バッハ コンクール。 日本バッハコンクール|音楽の原典を学ぶ

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ国際コンクール

バッハ コンクール

バッハにゆかりのある土地 ヨハン・ゼバスティアン・バッハ( Johann Sebastian Bach, (1685年) - )は、ので活躍した・音楽家である。 の重要な作曲家の一人で、の演奏家としても高名であり、当時からの大家として知られていた。 バッハ研究者の見解では、バッハはバロック音楽の最後尾に位置する作曲家としてそれまでの音楽を集大成したとも評価されるが、後世には、の基礎を構築した作曲家であり音楽の源流であるとも捉えられ、日本の音楽教育では「 音楽の父」と称された。 バッハ一族は音楽家の家系で(参照)数多くの音楽家を輩出したが、中でも、ヨハン・ゼバスティアン・バッハはその功績の大きさから、 大バッハとも呼ばれている。 J・S・バッハとも略記される。 生涯 1685年3月31日、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(以下、「バッハ」とする)は、の町楽師でありの音楽家のの一員であるの8人兄弟の末子として生まれた。 アイゼナハ周辺にはバッハ一族80余名が生活しており、同姓同名の者もおり、そのことはバッハ史研究の難易度を上げている。 バッハが9歳の時に母が死去した。 父は再婚したもののバッハが10歳の時に死去した。 バッハはオールドルフの兄ヨハン・クリストフの家に引き取られて勉学に励んだ。 1700年にに移り、付属学校の給費生となった。 1703年にの宮廷楽団に就職した。 バッハはを担当したが、ヨハン・エフラーの代役でオルガン演奏もこなした。 同年、の新教会(現在は ()と呼ばれる)に新しいオルガンが設置された。 その試奏者に選ばれたバッハは優れた演奏を披露し、そのまま同教会のオルガニストに採用され、演奏の他にの指導も任された。 1705年10月、バッハは4週間の休暇を取り、に旅行した。 アルンシュタットからリューベックまでの約400を徒歩で向かったと言われる。 そして当地の ()のオルガニストを務めるの演奏に学んだ。 当時68歳と高齢だったブクステフーデもバッハの才能を買い、自分の娘マリア・マルグレータとの結婚を条件に後継者になるよう持ちかけた。 聖母マリア教会のオルガニストの地位は若いバッハにとって破格であったが、彼はブクステフーデの申し出を辞退した。 マルグレータはバッハより10歳も年上の約30歳であり、2年前にもとが付帯条件を聞いて後任を辞退している。 バッハがアルンシュタットに戻ったのは1706年1月末で、4週間の休暇に対し3か月以上も留守にしていた。 オルガン演奏の代役は従弟のヨハン・エルンスト・バッハに頼んでいたが、聖職会議は彼を叱責した。 会議はさらに、ブクステフーデから受けた影響であろう「耳慣れない」音を演奏時に出すことや、聖歌隊に対する指導の不備を糾弾した。 その後11月にはまた聖職会議に呼ばれ、合唱隊の中に見知らぬ娘を入れて歌わせたということも非難された。 この娘は後に最初の妻となる遠戚でひとつ歳上のであったとも考えられる。 バッハは教会の上層にあるオルガン演奏席にも見知らぬ娘を招き入れて演奏したり、聖歌隊の音楽としては不適切な、当時としては前衛的な作品を作曲して演奏したりしたことも教会からの評価を下げた。 その頃、すでにバッハの能力は高く評価されていた。 1706年12月にのオルガン奏者ヨハン・ゲオルク・アーレが亡くなり、後任の募集が行われた。 ミュールハウゼンはマリア・バルバラの親戚が市参事会員であった縁もあり、バッハは応募し合格した。 1707年6月に移り住んだバッハは、ミュールハウゼンの聖ブラジウス教会オルガニストに招かれた。 その報酬はアルンシュタット時代とさほど変わらないが、いくぶんか条件は良かった。 同じ年、マリア・バルバラと結婚。 2人の間に生まれた7人の子供のうち、とは高名な音楽家になった。 バッハの生活は決して楽なものではなく、常に良い条件の職場を探し求めていた。 生活の足しにするために、短い曲を作曲してはそれを1曲3ターラー程度で売るという事もしていた。 その一方で、契約した先々で様々な些細なトラブルも起こしていた。 あるときは5つの仕事を同時に引き受けていたが、5つのうち4つでトラブルを抱えていた。 、再びヴァイマルに移ってザクセン=ヴァイマル公国の宮廷オルガニストとなった。 多くの曲はこの時期の作品である。 しかしバッハはここでの待遇にもあまり満足しておらず、にはのオルガニストに応募し採用されたものの、ザクセン=ヴァイマル公が大幅な昇給と昇進を提示して慰留されたことで、ヴァイマルにとどまることとなった。 には楽師長に昇進、一月に一曲のを作曲、上演した。 しかし最終的には、アンハルト=ケーテン侯国宮廷楽長として招聘され、ヴァイマルを離れることとなった。 この時ザクセン=ヴァイマル公は辞職を承諾せず、このトラブルによってバッハは1ヶ月間投獄され、その後解任された。 