明日 は きっと いい 日 に なる 歌詞。 明日はきっといい日になる

明日はきっといい日になる 歌詞「高橋優」ふりがな付|歌詞検索サイト【UtaTen】

明日 は きっと いい 日 に なる 歌詞

追記 2016年12月18日 :画像を追加しました。 読んだら結構面白かったので言及させていただきます。 面白いって感性ほど好みがわかれるものってないですよね。 私はこの歌…… 明日はきっといい日になる ですっけ。 結構好きなんですけどね。 そういうわけで今日は 歌詞の解釈をしていこうかなと思います。 これもやっぱりいろんな知識が必要だったりするわけで。 いずれそういうのも。 くたびれた顔で 電車の中揺られてる人を見た 勇気振り絞って 席をゆずってみた 「大丈夫です」と 怪訝そうに断られたそのあと きまり悪そうに 一人分空いたまんまのシート まあいっかと割り切れなければ とっておきの笑い話にしよう そうさ さんの記事では、 この話のどこが面白いのか?そんなに面白くねえぞ? と書いてありましたが、 もしかしたらそれ自体が一種の冗談かな 私はきっと 「本当に面白いから」この話を取り上げたんじゃないだろうな、と思います。 席を譲ったのに座ってくれない、という体験をしたことがある方ならわかるでしょうが、アレ、すっごく恥ずかしいんですよ。 だから、譲られたら座ってあげてください つまりですよ、この話ってのは本当は失敗談であり、誰が悪いわけでもない、 ただお互いの思いのすれ違いによって生まれた 一方的 羞恥心の話なのです。 こんなことってよくありますよね。 店員さんの声と自分の「レシートいりません」の声がかぶってなんとなく恥ずかしくなったとか。 それを笑い話に転化してしまおう、という思いを感じます。 なぜか?それは後ほど歌詞で語られるのですが。 とりあえずとっておきの笑い話というのは「本当にこのエピソードが面白かったから」そうしたのではない、ということを覚えておいてください。 最後、「まあいっかと割り切れなければ」という条件指定がされています。 なぜでしょうか? それはたぶん、 人間が失敗を忘れにくいようにできているから だと思われます。 失敗というのは恥ずかしい。 恥ずかしいことは人間どうしても忘れられないものです。 どうしても家に帰って、お風呂で、ベッドで、うじうじ考え込んでしまう。 それを 「まあいっか」と楽にとらえることができる人ならまだしも、自分はそんな人間ではない。 だから、半ば自虐的な意味もこめ、とっておきの笑い話にしてしまおう。 失敗したことを悩むくらいなら、自分から打ち明けてしまおう。 そういう人生の対処法…… 上手な処世術を教えてくれているのです。 ちなみにこの4行の最後の部分ですが、最初の2行は「みた」で、次の2行は「あと」「シート」で韻ふんでます。 リズム感を同時に出してますね。 明日はきっといい日になる いい日になる いい日になるのさ 笑い合えたらいい日になる いい日になる いい日になるでしょう この部分、歌詞では何度も出てくるし、盛り上がるところです。 つまり彼の主張はここにあるというわけ。 席をゆずるのに失敗した話も、笑い話に変えていこう そうすればいい日になるはずだ と言っているんですね。 すごくポジティブです。 これを 笑いの転化作用と呼ぶことにします。 ちなみに。 「まあいっか」のところでも利用したこの話ですが、カンのいい方ならお気づきでしょうが、 別にこれ、 席をゆずるのに失敗した話じゃなくてもいいんですよ。 