体重 143kg BMI 40. 46 所属部屋 得意技 右四つ、寄り、、出し投げ、 成績 現在の番付 引退 最高位 第63代 生涯戦歴 575勝324敗35休(67場所) 幕内戦歴 487勝277敗35休(54場所) 優勝 幕内最高優勝4回 幕下優勝1回 三段目優勝1回 序ノ口優勝1回 賞 2回 2回 5回 データ 初土俵 1月場所 入幕 3月場所 引退 1月場所 引退後 師匠 他の活動 日本相撲協会 理事(4期) 2013年1月 - 2017年12月 2020年3月 - 備考 金星2個(1個、1個) 現在 目次• 来歴 [ ] 大島部屋入門まで [ ] 、私立在学中は部に所属。 高校時代ので行われたでは、少年の部の団体優勝に貢献した。 高校卒業後も相撲の名門である近畿大学() に入学したが、近大相撲部の合宿所での団体生活に馴染めない等の事情により、2年時に相撲部を退部、近畿大学も一旦退学していた。 暫くは故郷の青森に戻り、に従事していた が、その一方で相撲の稽古も一人で続けていた。 その光景が親方(元・)の目に止まってを受ける。 一度は断ったものの、その後大島部屋への入門を応諾したきっかけは、旭富士が初土俵の時点で大島部屋がまだ創設丸1年と歴史の浅い小部屋で、が一人も所属していなかったという理由もあると言われている。 後年本人がのインタビューで、漁が休みの日におじの薦めで東京見学へ行って相撲部屋を見学したことが角界入りのきっかけと明かしており「大島親方に『ハンコを出せ』と言われ、出したら勝手に使われて入門が済し崩し的に決定した。 騙して部屋に置けば何とかなるとでもおじは思っていたのだろう」と入門に至るまでの経緯も詳しく語った。 同じインタビューでは、入門時点で自身が20歳と部屋の所属力士最年長であったためやりやすかったとも話していた。 シンガーソングライターで相撲甚句も歌う曰く入門当初はのような風貌であったという。 初土俵〜関脇時代 [ ] (昭和56年)1月場所。 実質無条件(体重別選手権に上位入賞する程度)であった基準を満たす前に中退したため、20歳でありながらから始めるという当時としては珍しい角界人生の幕開けだった。 それは本人も自覚しており「初土俵から1年で」と目標を持つことで力士寿命の面で損をしている点を補っていた。 師匠の稽古は厳しく、夕方にも朝稽古と同等の稽古を行ったほどである。 最大で30人程いた部屋の弟子もその厳しい稽古に耐えかねて次々と廃業したが、青森に帰郷した後も稽古を積んでいた杉野森には苦にならず、むしろ師匠が「いい加減にしろ」というまで、四股、鉄砲、すり足と延々とやっていた。 本名の杉野森で取った前相撲では格の違いを見せ、3月場所は優勝。 5月場所からを「旭富士」と改めた。 これは師匠・大島親方の現役時の四股名・と、入門当時に頭角を現した「」第58代・にちなんで名づけられたという。 もっともこれは若名乗りの名で、大島親方やタニマチはに昇進したら大島の現役時代の四股名を継がせ、「旭國」を名乗らせる予定でいたが、が宴席で「早く幕内に上げて、親方の名前を継がせなきゃ」と切り出した際、本人が「自分の名前を大きくしたいから」と断り、大島親方は憤慨しつつも結局許され、最後まで旭富士で通したという逸話が伝わっている。 前述の目標より1場所遅れたものの、新十両まで7場所と十二分なスピード出世を果たす。 (昭和58年)3月場所新入幕、前頭10枚目で8勝7敗と。 ちなみに(のち第62代横綱)もこの場所新入幕で、後の横綱2人が同時に昇進する場所となった。 翌5月場所は初の上位挑戦となる前頭4枚目まで上昇、3日目に当時新大関のと初顔合わせの対戦でいきなり殊勲の星を挙げたが、同場所は結局4勝11敗のに終わった。 関取になっても自分の他に部屋の関取がいなかった時期にはやに出向くなどして、その柔軟な体を活かした技能を磨いた。 1983年9月場所13日目の大関・戦では前袋を掴まれてれた挙句、がその反則に気付かなかったというハプニングに見舞われた。 続く11月場所で昇進。 