問題となったのはバッハの契約問題で主家の許可なく他の契約をしたためといわれる。 、バッハはに移り、アンハルト=ケーテン侯国のとなった。 当時のアンハルト=ケーテン侯国は音楽に理解のあるの統治下にあり、恵まれた環境の中で、数多くの世俗音楽の名作を作曲した。 これにはアンハルト=ケーテン侯国がを信奉していたため、教会音楽を作る必要がなかったことも関係している。 5月、ハレに帰郷し家族とともに過していたに、そこから4マイル離れたケーテンにいたバッハが会いに訪れたが、到着した日にはヘンデルが出発した後であったため会うことができなかった。 1720年夏、領主侯に随行した2ヶ月間の旅行中に妻が急死する不幸に見舞われた。 バッハが帰郷したときは妻はもう埋葬された後であった。 翌年、宮廷歌手のと再婚した。 彼女は有能な音楽家であったと見られており、夫の仕事を助け、作品の写譜などもしているだけでなく、バッハの作品とされていた曲のいくつかは彼女の作曲であることが確実視されている。 有名な『アンナ・マクダレーナ・バッハのための音楽帳』は彼女のためにバッハが贈った楽譜帳で、バッハの家庭で演奏されたと思われる曲が折々に書き込まれている。 アンナ・マクダレーナとの間に生まれた13人の子どものうち、多くは幼いうちに世を去っている。 しかし末子は兄弟の中では音楽家として最も社会的に成功し、イングランド王妃専属の音楽家となった他、に大きな影響を与えた。 彼らの他にも、バッハには成人した4人の息子がいるが、みな音楽家として活動した()。 1720年ごろからケーテンの宮廷楽団の予算や規模が縮小されるようになった。 、のの「」に就任した。 カントルの選考会ではバッハは第5番目の候補とされたが、1-4番目に選ばれた候補者4人ともが様々な理由によって辞退ないし就任することができず、バッハにカントルの仕事が回ってきた。 バッハにライプツィヒ市の音楽監督にもなり、を中心とした幅広い創作活動を続けた。 の音楽家として活動していたが、王のカトリックへの宗旨変えに応じ、宮廷作曲家の職を求めカトリックのミサ曲も作曲した。 1729年1月にはハレ滞在中のヘンデルに長男フリーデマンを派遣。 ヘンデルのライプツィヒ招待を申し出たが断られた。 結局、バッハはヘンデルとの面会を強く望んでいたものの、ヘンデルとの面会は生涯実現することはなかった。 当時のヨーロッパにおいては、ヘンデルはバッハよりもはるかに有名であり、バッハはヘンデルの名声を強く意識していたが、ヘンデルの方はバッハをあまり意識していなかったと言われる。 ただし、や、など、バッハとヘンデルの両名と交流のあった作曲家は何名か存在している。 1736年にはの宮廷作曲家に任命された。 1747年にはが仕えていたのの宮廷を訪問、これは『』が生まれるきっかけになった。 しかし1749年5月末、バッハはで倒れた。 聖トーマス教会の楽長という高い地位を妬む者たちが働きかけ、市参事会は後任にゴットロープ・ハラーを任命した。 さらに、以前より患っていた内障眼が悪化し視力もほとんど失っていた。 しかしバッハは健康を回復したため、ハラーの仕事はお預けとなった。 翌1750年3月、の高名ながドイツ旅行の最中ライプツィヒを訪れた。 バッハは3月末と4月半ばに2度にわたって手術を受けた。 手術後、テイラーは新聞記者を集めて「手術は成功し、バッハの視力は完全に回復した」と述べた。 しかし実際には、手術は失敗していた。 テイラー帰国後にバッハを診察した教授によると、視力の回復どころか炎症など後遺症が起こり、これを抑えるための投薬などが必要になったという。 2度の手術に後遺症、薬品投与などの治療はすでに高齢なバッハの体力を奪い 、その後は病床に伏し、7月28日午後8時15分に65歳でこの世を去った。 なお、後年にヘンデルも同医師による眼疾患の手術を受けたが失敗に終わっている。 生前のバッハは作曲家というよりもオルガンの演奏家・専門家として、また国際的に活躍したその息子たちの父親として知られる存在にすぎず、その曲は次世代のからは古臭いものと見なされたこともあり、死後は急速に忘れ去られていった。 それでも鍵盤楽器の曲を中心に息子たちや、、、、、などといった音楽家たちによって細々と、しかし確実に受け継がれ、1829年のによるのベルリン公演をきっかけに一般にも高く再評価されるようになった。 家族 バッハは生涯に2度結婚し、十一男九女の20人の子供をもうけたが、10人は夭逝し、成長したのは男子六人と女子四人の10人に過ぎなかった。 最初の結婚は1707年にヴァイマルでと結婚したもので、1720年にマリア・バルバラが死去するまでの間にカタリーナ・ドロテーア、ヴィルヘルム・フリーデマン、マリーア・ゾフィア、ヨハン・クリストフ、カール・フィリップ・エマヌエル、ヨハン・ゴッドフリート・ハインリヒ、レオポルト・アウグストゥスの五男二女をもうけた。 このうちマリーア・ゾフィア、ヨハン・クリストフ、レオポルト・アウグストゥスの3人は夭逝したものの、長男の Wilhelm Friedemann、1710 - 1784、通称「ハレのバッハ」)と次男の Carl Philipp Emanuel または C. 