烏許がましい。 『仮名遣意見』森 鴎外 ◀ えあ草紙・青空図書館(無料・縦書き)

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烏許がましい

烏滸(おこ)とは、馬鹿げていてあるいはで人の笑いを買う様な有様を指す。 概要 [ ] に「ヲコ」もしくは「ウコ」として登場し、「袁許」「于古」の字が当てられる。 には「烏滸」「尾籠」「嗚呼」などのが登場した。 平安時代には、特に物真似や滑稽な仕草を含んだ歌舞やそれを演じる人を指すようになった。 後に散楽は「」として寺社や民間に入り、その中でも多くの烏滸芸が演じられたことが、『』に描かれている。 『』(巻28)や『』など、平安・のには烏滸話と呼ばれる滑稽譚が載せられている。 また、 嗚呼絵(おこえ)と呼ばれる絵画も盛んに描かれ、『』や『』がその代表的な作品である。 ・に入ると、「気楽な、屈託のない、常軌を逸した、行儀の悪い、横柄な」(『』)など、より道化的な意味を強め、これに対して単なる愚鈍な者を「バカ()」と称するようになった。 になると、烏滸という言葉は用いられなくなり、馬鹿という言葉が広く用いられるようになった。 参考文献 [ ]• 山本吉左右「烏滸」(『日本史大事典 1』(、1992年))• (嗚呼絵の第一人者であったと伝えられている)• (同上).

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烏許がましい

22 今日電車の中で本を読んでいて、「烏滸の沙汰」という言葉が出てきた。 読める人!?私は読めなかった。 「烏滸がましい」と書けば勘で読めるかもしれない。 そう「おこのさた」と読む。 以前「おこがましい」という言葉の意味を調べていて、もともとは現在私たちが使っているような意味ではないことを知った。 「烏滸」は黄河や揚子江に集まるやかましい人のことで、「滸」(水際)にいる「烏」のようにやかましい人びとといったところらしい(参考:)。 「現在では「身の程知らずな」「差し出がましい」で、そのギャップはかなり大きいと思う。 言葉の意味は時代とともに変わるから、現時点で「おこがましいようですが」と多少謙った物言いをするのは間違いではないが、本来の意味を知るとちょっと使うときに抵抗感が出てくるかも? 本来の意味を知り、本の中での使われ方を読んでいるうちに、ああ世の中「烏滸の沙汰」がたくさんあるなぁと改めて思い、タメイキが出てきた。 東京都知事選のあっけない結果とそれまでの過熱報道を併せて考えても、ああ「烏滸の沙汰」だよなと思う。 ネット内のいざこざも然り。 自分の仕事上でも「烏滸がましい」ことがたくさんある。 というより、どうにかして「烏滸がましさ」に慣れていかなければ続けていけない状況だ。 自分の行動についても、時を経て思い起こせば「ああ、私って烏滸がましいことばかりやっていたわ」と自己嫌悪に陥りそうになることもある。 ふと思ったのだが、私たち(私だけではないと思うのだが・・・)は、あまりにも「烏滸の沙汰」に寛容、もしかしたら鈍感、なのではないだろうか。 馬鹿馬鹿しいとわかりきっていても、黙々と何も言わず現状に従う。 「仕方ない」の一言で。 それでいいのか!と時々自分に問うてみるのだが、未だに「馬鹿馬鹿しいからイヤ!」とは言えない。 ああ、思いきりそう言えたら気持ちいいだろうなぁ。 後は野となれ山となれと腹を括って。 *おほほ。 人形町のに行ったざます。 *ハヤシライスとカニクリームコロッケをごちそうになったざます。 *ちょっと味が濃いかなぁ。 ハヤシライス。 *ユニクロに行って試着したけど買わなかった。 *なんかぴったりしないのよね。 オババだからか? *まだ肌寒い日がけっこうあるのでBABAシャツは手放せませんな。