新を射止めた際には入門時と同じように年齢的なハンデを志の高さで補うつもりで「5年で大関」と目標を語った。 この時は関取衆から笑われたといい「大学時代の実績が皆無なのに目標だけは高いから、それは笑うはず」と本人も自覚していた。 しかし同場所は3日目大関・を破るも6勝9敗。 前頭4枚目の翌(昭和59年)1月場所3日目、第61代横綱・戦で右足首をする怪我により途中、同年3月場所は幕尻(前頭14枚目)まで降下してしまった。 非力ながら前さばきが良く、懐の深さを生かした柔軟な体つきが持ち味で、新入幕当時から将来の候補と期待されていたが、当初は三役に定着できず伸び悩んだ。 しかし、バーベルトレーニングなど体力面の強化が実り、地力が徐々にアップした。 1984年7月場所で第55代横綱・を破り初。 同年11月場所では幕内では初の2ケタ勝ち星の11勝4敗を挙げ初のとなるを受賞。 (昭和61年)1月場所には新で、それ迄一度も勝てなかった千代の富士にやっと初勝利するなど、11勝4敗の好成績を挙げ初の殊勲賞を受賞。 この年以降2度平幕に落ちた以外は三役に定着。 2度目の関脇復帰となった(昭和62年)3月場所で10勝5敗を挙げると以後、10勝5敗、11勝4敗、12勝3敗と安定した成績を収め、同年9月場所後に待望の大関昇進を決めた(直近3場所合計33勝12敗)。 幕内から三役時代には技を活かして勝つ相撲が多く、技能賞を5回も受賞した。 この間、同門の横綱の時にはを務めた。 大関時代 [ ] 新大関の(昭和62年)11月場所では11勝4敗の成績を挙げ、大関2場所目の翌(昭和63年)1月場所は初日から13連勝し、14日目に第61代横綱・に敗れ初黒星を喫したが、では大の苦手としていた横綱・千代の富士を下し、14勝1敗で念願の幕内初優勝を果たした。 次の横綱候補に名乗りを挙げ、翌3月場所で初の綱獲りに挑んだが、初日にいきなり苦手の戦で黒星発進、終盤で共に進出の横綱大乃国・北勝海に共に敗れて12勝3敗で惜しくも綱獲りは失敗に終わった。 その後も7月場所の11勝以外は全て12勝を挙げる安定ぶりで、自身初の(73勝)を受賞。 1988年は年間を通して常に安定した成績を収めていたが、終盤まで優勝争いに加わるもここ一番で敗戦(1988年は5月場所から11月場所にかけて千代の富士が53連勝していて、旭富士は場所最終盤で千代の富士に敗れるパターンが続いた)し、あと一歩で優勝を逃すという場所が続いた。 (平成元年)1月場所では、初日から3場所連続全休明けの北勝海と共に12連勝。 13日目に大乃国に敗れついに1敗するも、14日目に最大の難敵・千代の富士を破った。 そして、一人14戦全勝だった北勝海を、共に14勝1敗同士の優勝決定戦へ進出するも、決定戦では逆に北勝海に寄り倒されてしまい優勝同点に留まる。 翌3月場所では13勝2敗の成績を挙げ優勝次点だったが、中盤の連敗と千代の富士戦が千秋楽休場によるだったことも響いて綱獲りならず。 さらに5月場所も13勝2敗で優勝決定戦に進んだが、その決定戦では再び北勝海に呆気なくされて、又しても優勝同点に終わってしまう。 このように1989年1月場所から5月場所の連続3場所で40勝5敗、優勝同点2回の好成績を収めており、横綱昇進の基準である「大関で2場所連続優勝、 又はそれに準ずる成績」に該当し、横綱になって当然の筈であった。 だが1987年11月場所後、優勝経験が一度も無しのまま横綱昇進した同門()の第60代横綱・()が不祥事で廃業したことから、当時は横綱昇進基準厳格化の声が高まっており、その煽りをまともに受ける格好で不運にもことごとく昇進が見送られた。 横綱推挙を見送られ続けたショックからか旭富士は暴飲暴食に走り、次の7月場所には大関昇進前に発症した持病のを悪化させてしまった。 その影響からなる稽古不足も祟ってか、中盤辺りから崩れて8勝7敗に終わり、綱獲りは完全に白紙に戻されてしまった。 この病はその後も約1年近く苦しみ、7月場所から翌(平成2年)3月場所まで5場所連続で8・9勝の1桁勝ち星に終わる など、それまでの活躍が嘘のように不振が続いた。 