、1714 - 1788、通称「ベルリンのバッハ」、「ハンブルクのバッハ」 は音楽家として大成した。 1720年にマリア・バルバラが死去すると、同年ケーテンでと結婚した。 アンナ・マクダレーナとの間にはクリスティーナ・ゾフィア・ヘンリエッタ、 Gottfried Heinrich、1724 - 1763 、クリスティアン・ゴットリープ、エリザベト・ユリアーナ・フレデリカ、エルネストゥス・アンドレアス、レジーナ・ヨハンナ、クリスティーナ・ベネディクタ・ルイーザ、クリスティーナ・ドロテーア、ヨハン・クリストフ・フリードリヒ、ヨハン・アウグスト・アブラハム、ヨハン・クリスティアン、ヨハンナ・カロリーナ、レジーナ・スザンナの六男七女をもうけた。 このうちクリスティーナ・ゾフィア・ヘンリエッタ、クリスティアン・ゴットリープ、エルネストゥス・アンドレアス、レジーナ・ヨハンナ、クリスティーナ・ベネディクタ・ルイーザ、クリスティーナ・ドロテーア、ヨハン・アウグスト・アブラハムの7人は夭逝したが、 Johann Christoph Friedrich、1732 - 1795、通称「ビュッケンブルクのバッハ」)と、 Johann Christian、1735 - 1782、通称「ロンドンのバッハ」 は音楽家として大成した。 また、架空の息子? も存在する。 、1807 - 1742 にの教授がバッハの21番目の息子として捏造し、の作品を発表した。 日本のお笑いコンビ「」の(米国出身)は、ドイツ系の母親がバッハの子孫の一人であると主張している。 作品 作品についてはをご覧ください。 ヨハン・ゼバスティアン・バッハは、幅広いジャンルにわたって作曲を行い、以外のあらゆる曲種を手がけた。 その様式は、によるの充填を基礎とした的音楽という、に共通して見られるものであるが、特に対位法的要素を重んじる傾向は強く、当時までに存在した音楽語法を集大成し、さらにそれを極限まで洗練進化させたものである。 したがって、以前に主流であった対位法的なと以降主流となった和声的な音楽という2つの音楽スタイルにまたがり、結果的には音楽史上の大きな分水嶺のような存在となっている。 バッハは、ドイツを離れたことこそなかったが、勉強熱心で幅広い音楽を吸収した。 とりわけ、古典派のにも比すべき論理性と音楽性を持つの巨匠として名高い。 現代においてもなお新鮮さを失うことなく、やに至るまで、あらゆる分野の音楽に応用され、多くの人々に刺激を与え続けている。 ヨハン・ゼバスティアン・バッハの作品はシュミーダー番号(、「バッハ作品目録」 Bach Werke Verzeichnis の略)によって整理されている。 「バッハ作品目録」は、にによって編纂され、バッハの全ての作品が分野別に配列されている。 また、からドイツのヨハン・ゼバスティアン・バッハ研究所()で「新バッハ全集」の編纂が開始され、にバッハアルヒーフ()もこの編纂に参加するが、10年で終わると予想されていた編纂作業はドイツの東西分断などの事情で難航し、「新バッハ全集」103巻が完成したのはのことであった。 「新バッハ全集」には1100の作品が収められている。 現在も作品の整理が継続中である。 管弦楽・協奏曲 器楽だけによる合奏曲では、、、複数のヴァイオリン協奏曲、などがある。 特にブランデンブルク協奏曲や管弦楽組曲には、のもととなる楽章など、広く親しまれている作品が多い。 なお、4台のチェンバロのための協奏曲BWV1065は、の協奏曲(協奏曲集『』Op. 3の10、4つのヴァイオリンとチェロのための協奏曲」の編曲である。 室内楽曲 室内楽曲作品はそれまでとして扱われてきたチェンバロの右手パートを作曲することによって、旋律楽器と同等、もしくはそれを上回る重要性を与え、古典派の二ソナタへの道を開いたヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ、フルートとチェンバロのためのソナタ、ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタなどは特に重要である [ ]。 なお、バッハの場合の「」とはいわゆるバロック・ソナタ(大部分が緩・急・緩・急の4からなるのスタイルをとる)であり、古典派以後の「」より簡潔な形である。 器楽曲 オルガン曲 バッハの器楽曲の中でもオルガン曲は歴史的に重要である。 生前のバッハはの名手として著名で、その構造にも精通していた。 また、聴覚に優れ、教会堂やホールの音響効果を精緻に判別できた。 そのため、各地でオルガンが新造されたり改造された際にはたびたび楽器の鑑定に招かれ、的確なアドバイスと併せて即興演奏をはじめとした名技を披露し、聴衆に圧倒的な印象を与えたと伝えられている。 『故人略伝』が伝える有名な逸話として、、においての神童と謳われたと対戦することになった際、マルシャンはバッハの余りに卓越した演奏に恐れをなして対戦当日に逃げ出し、バッハの不戦勝となったという。 