このエピソードが象徴しているのは、 「失敗体験」と 「立ち直ることの大事さ」 笑いの転化 であり、もっと言えば人間関係の行き違いが生み出した奇妙な失敗……それに由来する一方的な羞恥心 恥ずかしさ。 席をゆずるという 「思いやり」が相手からの無理解により突如として 「意味不明な行動」 理解不能な行動 に変わってしまう人間関係の妙を、席をゆずるのに失敗したという身近なエピソードに乗せ軽く歌っています。 この条件を満たすものなら何でもよいのだから、別に席をゆずる話である必要はないはずなんです。 実際は必要です。 後ほど述べますが。 2番にうつります。 大好きな人と会えなくなった時から 心の中にも ポッカリ空席が出来たまんま 悲しみはいつも 突然の雨のよう 傘も持たずに 立ち尽くす日もある 振られて踏まれて地は固まる そこに陽がさせば虹が出る そうだ さきほど「席をゆずるエピソードである必要がある」と述べました。 これは当然、座席の話が2番にかかっているからです。 「心の中にも ポッカリ 空席が出来たまんま」とあります。 1番の転化作用はまだ起こっていないみたいですね。 この時点では。 大好きな人との連絡がとれない日ってめちゃくちゃ落ち込みますよ。 しかも当然前触れはないわけで。 それを「突然の雨のよう」と表現していますね。 転化できないのも無理はない。 たぶん、2人の間には1番でいうところの失敗エピソードと同じことがあったのでしょう。 2人の間にこの失敗があって、いつの間にか連絡がとれなくなっていた。 自分から何か言っちゃったんでしょうね。 彼女はそれに無理解で、2人は気まずくなっていった。 自分はなんとなく恥ずかしい。 こういう失敗があり、さらに彼女と連絡がとれない。 二重にショック。 それでも 振られて踏まれて地は固まる そこに陽がさせば虹が出る 雨降って地固まる、ですか。 それでも彼は失敗を転化しようとします。 太陽を探すのです。 街の色を奪って通過していく雨だって、いつかは上がって虹になるのです。 もしかしたら「振られて」はフラれてのことかな。 それとも 雨に 降られて かな。 両方かもしれません。 十代ほどの 手をつないだ二人が乗ってきて 一つ空いた席を譲り合い笑ってる 思い通りの人生じゃなくても それも幸せと 選ぶことは出来る まぁいっかと割り切れなければ とっておきの笑い話にしよう 十代の2人に自分ははっとするわけです。 幸せってこんなところに転がってたんだ、って。 自分の思い通りにいかない人生を嘆くんじゃなくて、そこから幸せを見出していこうとする。 つまり、 意識の転化がここでも起こっていることになります。 これはB'zの「いつかのメリークリスマス」とも似ていますね。 最後に自分の境遇を他の誰かに重ねて歌を終わらせる方法 この歌は最後にサビが入ってますが。 僕は走り 閉店まぎわ 君の欲しがった椅子を買った 荷物抱え 電車のなか ひとりで幸せだった これは一番 立ち止まってる僕のそばを 誰かが足早に 通り過ぎる 荷物を抱え 幸せそうな顔で これは最後 これです。 一つ空いた席を譲り合う……そういう何気ない幸せに注目するのもいいよね、と最後に述べていることがわかる。 失敗を笑いに転化するのも大事 当たり前のことを幸せに転化するのも大事 と。 だからこれはそういう前向きな歌なのです。 ぽじてぃぶしんきんぐってやつ。 ぜーたおじさん私はネガティブなのでよくわからんが。 結論:いい歌。 皆さんもぜひ聴いてみてくださいね。 zetakun.