慢性膵炎の治療により食事制限が課され、野菜と米だけで15日間乗り切らざるを得なくなった場所も1度経験したという。 当時29歳の年齢もあり、好角家やマスコミ陣などから「横綱昇進は絶望的」と見られ、「悲運の大関」で終わるかとも思われていた。 それでも病気は徐々に回復していき、(平成2年)5月場所ではその他横綱・大関陣らと共に初日から7連勝。 中日に千代の富士に敗れるも14勝1敗で、14場所ぶり2度目の優勝を遂げ、再び横綱候補に名を挙げた。 30歳で迎えた翌7月場所は3日目に平幕のに苦杯を喫したが、4日目から11連勝して単独トップ、千秋楽結びの一番では、宿敵の千代の富士を倒して14勝1敗で3度目の優勝を2連覇で果たし、場所後に苦労の末ようやく横綱昇進を達成した。 この千代の富士との対戦、二人が際投げの打ち合いになり、旭富士が千代の富士の頭を押えつけながら掬い投げで下した。 「取組の直後、極度の疲労により20分から30分の間吐き気に襲われた」と当時の様子を後に本人が述懐している。 なお旭富士の大関在位の17場所中、負け越し・は一度も無かったが、横綱昇進者ではの32場所に次ぐ長期記録となっている。 横綱時代〜引退 [ ] 旭富士の横綱昇進により、が平成時代に入ってからは初めての横綱誕生・1987年11月(番付上は1988年1月)場所以来約3年振りの(千代の富士・北勝海・大乃国・旭富士)と成る。 では、これまで膵炎で何度も入院した経験もあって「健康に留意して相撲を取ります」との文言を口上に採用した。 は、人数が少なく「短命」のが有る不知火型を敢えて選んだが、これは所属するが代々不知火型を採用していた(・・双羽黒)という事情もあった。 土俵入りの指導は一門外の親方(元横綱・)が行った。 また後によく行われるに乗っての記念撮影では、珍しく部屋の関取衆(・・)が組んだ騎馬に乗った。 新横綱の1990年9月場所は初日から12日目まで12連勝を達成。 先場所から24連勝を記録したが、13日目で大関に初黒星を喫した。 そして千秋楽結びの一番は、北勝海と横綱同士13勝1敗での決戦となったが、北勝海に敗れ13勝2敗の優勝次点に留まり、惜しくも旭富士の3連覇はならなかった。 翌11月場所では優勝争いに名を連ねる12勝3敗を挙げるも序盤で2敗しており、14日目には千代の富士に敗れた直後31回目の優勝を許す形となった。 それでもこの年は2年ぶり2回目の年間最多勝(70勝)を受賞。 翌年(平成3年)1月場所と、続いて3月場所も序盤での取りこぼしが見られ11勝4敗に終わるなど、横綱昇進以降はやや成績下降の状態が続いていた。 横綱5場所目の同年5月場所、横綱陣は初日から北勝海と大乃国が全休、さらに千代の富士も3日目の相撲を最後に引退(平成時代初の4横綱は5場所で解消)したため、4日目から旭富士だけのとなる。 5日目に敗れたものの、その後は連勝を続け14日目で13勝1敗、14連勝で単独首位の大関を追う展開になった。 千秋楽結びの一番、旭富士はで小錦の両廻しを掴みながら、二人は14勝1敗同士の優勝決定戦にもつれ込む。 そして決定戦でも旭富士は左へのから、最後は で巨漢の小錦を見事に横転。 本割り・決定戦の連勝を果たし、大逆転で旭富士が4度目の幕内優勝を飾った。 旭富士にとって横綱昇進後では初めての優勝だったが、これが現役最後の優勝ともなった。 翌7月場所は優勝候補筆頭と言われたが、初日で新小結・に敗れ、その後も膵臓炎の再発で大きく崩れてしまい8勝7敗。 なお、この場所千秋楽の北勝海戦が、日本出身力士の横綱同士による最後の対戦となっている。 又これが旭富士の現役最後の千秋楽まで皆勤場所となった。 9月場所は2日目のに、右手一本ので吹っ飛ばされる等散々の内容で6日目より途中休場、平幕時代の1987年1月場所から続いた連続勝ち越し記録も、28場所でストップした。 翌11月場所も慢性膵炎と分離症のため全休した。 そして復帰した(平成4年)1月場所、病が回復しないまま で進退を賭けて臨んだものの、初日・、2日目・安芸ノ島に良い所無く連敗。 