バッハのオルガン作品は、に基づいた「コラール編曲」と、コラールに基づかない「自由作品」(前奏曲、やフーガなど)の2つに分類される。 現存する主要作品は、30曲余りの自由作品と、の4つの集成(を含む)、いくつかのコラール変奏曲である。 クラヴィーア曲 バッハの時代には、はまだ普及するに至っておらず、バッハのクラヴィーア(オルガン以外の鍵盤楽器の総称)作品は、概ねやのために書かれたものとされている。 その多くはケーテンの宮廷楽長時代に何らかの起源を持ち、息子や弟子の教育に対する配慮も窺えるものとなっている。 のソナタが ピアノの新約聖書と称されるが、このバッハの平均律クラヴィーア曲集は ピアノの旧約聖書と称される。 音楽史上最も重要な作品群のひとつである。 第1巻、第2巻および第4巻は手鍵盤のための作品であるが、第3巻には足鍵盤つきの曲が多く含まれている。 その他器楽曲 旋律楽器のための無伴奏作品集には、の2つがある(この他、無伴奏のためのが1曲ある)。 これらは、それぞれの楽器の能力の限界に迫って多声的に書かれた作品群であり、それぞれの楽器の演奏者にとっては聖典的な存在となっている。 特に、無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番の終曲にあたる「」は人気の高い作品で、用やピアノ用など、以降様々なが行われている。 また、バッハは当時廃れつつあったにも強い関心を示し、複数の楽曲(BWV 995-1000、1006a)を残した。 ただし、近年の研究では、BWV 996などいくつかの作品は、ガット弦を張った鍵盤楽器のために書かれたと推定されている。 これらの作品は、今日、に復活したバロックリュートで弾かれるほか、向けの編曲作品も広く演奏されている。 声楽曲 バッハはその音楽的経歴の大部分を教会音楽家として送り、宗教的声楽曲はバッハの作品群の中でも重要な位置を占める。 特に、ライプツィヒ時代の初期数年間においては、毎日曜日のに合わせて年間50~60曲ほど必要となるをほぼ毎週作曲、上演するという、驚異的な活動を行った。 ちなみにバッハは、宗教曲の清書自筆譜の冒頭に「JJ」(:Jesu juva! =イエスよ、助けたまえ)と書き、最後に「SDG」 羅:=ただ神のみに栄光を)と書き込むことを常としていた。 今日残されているのは、による約200曲の教会カンタータ(本来は5年分:約250曲で約50曲がすでに紛失)、2つの受難曲(3番目のマルコ受難曲のレチタティーヴォが紛失)と3つの、6曲の、によるマニフィカト1曲、(ルーテルミサ)4曲と1曲が主要なものである(ドイツ語作品では、の伝統に立脚したが音楽的な基礎となっていることが多い)。 また、それとは別に、宗教的な題材によらない約20曲の世俗カンタータもある。 目的は様々で、領主への表敬、結婚式や誕生日祝い、さらにコーヒー店での演奏会用の作品と見られるもの(『コーヒー・カンタータ』、BWV. 211)もある。 その中にはしばしばユーモアが滲み出ており、バッハの人間性にじかに触れるかのような楽しさが感じられる。 なお、テクストを取り替えること(パロディと呼ばれる)によって宗教的作品に転用されたものも存在する。 ににて初演された。 後世、によって取り上げられ、バッハを一般に再認識させるきっかけとなったと言われている。 MESSE in h-moll BWV232 ミサ曲ロ短調は「バッハ合唱曲の最高傑作」と称されている。 最初の2つの部分、 Kyrie および Gloria はに、 Sanctus がに書かれ、残り大半はからにかけて既存作品を利用しつつ作曲された。 最近の研究では、バッハが最後に完成させた曲とされる。 BWV243 ミサ曲ロ短調と同様、ラテン語の歌詞によっており、ニ長調を主調とする作品である。 特殊作品 バッハが特に晩年になってから手がけた様々な対位法的作品群が、一般に特殊作品として分類されている。 BWV1079やBWV1080に代表される。 この2つの作品は、いずれも1つの主題に基づいて作られており、あるいはの様々な様式が用いられている。 このほか特殊作品として、いくつかの単独のカノンや14のカノンBWV1087がある。 カノン風「高き御空より」BWV769もここに含まれるべきであるが、楽器指定が明確であるため曲として分類されている。 ただし、「小川」を意味する現代ドイツ語(新高地ドイツ語)の"Bach"は音楽家"Bach"とは元々の語源が違う。 ゲルマン語より古いにもさかのぼることができる語の"pah"や"pacht"という綴りが語源で、意味は流しの芸人に与える「おひねり」とか「ギャラ」を意味する。 英語の"pact"が同じ語源である。 バッハの祖先が元々は流しの音楽家をしていたこととも符合する。 バッハのチェンバロ作品全集を世界で最初に完成させたのはモダンピアノとムーア二段ピアノによる、その次にモダンピアノによるジョアン・カルロス・マルティンス Joao Carlos Martins とモダンピアノによるイヴォ・ヤンセン Ivo Janssen が達成している。 