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高橋優「明日はきっといい日になる」の歌詞を解釈した

明日 は きっと いい 日 に なる 歌詞

追記 2016年12月18日 :画像を追加しました。 読んだら結構面白かったので言及させていただきます。 面白いって感性ほど好みがわかれるものってないですよね。 私はこの歌…… 明日はきっといい日になる ですっけ。 結構好きなんですけどね。 そういうわけで今日は 歌詞の解釈をしていこうかなと思います。 これもやっぱりいろんな知識が必要だったりするわけで。 いずれそういうのも。 くたびれた顔で 電車の中揺られてる人を見た 勇気振り絞って 席をゆずってみた 「大丈夫です」と 怪訝そうに断られたそのあと きまり悪そうに 一人分空いたまんまのシート まあいっかと割り切れなければ とっておきの笑い話にしよう そうさ さんの記事では、 この話のどこが面白いのか?そんなに面白くねえぞ? と書いてありましたが、 もしかしたらそれ自体が一種の冗談かな 私はきっと 「本当に面白いから」この話を取り上げたんじゃないだろうな、と思います。 席を譲ったのに座ってくれない、という体験をしたことがある方ならわかるでしょうが、アレ、すっごく恥ずかしいんですよ。 だから、譲られたら座ってあげてください つまりですよ、この話ってのは本当は失敗談であり、誰が悪いわけでもない、 ただお互いの思いのすれ違いによって生まれた 一方的 羞恥心の話なのです。 こんなことってよくありますよね。 店員さんの声と自分の「レシートいりません」の声がかぶってなんとなく恥ずかしくなったとか。 それを笑い話に転化してしまおう、という思いを感じます。 なぜか?それは後ほど歌詞で語られるのですが。 とりあえずとっておきの笑い話というのは「本当にこのエピソードが面白かったから」そうしたのではない、ということを覚えておいてください。 最後、「まあいっかと割り切れなければ」という条件指定がされています。 なぜでしょうか? それはたぶん、 人間が失敗を忘れにくいようにできているから だと思われます。 失敗というのは恥ずかしい。 恥ずかしいことは人間どうしても忘れられないものです。 どうしても家に帰って、お風呂で、ベッドで、うじうじ考え込んでしまう。 それを 「まあいっか」と楽にとらえることができる人ならまだしも、自分はそんな人間ではない。 だから、半ば自虐的な意味もこめ、とっておきの笑い話にしてしまおう。 失敗したことを悩むくらいなら、自分から打ち明けてしまおう。 そういう人生の対処法…… 上手な処世術を教えてくれているのです。 ちなみにこの4行の最後の部分ですが、最初の2行は「みた」で、次の2行は「あと」「シート」で韻ふんでます。 リズム感を同時に出してますね。 明日はきっといい日になる いい日になる いい日になるのさ 笑い合えたらいい日になる いい日になる いい日になるでしょう この部分、歌詞では何度も出てくるし、盛り上がるところです。 つまり彼の主張はここにあるというわけ。 席をゆずるのに失敗した話も、笑い話に変えていこう そうすればいい日になるはずだ と言っているんですね。 すごくポジティブです。 これを 笑いの転化作用と呼ぶことにします。 ちなみに。 「まあいっか」のところでも利用したこの話ですが、カンのいい方ならお気づきでしょうが、 別にこれ、 席をゆずるのに失敗した話じゃなくてもいいんですよ。 