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060] 小倉山荘では、2000年~2002年にかけて、『ちょっと差がつく百人一首講座』と題したメールマガジンを発行しておりました。 『小倉百人一首』の中から毎回一首ずつ、100回完結の形式で発行いたし、たくさんの方々に愛読いただいておりました。 この度愛読者様からのご要望にお答えし、バックナンバーを作成いたしましたのでおせんべいを召し上がりながらゆったりくつろいでご覧ください。 尚、マガジンの記載内容につきましては発行時点(2000年~2002年)のものであること、お問い合せ等にはお答えできかねますことを重ねてご了承くださいませ。 【つれなく見えし】 「つれなく」は形容詞「つれなし」の連用形で「冷淡だ」などの意味です。 そのまま「つれない」で現代でも意味は通じます。 「し」は過去の助動詞「き」の連体形で、過去の女との別れを回想しています。 また、月のつれなさと別れた女のつれなさを重ねています。 【別れより】 「より」は時間の起点を表す格助詞で、「その時から」という意味になり、現在までの時間の経過を表しています。 【暁(あかつき)ばかり】 「暁(あかつき)」は夜明け前のまだ暗いうちのことです。 「ばかり」は後の「なし」と組み合わせて、「~ほど、~なものはない」という意味になります。 【憂(う)きものはなし】 「憂き」は形容詞「憂し」の連体形で「つらい」「憂鬱な」という意味です。 「夜明け前ほど、憂鬱な時間はない」という意味になります。 もうすぐ夜明けだ。 有明の月は、本当に白々と冷たくそっけない。 逢瀬にと女性の許へ行くと、とても冷たくあしらわれ、追い返すような態度をとられた。 そんなことがあってから、私には、暁ほどつらく憂鬱な時間はないのだよ。 そこそこの年齢の男性読者の中には、ふうっとため息をつかれた方もおられるのではないでしょうか。 しょぼくれた男の哀しさ、とでも言いましょうか。 仕事でくたびれ果てて女性の家へ行ってみたら、もうあなたへの興味は薄れたのよ、他に優しい人ができたの、早いとこ帰ってといわんばかりの態度。 未練がましい態度をとる自分が嫌になるし、袖にされて辛いことばかり。 外へ出ると夜明けの月までそっぽを向いているようだった。 この歌は、今まで紹介してきた恋の歌とは一線を画すものがあります。 相手が冷たくて泣き崩れる女性の歌でもなし、逢瀬を遂げた男が相手に夢中になっている歌でもない。 「癒しの場を求めて得られなかった中年男の背中の歌」なんですね。 現代の仕事に疲れた男にも少し通じる感覚で、「袖の濡れて乾く間もない」大泣きの歌より、じんわり心にくるものがある秀歌です。 こういう歌のような情景が小説になったら、それはハードボイルドなどと呼ばれます。 ハードボイルドというと、日本では大藪春彦の小説で有名になったため、タフな男たちが銃で撃ち合ったり殴り合う小説だと思いがちです。 でも、ハードボイルドの魅力は実は、この歌のような「しみじみとした実感」や「やるせなさ」にあることが多いのです。 ハードボイルドの味は若い人には分からない、なんて言いますが、この歌にも一種そうしたところがあるのかもしれません。 なお、作者には次のような歌があります。 「陸奥に ありといふなる 名取川 なき名取りては 苦しかりけり」 (陸奥にあるという名取川だが、無実の中傷をされては苦しいものだ) 名取川は、宮城県の中央を流れ、「青葉城恋歌」で有名な広瀬川と合流して太平洋に注ぐ大きな川です。 川を見るならJR東北本線・南仙台駅で下車すれば近いですが、観光ならやはり仙台市まで足を伸ばしましょう。 伊達政宗公の居城・青葉城をはじめ、仙台博物館など見どころが満載ですし、5月18・19日の両日には、伊達・火縄銃鉄砲隊演武式やすずめ踊りなどで有名な「青葉祭り」が開かれます。 ぜひ一度訪れてみて、人生の苦みを忘れてしまいましょう。

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