モダンチェンバロではマルティン・ガリンク ただ1人が達成、ヒストリカルチェンバロで達成したものは誰もいない。 とは完成を目指したが及ばなかった。 それに比べるとオルガン作品全集を達成した人物は数十人に及び、比較的ハードルの低いトライである。 ただし、歴史的オルガンで新発見の補遺を含む最も完全な集成を達成した人物は、ゲルハルト・ヴァインベルガー Gerhard Weinberger のみである。 ハードロックバンドののギタリストであったとキーボードのはクラシック音楽から強い影響を受けており、バッハの曲のコード進行を等の楽曲で数度引用している。 映画 、、監督、1967年(の項目を参照)。 メディア• 礒山雅「バッハの生涯 - バッハ研究をめぐる諸問題」『教養としてのバッハ - 生涯・時代・音楽を学ぶ14講』礒山雅・久保田慶一・佐藤真一 編著、アルテスパブリッシング、2012年。 「バッハの風景」p212 樋口隆一 小学館 2008年3月5日初版第1刷• 「バッハ キーワード事典」p12 久保田恵一編著、江端伸昭・尾山真弓・加藤拓未・堀朋平著 春秋社 2012年1月20日初版第1刷• 「バッハ キーワード事典」p28 久保田恵一編著、江端伸昭・尾山真弓・加藤拓未・堀朋平著 春秋社 2012年1月20日初版第1刷• 「バッハ キーワード事典」p28-29 久保田恵一編著、江端伸昭・尾山真弓・加藤拓未・堀朋平著 春秋社 2012年1月20日初版第1刷• 平凡社 世界大百科事典(1974年版)24巻 バッハの項目• 平凡社 世界大百科事典(1974年版)4巻 オルガンの項目(バッハ以降)• を参照• 渡邊學而『大作曲家の知られざる横顔』〈丸善ライブラリー〉、1991年。 関連項目• - ・• - ・• - バッハにちなんで名づけられた 1814 外部リンク ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 ドイツ語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。

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バッハのシンフォニア。コンクールや練習の選曲に迷ったら?難易度・タイプ別おすすめ

バッハ コンクール

バッハのシンフォニア。 一人の生徒さんのレッスンを長年続けるときでも、このシンフォニアは一つの関門です。 2声から3声の勉強に移行するステップには挫折ポイントも多く、また楽しくやりがいのあるところでもあるのです。 そんなシンフォニアですが、小学生や中学生のコンクールの課題となることも多いですよね。 15曲、どれを選んでも良いよと言われると、逆に迷ってしまいませんか? そんなあなたに、1曲ずつの解説とおすすめポイントを書いていきます。 一部、 わたし自身の演奏動画も載せていますので、ご参考になさってください。 もくじ• シンフォニアの中でも特殊な曲(5番, 15番) まず、はじめに特殊な曲を挙げます。 シンフォニア第5番 変ホ長調 シンフォニアを数曲勉強した生徒さんには、この第5番の楽譜を見せて「これまでの曲と何が違うかわかる?」と聞いてみます。 だいたい、• 左手がずっと同じ• 左手にテーマが出てきてない• 右手がはじめから終わりまで会話になってる などと答えてくれます。 これらはすべて、この5番特有の特徴です。 他の曲は、3声それぞれが対等に独立しています。 各声部の個性はあるのですが、基本的にはモチーフを対等に扱い、順に奏していくんですね。 ですがこの5番は例外。 鍵盤楽器の3声フーガという対位法のために書かれたのではなく、 旋律楽器(管楽器や弦楽器)2本と通奏低音(チェンバロなど)のアンサンブルを想定して書かれたからでしょう。 つまり、曲の様式が違うのです。 コンクールでシンフォニアの課題が出るときは「3声の弾き分け」も大きな重視ポイントになっていますので、この第5番は課題から省かれることもしばしばあります。 省かれていない場合も、この第5番を選ぶのはなかなかチャレンジャーかもしれません。 こんな人にオススメ! 装飾音は当時の様式を映し出して自然におしゃれに、旋律楽器の優雅な対話、同じリズムが延々と続く通奏低音のゆったりとした3拍子の拍感を感じて。 バロック時代の音楽が好き!バロック音楽をいろいろ聴いている、という方にぜひオススメですね。 素敵に弾けるととても良い曲ですね。 シンフォニア第15番 ロ短調 こちらも、第5番ほどではないですが、少し特殊です。 16分の9拍子、つまり大きな3拍子で書かれており、• 32分音符による器楽的で鮮やかなパッセージ部分 の組み合わせで書かれています。 32分音符部分は華やかで、 対位法的というより技巧的、トッカータのようです。 このように独特の面が多く、やはり他の13曲と比べると特殊な1曲であると言えるでしょう。 ただ、この曲はコンクールで演奏されることも比較的多いです。 