最後の相撲となった3日目・若花田にもで敗れて3連敗を喫してしまい、同場所限りで現役引退を表明。 横綱が初日から3連敗したのはにが達成するまで、26年10か月にわたりワースト記録であった。 引退会見では「気力の限界で、もう力が出ないので引退させていただきます」と力が抜けるように言い放つ。 在位数は僅か9場所のに終わった。 引退の理由は膵炎の悪化であり、後に旭富士は、太田雅英の「もう少しやれたのではないか、という気持ちにはならなかったですか」という問いに対して「二、三場所は休まないといけないという状態だったから。 横綱が長く休んでいたら、絵にならないでしょう」と答えている。 は、1992年9月場所後に行われた。 当時は横綱空位だったため、同じ大島部屋所属の幕内力士だった・旭道山と・旭里を従えて、旭富士として最後の横綱土俵入りが披露された。 では、止めバサミを大島親方が入れると、感極まって旭富士は大粒の涙を流した。 親方として [ ] 引退後、四股名の「旭富士」を年寄名としてを襲名。 その後、若いころから目をかけてくれた同じ青森県出身で同じ一門の親方(元)が病気を理由に廃業する意向を示したことから、引退相撲の後に、後継者として大島部屋からへ移籍する。 (平成5年)春に年寄「安治川」と安治川部屋を継承し、旭富士親方改め安治川親方となり、その後はらを関取に育てあげた。 また(系列)では、力士に対して厳しい解説が話題を呼んだ。 当時の安治川親方は「の切り方などを実際にやって見せられるから」と40代半ばに入っても廻しを締めて稽古場に下りて稽古をつけていた。 部屋を受け継いだ直後には、相撲雑誌のインタビューに答えて、陸奥北海やに稽古をつける際、どれだけ力を入れるかを「こうですね」と笑いつつ実際に動作をしてみせたこともある(春日富士に胸を出し、転がす時の方が少し力が入っている)。 なお、部屋継承後の直弟子で関取の、その兄は、彼の従兄弟の息子である。 (平成19年)5月場所後、安治川部屋(当時)と同じ立浪一門であるから、一門では旭富士以来17年ぶりにが横綱に昇進した。 には白鵬に対し、不知火型の横綱土俵入りを指導。 その土俵入りに「オレよりも上手。 足腰の構えが低くて、格好良いよ」と絶賛していた。 2007年、は年寄「安治川」(4代)の、「伊勢ヶ濱」(9代)への名跡変更を承認。 結果暫く断絶していたを再興し、名門復興へ歩み出した。 (平成23年)、従兄弟半の安壮富士のへの関与の責任として、委員から主任へ降格。 (平成24年)の理事選挙に立候補したが、落選した。 同年9月場所後、出身の愛弟子で大関・が第70代横綱へ昇進が決定。 日馬富士も伊勢ヶ濱親方と同様横綱土俵入りは不知火型を選択。 しかし指導の際、土俵入りを数度間違える日馬富士に対し「一つ一つ動作を決めないと、流れでやると決まらない。 (白鵬より)時間が掛かり過ぎ、イメージして来なかったのかな。 相撲を十番取る位の気迫がなければ」と辛口の評価だった。 なお、同年11月場所は白鵬・日馬富士の二人共不知火型を披露したが、複数の現役横綱が不知火型を継承することは大相撲史上初めてのケース。 (平成25年)、理事補欠選挙に立候補し、無投票で当選した。 同年2月4日の職務分掌で、大相撲の長に就任した。 2013年11月場所4日目に吐き気等の体調不良を訴え、日本相撲協会は胃の検査を理由に伊勢ヶ濱が千秋楽まで休場することを発表した。 同場所後の12月7日に退院、体重は10kg痩せて95kgとなっていた(病名は膵炎)。 退院後は通院せず薬の服用で回復に努める方針が示され、同月20日の理事会から公務に復帰した。 (平成26年)の理事選挙でも当選し、審判部長に留任となる。 (平成27年)には、横綱日馬富士と同じモンゴル出身のが大関昇進を果たした。 (平成28年)の理事選挙で3選し、の職務分掌で、審判部長から部長に異動となったが 、(平成29年)11月場所は審判部長の休場により審判部長代理を務めた。 