このエピソードが象徴しているのは、 「失敗体験」と 「立ち直ることの大事さ」 笑いの転化 であり、もっと言えば人間関係の行き違いが生み出した奇妙な失敗……それに由来する一方的な羞恥心 恥ずかしさ。 席をゆずるという 「思いやり」が相手からの無理解により突如として 「意味不明な行動」 理解不能な行動 に変わってしまう人間関係の妙を、席をゆずるのに失敗したという身近なエピソードに乗せ軽く歌っています。 この条件を満たすものなら何でもよいのだから、別に席をゆずる話である必要はないはずなんです。 実際は必要です。 後ほど述べますが。 2番にうつります。 大好きな人と会えなくなった時から 心の中にも ポッカリ空席が出来たまんま 悲しみはいつも 突然の雨のよう 傘も持たずに 立ち尽くす日もある 振られて踏まれて地は固まる そこに陽がさせば虹が出る そうだ さきほど「席をゆずるエピソードである必要がある」と述べました。 これは当然、座席の話が2番にかかっているからです。 「心の中にも ポッカリ 空席が出来たまんま」とあります。 1番の転化作用はまだ起こっていないみたいですね。 この時点では。 大好きな人との連絡がとれない日ってめちゃくちゃ落ち込みますよ。 しかも当然前触れはないわけで。 それを「突然の雨のよう」と表現していますね。 転化できないのも無理はない。 たぶん、2人の間には1番でいうところの失敗エピソードと同じことがあったのでしょう。 2人の間にこの失敗があって、いつの間にか連絡がとれなくなっていた。 自分から何か言っちゃったんでしょうね。 彼女はそれに無理解で、2人は気まずくなっていった。 自分はなんとなく恥ずかしい。 こういう失敗があり、さらに彼女と連絡がとれない。 二重にショック。 それでも 振られて踏まれて地は固まる そこに陽がさせば虹が出る 雨降って地固まる、ですか。 それでも彼は失敗を転化しようとします。 太陽を探すのです。 街の色を奪って通過していく雨だって、いつかは上がって虹になるのです。 もしかしたら「振られて」はフラれてのことかな。 それとも 雨に 降られて かな。 両方かもしれません。 十代ほどの 手をつないだ二人が乗ってきて 一つ空いた席を譲り合い笑ってる 思い通りの人生じゃなくても それも幸せと 選ぶことは出来る まぁいっかと割り切れなければ とっておきの笑い話にしよう 十代の2人に自分ははっとするわけです。 幸せってこんなところに転がってたんだ、って。 自分の思い通りにいかない人生を嘆くんじゃなくて、そこから幸せを見出していこうとする。 つまり、 意識の転化がここでも起こっていることになります。 これはB'zの「いつかのメリークリスマス」とも似ていますね。 最後に自分の境遇を他の誰かに重ねて歌を終わらせる方法 この歌は最後にサビが入ってますが。 僕は走り 閉店まぎわ 君の欲しがった椅子を買った 荷物抱え 電車のなか ひとりで幸せだった これは一番 立ち止まってる僕のそばを 誰かが足早に 通り過ぎる 荷物を抱え 幸せそうな顔で これは最後 これです。 一つ空いた席を譲り合う……そういう何気ない幸せに注目するのもいいよね、と最後に述べていることがわかる。 失敗を笑いに転化するのも大事 当たり前のことを幸せに転化するのも大事 と。 だからこれはそういう前向きな歌なのです。 ぽじてぃぶしんきんぐってやつ。 ぜーたおじさん私はネガティブなのでよくわからんが。 結論:いい歌。 皆さんもぜひ聴いてみてくださいね。 zetakun.