こんな人にオススメ! まだ3声に慣れていないけど、リズム感や指の俊敏さは持っている・・・という段階の方でも選曲しやすい良さがあります。 キリッとリズムや音を立てながらも、ロ短調の独特の響きを表現したい1曲です。 シンフォニアの中でもとくに難易度の高い曲(14番, 9番) シンフォニアはどの曲も一定以上の技術や理解が必要ですが、中でも特に緻密に書かれていて曲の完成度・難易度が高いのがこの2曲です。 平均律の易しめの曲より、格段に演奏が難しいと思います。 シンフォニア第14番 変ロ長調 とても穏やかな主題で親しみやすい雰囲気なのですが、後半かなり入り組んでおり、声部を的確に弾き分け歌わせるのはかなりの技術と理解を必要とします。 この曲を演奏するには、「フレーズ」「アーティキュレーション」つまり 音楽の呼吸、文脈がとくに大切です。 こんな人にオススメ! 1声ずつ聴いて、よく表現を検討しながら丁寧に練習したい曲です。 作品の雰囲気としては穏やかですので、難しさを感じさせずに大きな音楽観で・・・それでいて細部を正確に弾きたいですね。 この曲は、普段のレッスンでもシンフォニアの経験をかなり積んでから弾いてもらっていますし、コンクール等でこの曲を選曲するときは相当の力を持っていると思うときですね・・・。 力がついてきた!平均律に進もう!くらいのレベルでぜひ 集大成の演奏を聴かせてほしいです。 シンフォニア 第9番 ヘ短調 こんなに構成の密度も精神性も高い曲がシンフォニアの中にあるとはすごいと、いつも思います。 この曲は主題の提示が行われる時、いつも3種類のモチーフが緊密に重なり合って出てきます。 最初に右手で奏される主題が重要であることはもちろんなのですが、左手の半音階、また途中から出てくる呼びかけてくるようなモチーフも同じく重みを持っています。 このフーガを演奏するには、 ただごとではない理解と集中力と技術を要します。 それだけではなく、この曲の持つ「精神性」がさらに輪をかけます。 ヘ短調という重みを持つ調性。 半音階下行のモチーフは「イエス・キリストが十字架を背負いゴルゴダの丘を一歩一歩進む足取り」とも言われています。 音の深さ、表現の深さが求められます。 この曲もやはりコンクール等の選択肢から外れている場合があるのも、うなずけます。 サラサラと技術面をクリアして弾いても、全く満足できない曲です。 こんな人にオススメ! 奥深さを追求し、この曲にしっかりと気持ちと時間を注ぐ思いでぜひ勉強してみてください。 ————————— ・・・というわけで、以上4曲は、やや変わった書法の曲や、飛び抜けて難易度の高い曲を挙げてきました。 ここまで、第15番は上記のような場合に選曲するのはオススメできますが、あとの3曲は理由がない限りいきなり選ぶのは私はおすすめできません。 もちろん、レベルアップしたい、シンフォニアの勉強の集大成にこれを弾きたい、など理由があれば良いと思います! 最終的には、ぜひ経験してほしい曲ばかりです。 では次にまいりましょう。 シンフォニアの習い始めにオススメの曲(6番, 12番) 誰にでも、一番始めはあります。 インヴェンションを15曲終えた。 もしくは、インヴェンションはまだ半分くらいだけど、今度の発表会・コンクールにはシンフォニアにチャレンジしてみよう!という人もいるかもしれません。 そんな人におすすめしたいのがこの辺りです。 シンフォニア 第6番 ホ長調 難易度が低いということはないのですが、8分の9拍子で1小節あたりの音数が少ないので、3声に初めてチャレンジするときにも、比較的 意味を理解しやすい曲です。 主題もシンプルなので、 「このように弾けたら良いだろうな」という理想像も浮かべやすいです。 こんな人にオススメ! 美しい響きを持つ曲なので、温かな音色を持つ人や流れるように歌うことがきれいな生徒さんに勧めることも多いです。 本当に初めてシンフォニアを譜読みするときには、ぜひ意味を理解して(教えてもらって)地道に丁寧に見てください。 自己流でざーーーっと最初から最後まで繰り返し弾く、というのは一番オススメできません。 始めは8小節からでも良いので、丁寧に、音の重なりや指の上げ下げ(音を保持する、離す)を楽譜と共に理解してゆっくり弾いていきましょう。 千里の道も一歩から。 (具体的に進めるには) シンフォニア第12番 イ長調 第6番に比べると音数も多く、テンポもやや速めの曲ではあるのですが、こちらも 比較的取り組みやすい曲です。 嬉遊部(主題部との繋ぎの部分)が比較的シンプルに書かれているのがわかりやすいように思います。 (あくまで勉強しやすいというだけで、易しいわけではありません) また、3声の分配が右手に多めになっているのも(右で2声を弾き、左で1声を弾く)、多くの人に弾きやすいポイントかと思います。 とは言え、いくつか注意深く練習しなければならない箇所もあり、じっくりゆっくり、こちらも意味を理解してやっていきたい曲です。 とくに3小節目にいきなり左手で2声を奏する部分や、以降、右手の2声でシンコペーションの掛け合いをしている部分は、こちらも自己流で音の頭だけ出していると大変です。 