この場所中に、日馬富士が場所前にへ暴行を働いたことが発覚し、場所後に日馬富士が引責引退したことに合わせて、監督責任を取るため自身の理事辞任を願い出た。 当時は相撲協会の危機管理委員会が事件について調査中だったため慰留され、調査終了に伴い同年12月20日の理事会を以って辞任となった。 辞任後は2階級降格で役員待遇委員となり、職務もへ異動になった。 (平成30年)の理事選挙は立候補を辞退し、選挙後にはへ異動している。 2019年12月19日に都内で伊勢ヶ濱一門の一門会が開かれ、2020年1月場所後の理事候補選に出馬する見込みとなった。 1月30日の役員候補選は定員を超過しなかったため2008年以来6期12年ぶりに無投票となり、伊勢ヶ濱を含めた理事候補10人、副理事候補3人が全員当選。 同年3月23日の評議員会で正式に理事として選任され 、同月25日の理事会で審判部長を務めることが決まった。 (令和2年)7月6日、満60歳の誕生日を迎える。 を両国国技館にて、当初はに実施する予定だった。 しかし、がを受け、2020年5月場所の初日開幕がから、へ2週間先延ばしする状況に伴い 、伊勢ケ浜の還暦土俵入りも延期する事となった。 横綱審議委員会稽古総見(両国国技館 2017年5月3日撮影) 人物・エピソード [ ]• 非常にユーモアのある性格で、正月の歌番組に出演したときはいつも笑わせる芸を行っていた。 の最後の土俵になった1990年11月場所千秋楽結びの一番に勝つと、旭富士はを庄之助への餞別にし、「いつも力士に懸賞を渡してばかりだが、一度くらい自分がもらってみたいもんだ」と言っていた庄之助を喜ばせた。 一部のマスコミ陣には評判が悪く、かつて同じ立浪一門の元横綱双羽黒らと同様「稽古嫌い」等とさんざんに書き立てられていた。 それについて、引退後の旭富士は「病気の影響で稽古出来なかったのは自身にとって一番辛い事だが、別にそれを分かって貰おうとは思わなかった。 誰が何を批判されようが関係ないし、『自分は自分』とだけ考えていた」と述懐している。 さらに横綱在位が短命に終わった事に関しても「横綱になって初の幕内優勝(1991年5月場所)を達成後、次の目標を見失ってしまった。 しかしそれ迄自身が掲げていた目標は全て達成出来たので、相撲人生に悔いは全く無い」とコメントしていた。 相撲ぶりは前捌き・差し身の巧さなど、センスが大変抜群で柔軟性が有り突き押し相撲への相性が良かったことや、取り口も「天才型風」なイメージがあった ため、「なまこ」との異名もあった。 しかし「」は旭富士の故郷・青森県では悪い意味も含まれる事があって、自身はそのように呼ばれるのは嫌だったという。 旭富士は引退後「おれはあのころ『大相撲ダイジェスト』で『津軽のプリンス』って言われ始めたところだったんだ。 それが急に『ナマコ』だもんなあ」と言っていたことが時事通信の記事で明らかになっている。 食べ物はが好物。 スイカはに持病のある 旭富士にとって、膵臓の機能回復の役割を果たす食品でもある。 さらに出身地の木造町(現つがる市)は、スイカの名産地である。 「」に連載された漫画『』では旭富士にソックリな「横綱旭富司」が応援団員の一人と相撲で対決するシーンがほぼ一話じゅうに描かれている。 また、作のTRPGのサプリメント「天羅万象ビジュアルブック」には旭斧持という名前の力士が設定イラストに登場している。 の信徒であり、同教の機関紙のインタビュー記事に登場したこともある。 安治川時代に行った「大相撲ダイジェスト」での解説が、現役力士達に対してあまりにも辛辣だったために、新聞の投書欄、ラジオ、週刊誌等で大きな話題となる。 足を滑らせたような形で敗れた、かつての兄弟弟子である旭道山に対しては、「滑るんなら履かなきゃいいのにね」と言い捨てたこともあった。 パソコンをの時代から使用しており、部屋のホームページを自ら作成している。 験担ぎを好まない性格であり、四股名「旭富士」を旧大島部屋女将から命名された時には「四股名なんて何でもいいんじゃないの」と受け止め、不知火型の土俵入りを選択した際にも全く短命のジンクス を意に介さなかった。 