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明日はきっといい日になる 歌詞「高橋優」ふりがな付|歌詞検索サイト【UtaTen】

明日 は きっと いい 日 に なる 歌詞

私ごとではあるが、今俺はちょっと人生のキツイ所にいるんだと思う。 そんな時に高橋優の「明日はきっといい日になる」を聞いて本気で涙が出た。 良い歌だなぁと思ったし、本当に明日からまたがんばろうとも思った。 もちろん俺はこの曲が大好きになった。 だけど、そのその後にうっかり、そううっかりPVを検索してしまったんだ… そしてすごくガッカリしてしまった、という話をしたいと思う。 ここからはマイナスな意見を俺の主観でしか語らないから、この曲のPVが好きだって人には、お前なんなんだって思う人がいると思うので、そんな人はここで読むのをやめてもらった方がいいと思う。 まずは 「明日はきっといい日になる」はこんな歌だから一度聞いて欲しい。 高橋優• ロック• provided courtesy of そして次はPVも見て欲しい。 俺はこの曲が、すごい頑張ったとしても思った通りにうまくいくことなんて少ないんだよ、だけどそれでもいいじゃない、そんな悲しい経験だって自分の糧となって明日に繋がっていくし、明日はきっといい日になるよって応援してくれている歌だと思えた。 しかも、そんなことをバラード調でありがたがって聴けよって歌うんじゃなくて、励ますような楽しい曲調で歌っている事にとても好感を持った。 この人はとても良い人なんだろうなぁ…なんて。 だけど、そんな曲のPVは俺には意味がわからなかった。 意図がぼやけてて伝わって来なかった。 ……だからとっても悲しくなった。 最初はなんか良い雰囲気でPVが始まったから、期待してしまった。 物語が始まるようだった。 歌詞だけではわからない伝えたかったことが映像になっているんだろうなぁ、と漠然と思っていた。 電車にサラリーマンが座っていて、歌の主人公なんだとわかった。 歌詞通りに席を譲ろうとするも、おばちゃんに断られている。 降りる駅に着いたことに気がついて急いでおりようとして、人にぶつかって書類をあたりにぶっ放す。 電車から降りる人々はそんな彼を無視して電車を降りて行く。 みんな素知らぬ顔のなか、一人の男が最後に書類を拾って渡してくれた。 その男がだった。 そしてスッと電車を降りて行く。 まず、このくだりが俺には理解できなかった。 本当にこんなにみんなが人に無関心なのか?人間関係など何もバックグラウンドのない中で見知らぬ人が書類をぶっ放したところを目撃したら、必ず人は手伝ってくれると思う。 世の中そんなにドライじゃない。 (もちろん演出だから、そんなもんってわかっているが…) 俺もコンビニで小銭ぶちまけたことがあるが、店員さんだけじゃなく、そこらのお客さんも小銭拾うのを手伝ってくれた経験がある、少なくとも俺の周りの知らない人の何人かはそうだった。 さらに、その書類を拾う場面のインサートで、サラリーマンの会社での様子(上司に提出書類を破かれ捨てられる、同僚から白い目で見られている)が回想される。 このインサートはどうなんだろう。 冒頭でこのサラリーマンが電車に乗る時に降りてくる中年とぶつかって頭をさげるところで、このサラリーマンがきっとダメなやつなんだろうな、と思わせる刷り込みはすでに完了しているのに… あえてサラリーマンにバックグラウンドを持たせることに意味はないと思った。 会社で虐げられていることをこんなに明確にする必要があるんだろうか? そのインサートの後に先ほどの書類を拾ってくれるシーンに繋がる。 ここも善意で拾ってくれる良い人もいるよと伝えたいのだろうが、俺にはそうは見えなかった。 むしろできないやつを哀れんで見下しているかのような顔に見えてしまった。 そこから物語はサラリーマンと同じ車両に乗っていた女子高生にバトンタッチしていく。 教室の彼女の机は、明らかにいじめであることがわかる落書きでいっぱいだ。 彼女は意を決して、机の落書きを消し始めると誰かが彼女の肩を叩いた、それをきっかけにインサートが始まる。 いじめの落書きだらけの机を、友達と思われる同級生たちが一緒に消してくれている様子だ。 彼女の表情も嬉しさのためか少しずつ笑顔に変わっていく… しかし、インサートが終わると彼女の肩を叩いたのは、いじめている女の子の手であり、生たまごを彼女の机に割るという暴挙に出る。 ここでも俺はこのインサートの意味が全く理解できなかった。 なにを伝えるためのものなのか?昔は本当に友達が助けてくれていたのか?それともただ、そうだったらいいのにという彼女の幻想にすぎないのか?判断ができない。 追記:後日よく見てみると、インサートで助けてくれていた友達たちはいじめっ子と一緒の人だったから、これは彼女の幻想というか希望的なことだったみたい。 たまらず彼女は教室を飛び出していき、そこで一人の教師をぶつかる。 その教師がだった。 彼女は雨の降る屋上に佇んでいた。 きっと泣いているんだろう。 するとそこに先ほどの教師が現れてハンカチを差し出す。 これも非常に疑問だ。 なぜ教師なんだろう?同級生である方がきっと彼女の救いになったのではないかと思わずにはいられない。 先ほどのインサートがどんどん理解できなくなっていく。 画は変わり、先ほどのサラリーマンと行く道が一緒なのであろう、雨の中を少し離れて並んで歩いているずぶ濡れの彼女の手には、先ほどのシーンで渡されたハンカチが握られている。 二人の歩く先に楽しそうに路上で弾き語りの歌を聴いている人たちがいる。 その弾き語りはだった。 二人とも自然と足が止まり、雨に濡れながらも熱唱する弾き語りの歌に聴き入っていく。 傘をさしていたいたサラリーマンは隣で歌を聴いている彼女にスっと傘を差し出す。 彼女もそれに気づいて次第に笑顔に変わっていく。 ただ、ここでもインサートがあり、とが歌を口ずさんでいる場面が… これも本当に意味がわからなかった。 有名人を起用したことでの商業的に必要なシーンなのかもしれないが、なんのためのシーンなのかが伝わってこなかった。 そして、サラリーマンと彼女の笑顔で映像は終わる。 このPVの中で感じた疑問は先述のとおりだが、 ほっこりとした善意に救われるようなPVなのかと想像していただけに、俺の中では、作られた印象の強い善意ばかりに感じて、俺は悲しくなったんだと思う。 もっと人の善意は自然なものだと思うから… 現状は変わらぬままだけど、明日はいい日になるからというだけのことなのかな? テーマはそれで良いんだろうけど、もう少し救いが欲しかったなぁ… それとも見た映像がショートver. だったからわからないことが多かっただけなのかな? ただ、最後のサラリーマンのスッキリとした表情が印象的で少し救われた。 長々とした駄文に最後までお付合いいただきありがとうございます。 一つ付け加えに、出演者個人への誹謗中傷ではないことを付け加えて結びたいと思います。

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