音価(音の長さ)とバランスがとても重要です。 こんな人にオススメ! と、重要ポイントもあるのですが、全体的には明るく華やかな曲調なので、けっこうオススメです。 基本的な指の働きがきっちりしている人や、明るい曲調が得意な人に合うと思いますよ。 3声を弾く、聴くことに少しずつ慣れてきたら(1番 , 10番, 8番) 3声に慣れてきたら、どんどん曲数を重ねて経験を積んでほしいと思っています。 前の曲の復習をしながら、どんどん経験を積むのに良い曲は、こちらの3曲。。 シンフォニア第1番 ハ長調(動画あり) 第1番ということで始めに取り組む人も多くおられるかもしれません。 それまでに、ある程度理解と経験があればそれも良いと思います! でも、3声について慣れていない場合は、数曲勉強してから第1番に入るのが良いと私は思います。 この曲は、 主題はシンプルな音階と音型の組み合わせですが、音数が多いのと、大きな流れを必要とするため、 一定の技術と大きな視点が必要になります。 こんな人にオススメ! 主題の長いフレーズ感を大切にしながら、同時に出てくるモチーフのリズムやキャラクターを表現し、またハ長調から様々な調に転調していく展開を、大きくまとめたい曲です。 シンプルな曲なだけに、 タッチの正確さや美しさが優れている人にもオススメです。 シンフォニア第10番 ト長調 (動画あり) こちらも、ゆっくり弾けば第6番や第12番くらい勉強しやすい方かと思いますが、ト長調で、主題の持つ方向性も考えると、 生命感のある演奏が求められます。 また、途中には2声が重なって交差しているため(上の声部が下の声部よりも低い音になる部分)、 指の使い方が独特になる部分があります。 こんな人にオススメ! それらを正しく自然に弾き分けることができ、全体は爽やかに弾ききることがポイントとなります。 生き生き弾くのが得意な人にもオススメです。 丁寧に練習できれば、早い段階でチャレンジしても良い曲ではあります。 シンフォニア第8番 ヘ長調 とてもシンプルで親しみやすい曲です。 主題自体が、動きのあるリズムを持っているので、それを感じて弾きたい曲ですね。 3声の動きも勉強しやすく、いろいろな形が出て来るので勉強になります。 中庸なテンポで 爽やかさと落ち着きが出せると素敵な演奏になるでしょう。 こんな人にオススメ! この曲も、丁寧に練習できれば早い段階で選曲しても良いと思いますが、トリルが意外と?ネックになるので、トリルに苦手意識のある方は少し後から。 トリルもスッと弾ける人なら早めに勉強しても良いのではないでしょうか。 シンフォニアに自信が出てきたら。 総合的な曲(3番, 4番, 7番) シンフォニア第3番 ニ長調 (動画あり) この曲は 全体的なまとまりもよく、明るく落ち着いた曲調なので、よく選ばれる曲の一つです。 それなりのテンポで弾かれるため、指さばきもやや複雑なところがあり、特に右手がスムーズにキッチリと歌えるかということはポイントの一つとなります。 こんな人にオススメ! 内容の充実度もあり、シンフォニアに慣れてきてしっかりまとめられる人におすすめの1曲です。 シンフォニア第4番 ニ短調 (動画あり) こちらも第3番と並んで充実した曲です。 ただ、 同主調で全く曲調が違います。 第4番はやや物憂げな性格を持ち、第9番で述べたような半音階の下行も途中で出てきます。 この半音階はレガートで弾くことを私はおすすめしています。 その場合、主題のアーティキュレーションとは対照的に、美しいコントラストを付けられると素敵です。 こんな人にオススメ! 短調特有の美しい和声が多く出てきますので、一つ一つの音の重なり、響きを味わいながら弾きたい曲です。 3番と同じく、しっかりまとめつつ、よく歌える人にもオススメです。 シンフォニア第7番 ホ短調 この曲もかなり大曲です。 3度で動く音程や6度の音程、また8分音符のモチーフに加え、途中から16分音符のモチーフが多用されます。 技術的にも様々なポイントがありますので、じっくり勉強したい曲です。 こんな人にオススメ! 音楽的にもとても美しいので、 3声を弾くということに、手も耳も頭にも ある程度余裕が出てきてから、落ち着いて演奏したい曲です。 この曲の内容に共感し、重音をしなやかに奏することができる人にはぜひチャレンジしてもらいたい曲です。 拍子感も重要。 いろいろなタイプの曲(2番, 11番, 13番) さて、残り3曲となりました。 ここに挙げる3曲も、発表会やコンクールでよく弾かれる素敵な曲ばかりです。 それぞれに特徴がありますので、ご紹介していきます。 対位法の難易度としては、一つ上に挙げた3曲の方が難しいです。 ですが以下の3曲はキャラクターが強いので、それを表現できることも重要です。 シンフォニア第2番 ハ短調 8分の12拍子で、落ち着いた美しい主題を持ちます。 実はこの主題、1曲中でたったの数回しか出てこないのです。 その他は、主題の前半部分や発展型が繰り返されていきます。 和声、調性の移り変わりがとても美しいので、一音一音を大切に聴いて弾きたい曲です。 