指導力に定評があるが、非常に厳しい親方としても知られている。 現役時代は「優しそう」「厳しさ、凄味に欠ける」など柔和な印象を持たれていたが、かつて2013年3月~2016年3月場所迄の約3年間審判部長を担当時、立合い不成立が起こる度に厳しい形相で怒声を飛ばす姿が話題になり、生放送でその声が流れたこともあった。 メディアでもしばしば「スパルタ指導」「非常に厳しい親方」と報道されており、は「親方は普段は優しいのに、怒ると一番怖い。 鬼みたいだ」と語っている。 その厳しさから、照ノ富士がを出稽古に誘っても怖がって伊勢ヶ濱部屋へ来ないというエピソードも生まれている。 技術的な指導を行っているのは伊勢ヶ濱部屋だけと言われ、また元・(現・親方)は「我々の頃と同じ稽古量をこなしているのは伊勢ヶ濱部屋くらい」とも語っている。 拙い相撲を取った弟子に対しては非常に辛辣な評価を下す。 それは日馬富士が横綱になっても変わらず、2013年夏場所五日目に2敗を喫した時は「ちょっと太ったくらいで勘違いしやがって」と切り捨てていた。 また、日馬富士が足首のケガで負けが込んだ時も「休場? 歩いてるじゃん」と一蹴した。 しかし、大抵の親方が優勝した弟子を握手で出迎えるのに対し、伊勢ケ濱親方は日馬富士が幕内優勝した時には毎回抱擁で祝福している。 同親方によると、「うちはいつもそうだよ。 挨拶みたいなものだから」との事。 2015年(平成27年)3月場所11日目、その場所快進撃を続けていた照ノ富士がに力なく敗れ、事前にトイレに行くのを忘れて便意を催して力が入れられなかったという敗戦の弁を聞かされた際、「出せばいいんだよ。 俺は出したことがある。 出しても勝つ方がいいだろ。 根性ねえな」と言ったという。 このエピソードをイチジク浣腸を販売するの社員が新聞記事で知り、同年5月場所から毎日1本イチジク製薬からの指定懸賞が設定されるようになった。 小学生の時にに興味を持ち、今ではプロ級の腕前となり、『』に出演した際には、手品で十分食べて行けるだけの自信があると語っている。 日馬富士の引退会見では大挙したワイドショーのスタッフの質問攻めに疲れて腹を立てる場面もあった。 因みに、伊勢ヶ濱を怒らせた1人とされるのアナウンサーに関しては「おいしい画が欲しくてわざと伊勢ヶ濱を怒らせたのでは? 」という見方もあった。 現役時代に不知火型を経験し引退した横綱が現在も協会に残ってるのは旭富士だけである。 若い頃から筋力トレーニングが大好きであり、親方になってからも弟子には筋力トレーニングの重要性を説き、2009年頃に部屋を改装した際にはウエイトトレーニングルームを設置した。 2020年2月の報道では、自身の還暦土俵入りのために筋力トレーニングを行っているのではないかと伝えられた。 主な成績 [ ] 通算成績 [ ]• 通算成績:575勝324敗35休 勝率. 640• 幕内成績:487勝277敗35休 勝率. 637• 大関成績:194勝61敗 勝率. 761• 横綱成績:71勝29敗24休 勝率. 710• 現役在位:67場所• 幕内在位:54場所• 横綱在位:9場所• 大関在位:17場所• 三役在位:15場所(関脇8場所、小結7場所)• 連勝記録:24(1990年7月場所4日目〜1990年9月場所12日目)• :1988年(73勝17敗)、1990年(70勝20敗)• 連続6場所勝利:75勝(1988年7月場所〜1989年5月場所、1990年5月場所〜1991年3月場所、1990年7月場所〜1991年5月場所)• 通算(幕内)連続勝ち越し記録:28場所(歴代4位タイ・1987年1月場所〜1991年7月場所)• 幕内連続2桁勝利記録:14場所(歴代9位・1987年3月場所〜1989年5月場所)• 幕内連続12勝以上勝利:5場所(1988年9月場所〜1989年5月場所) 各段優勝 [ ]• 幕内最高優勝:4回(1988年1月場所、1990年5月場所、1990年7月場所、1991年5月場所)• 幕下優勝:1回(1981年11月場所)• 三段目優勝:1回(1981年7月場所)• 序ノ口優勝:1回(1981年3月場所) 三賞・金星 [ ]• :9回• 殊勲賞:2回(1986年1月場所、1986年5月場所)• 敢闘賞:2回(1984年11月場所、1987年9月場所)• 技能賞:5回(1985年3月場所、1985年9月場所、1987年5月場所、1987年7月場所、1987年9月場所)• 他にで小錦に1勝、北勝海に2敗がある。 (カッコ内は勝敗数の中に占める不戦勝・不戦敗の数) 合い口 [ ]• 「昭和の大横綱」こと58代横綱・千代の富士とは全く相性が悪く、過去幕内で36回取組の内僅か6勝に留まり、横綱同士とは思えない対戦成績である。 また1988年(昭和63年)11月場所14日目、千代の富士が53連勝を達成した時の相手が旭富士で、この相撲では千代の富士に豪快なで敗れた。 62代横綱・大乃国とも相性が悪く、最終的には大きく差が付いてしまった。 尚旭富士は幕内優勝を4回達成したが、これら全ての場所で大乃国が休場したため対戦が無かった。 更に1989年(平成元年)1月場所で14勝1敗、同年5月場所で13勝2敗と共に優勝同点を記録したが、この内の1敗は両場所とも終盤戦で大乃国に敗れたものである。 但し自身大関に昇進した1987年11月場所以降は一時期4連勝(1988年5月~11月場所)するなど、7勝7敗と五分の成績となっている。 旭富士と同じ立浪一門の60代横綱だった双羽黒にも負け越していた。 しかし1988年1月場所前に双羽黒は師匠らとのトラブルにより廃業、その直後同年1月場所で大関(当時)・旭富士は自身初の幕内優勝を果たしている。 61代横綱・北勝海とは、僅か2つの差で負け越しのほぼ互角の成績(1989年1月・5月場所での優勝決定戦では2敗。 ただし本割りでは両場所共北勝海に勝っていた)である。 先輩大関の小錦(1991年5月場所の優勝決定戦で1勝。 又1986年9月~1989年7月迄14連勝)と、後輩大関の霧島には、二人共に大きく勝ち越している。 先輩大関で旭富士と同じ近畿大学出身の朝潮とは、平幕時代から大の得意としていた。 また先輩大関の若嶋津と北天佑にも、両者揃って旭富士が三役定着~大関昇進前辺りで力関係が逆転した。 旭富士が当時三役の頃に引退した、55代横綱・北の湖と先輩大関・琴風は共に全く互角の成績。 さらに59代横綱・隆の里には初対戦から7連敗だったが、最後の取組となる1985年(昭和60年)9月場所初日、隆の里をてやっと初勝利を収めた。 のち64代横綱・曙には初対戦の1991年1月場所2日目で敗北し金星を許す。 その後2勝したが、最後の対戦となる1992年1月場所初日で良い所無く敗れた。 のち65代横綱・貴乃花(当時貴花田)には初対戦から2連勝したが、最後の取組だった1991年7月場所初日で土俵際上手投げで逆転負けを喫した。 のち66代横綱・若乃花(当時若花田)も初対戦より2連勝するも、1991年9月場所2日目に敗れて金星献上に。 さらに1992年1月場所3日目も下手投げで完敗、この相撲を最後に現役引退した。 関脇以下の中では、安芸ノ島を特に苦手としており、通算4個の金星配給と成る(対戦成績は旭富士の8勝12敗。 うち不戦敗1を含む)。 旭富士自身は引退して間も無い頃、大相撲中継ゲスト出演時に「安芸ノ島は重心が常に低いため非常に攻め辛かった」と語っている。 又、かつて大関時代の頃はにも分が悪く、一時対戦成績が7勝8敗と負け越した時もあった(通算では旭富士の16勝8敗)。 同じく関脇以下では・の兄弟にはそれぞれ32勝4敗、24勝2敗と揃ってカモにしていた。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 時事ドットコム• 同じ大相撲界で近畿大学の出身力士は、(元大関・現親方)や、伊勢ヶ浜部屋の弟子の・などが居る。 近大入学後約1年過ぎた頃に中退・帰郷するも、大相撲界で出世したら近大関係者からはOB扱いされるようになった。 