こんな人にオススメ! この曲は拍子感も重要です。 複合拍子独特のリズム感を持ちながら、2小節以上を一つにとらえる大きな呼吸がほしいです。 長いトリルも特徴です。 対位法はそこまで複雑でないので、まだ3声に慣れていないうちでもチャレンジすることができるでしょう。 シンフォニア第11番 ト短調 この曲もけっこう変わった構成をしていますね。 8分の3拍子で、短いモチーフの組み合わせで出来ています。 舞曲のような空気感を持ち、憂いのある曲ですが、甘すぎず、どこか凛とした部分を持って弾きたい曲です。 こんな人にオススメ! この曲は8分音符の長さ、表現がなかなかセンスの問われるところです。 上に挙げた第3,4,7番などに比べると、手が小さめでも表現しやすいので、 感受性が強く美しい音を持っているけれどまだ手がガッチリ大きくない、というお子さんにもおすすめです。 シンフォニア第13番 イ短調 こちらも8分の3拍子。 この曲は、 曲の中で主要なモチーフがどんどん新しく登場するのが面白いです。 2つめは、分散和音でシンコペーションの形です。 音楽に動きが出てきます。 そして3つめのモチーフは、舞曲のような躍動感を持ちます。 それぞれが個性的なので、インパクトの強い曲で、おすすめです。 しかし後半、 左手で出てくる主題がかなり難易度が高いです。 指の独立• コントロール• 6度音程のポジション• 必要な分だけペダルを入れる力 などなかなかここが難関です。 こんな人にオススメ! テクニック、内容ともに美しくまとめられると素敵な曲です。 まとめ・・・その時その時に合う選曲が一番! 以上、15曲のわたし流・解説とおすすめポイントでした。 バッハのシンフォニアは、全15曲きちんと経験したい曲集です。 そして、 深く理解して美しく弾ければ、どの曲も素晴らしい曲です。 繰り返しになりますが、大切なことは、.

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「全日本学生音楽コンクール」で入賞を目指すレベルとは?

バッハ コンクール

バッハの無伴奏ならここまで バッハの無伴奏を例にとると、音高受験であれば声部の弾き分けまでは要求されませんが、「全日本学生音楽コンクール」(学生音コン)の中学校の部で入賞を目指すとなれば、話は別です。 本人に任せておくと、大抵は「そう変ではないがコンクールでは通用しない」レベルにしか到達しません。 「学生音コン」は、将来のソリストを選抜するためのコンクールであり、審査基準は一般人が聴いて感動するかどうかではなく、専門家が聴いてどうかのレベルに設定されています。 生まれつきバロックの書法が分かっている人間など一人もいませんから、ルールを教え込む必要があります。 まれに一を言えばぱっと分かる生徒もいますが、専門を目指すとなれば、ほぼ例外なく小さい頃から鬼のような?母親(父親でもいいのですが)がついて、みっちり勉強することになります。 機能はトニック(主音)・ドミナント(属音)・サブドミナント(下属音)に分かれ、バッハの曲の旋律は機能和声を土台に書かれている場合が多い。 例えば、バッハ:無伴奏パルティータなら第3番ガヴォットの後半等に特徴的に現れる。 予選通過の顔ぶれを見てレベルを上げることも 目標が「学生音コン」の予選通過ではなく、本選で入賞狙いとなると、生徒にも相当の負担がかかりますから、どこまで引っ張るかはその生徒のポテンシャルな能力との相談になるでしょう。 本人がついて来ることができれば結果が出る可能性がありますが、たとえリハーサルでいけると思っても、本番では何があるかわからないリスクは常に抱えることになります。 ソリスト志望者の大半は、このようなサイクルを1、2年単位で繰り返します。 指導者の側で「この生徒、この家庭なら行けるだろう」と思っても、見込み違いの場合もあります。 「専門教育」は「情操教育」とは異なる 原則15歳でデビュー、高校までで入賞歴がなければ切り捨てというポリシーの指導者もいるくらいで、そのような場合は門下生とその家族が金縛りにかかることもあり得ます。 あまりにひずみが強く出るようなら、「分からない子には教えない、かわいそうだから」という方針の先生に替わって、時機を見るのも一法でしょう。 野球では甲子園組でなくとも活躍しているプロ選手がいるのと同じで、本人の「時期」がまだ来ていないだけなのかもしれませんから。 いずれにしろ、「学生音コン」レベルのコンクールで結果を出そうと思ったら、「好きな音楽を通して豊かな人間性を」といったような情操教育とは別の、しかるべき覚悟を伴う専門教育の次元の話になってきます。 日本では、どうもこのまったく違う二つの教育が混同されがちで、「もって生まれた音楽性はそのままでどこでも通用する」「好きに弾かせてくれない先生が悪い」と信じきっている保護者も多いようです。 音楽そのものよりもサイドストーリーが売り物になる時代ですから、ある意味仕方のないことかもしれませんが。

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