それに違和感を感じていた旭富士は、大関昇進後に同大学通信教育部へ入学し直し、卒業資格を得る事を決意したという。 朝日新聞 2013年1月15日• 北脇貴士の大相撲甚句 2014年6月18日• 尚、旭富士という四股名には、旭國が(昭和42年)3月場所で優勝を果たした際、同場所で優勝を果たした出身・所属の力士の四股名が「旭 冨士」だったという奇遇なエピソードが存在する。 この場所の解説を担当していたからは「やっぱり横綱にしなくて良かった」と散々に切り捨てられた。 その田子ノ浦は平素より旭富士を冷評していた。 特に1989年11月場所は10日目で4勝6敗と黒星が先行、自身大関で初の負け越しも懸念されたが千秋楽で横綱北勝海に勝利、8勝7敗とようやく勝ち越した。 最近の同例は大関昇進時の。 通常は若い衆が騎馬を組むことが慣例。 決まり手の発表は「肩透かし」だったが、実際はとの合わせ技で決まった。 他の横綱陣も北勝海は9勝6敗、大乃国は9日目に引退という成績不振だった。 後に横綱に昇進したやは日本出身力士だったが同部屋だったため対戦は実現しなかった。 当時の50場所に次いで、と並ぶ歴代2位タイだった。 現在は武蔵丸(55場所)・(51場所)・北の湖(50場所)に次ぎ、2代若乃花と並び歴代4位タイ。 『大相撲中継』2017年10月13日号 p. 実際には、投票当日に立候補辞退を申し出ている。 しかし立候補届出後の辞退は認められておらず、結果として票を自らに投じることもなく獲得0票となった。 この理事補欠選挙は、前年の9月に、同じ伊勢ヶ濱一門の現職理事だったが不祥事で退職したことによるもの。 2013年2月1日閲覧。 nikkansports. com 2013年12月10日7時58分 紙面から• 2016年5月12日閲覧。 2017年11月10日. 2017年11月12日閲覧。 日刊スポーツ. 2017年12月20日. 2017年12月20日閲覧。 デイリースポーツ 2019. 20(2019年12月20日閲覧)• 日刊スポーツ 2020年1月30日12時18分(2020年1月30日閲覧)• 「」『産経新聞』、2020年3月23日。 2020年3月23日閲覧。 日本放送協会. NHKニュース 2020年3月25日. 2020年3月25日閲覧。 中日スポーツ 2019. 14(2020年1月3日閲覧)• NHK NEWS WEB 2020. 3掲載• 日刊スポーツ 2020. 5掲載• 週刊新潮1991年9月36号P144~147「二子山親方が暗示した「八百長」で汚れた「取組」」• 日本経済新聞2013年6月11日『スポートピア』• 1987年12月31日には不知火型の土俵入りを選択した同門の横綱・双羽黒が不祥事で廃業しただけに旭富士の横綱昇進時には不知火型の土俵入りの印象が悪くなっていた。 ただし現在では不知火型の土俵入りを選択した白鵬が歴代最多勝記録を更新するなど長命な一方、雲竜型を選択した鶴竜や稀勢の里が故障により休場がちなこともあってそのジンクスは有名無実化している。 日刊スポーツ 2014年7月16日• 北の富士勝昭、嵐山光三郎『大放談!大相撲打ちあけ話』(新講舎、2016年)p19• 2016-02-18号 p. 96-99「新 家の履歴書 474 伊勢ヶ濱正也」• デイリースポーツ online 2015年3月20日• 日刊スポーツ 2016年11月26日9時49分 紙面から• ZAKZAK 2018. 10(産経デジタル、2019年2月2日閲覧)• zakzak 2020. 17(2020年4月20日閲覧)• 右足首関節捻挫により4日目から途中休場• 小錦と優勝決定戦• 慢性膵炎・脊椎分離症により6日目から途中休場• 慢性膵炎・脊椎分離症により全休 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]• - goo 大相撲•

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