蝉 季語。 季語・蝉

蝉時雨(蝉しぐれ)の意味と時雨に隠された意図とは?季語としての使いかたもマスターする! │ 知るメディア!

蝉 季語

蝉の俳句 30選 蝉が詠み込まれた俳句を集め、句の文字の五十音順に並べました。 なお、俳句において単に「蝉」とした場合は 夏の季語とされます。 青空や 今日はじめての 蝉の声 【作者】原 石鼎 はら せきてい 暁の その始りの 蝉一つ 【作者】中村汀女 なかむら ていじょ 【補足】 暁 あかつき とは、夜明け・明け方のことをいいます。 或る蝉の 庇にあたり 枝移り 【作者】後藤夜半 ごとう やはん 【補足】「庇」の読み方は「ひさし =廂 」です。 今しがた 此世に出し 蝉の鳴 【作者】小林一茶 こばやし いっさ 【補足】「此世」「出し」の読み方は、それぞれ「このよ」「 いでし」です。 薄雲の 山路をすます せみの声 【作者】加藤暁台 かとう きょうたい 【補足】 山路 やまじ とは、山の中の道のことをいいます。 うたたねの 暮るるともなし 蝉の声 【作者】炭 太祇 たん たいぎ おいて来し 子ほどに遠き 蝉のあり 【作者】中村汀女 かげろひし 雲又去て 蝉の声 【作者】高井几董 たかい きとう 【補足】光がきらめいたり、ちらつくことを「かげろう 動詞 」といいます。 かざしてや 扇にへだつ 蝉の声 【作者】各務支考 かがみ しこう この森の 蝉取の子に 木は高く 【作者】山口青邨 やまぐち せいそん スポンサーリンク しのび音の 咽び音となり 夜の蝉 【作者】三橋鷹女 みつはし たかじょ 【補足】「咽び音」の読み方は「むせびね」です。 瀬に沁みて 奈良までとどく 蝉のこゑ 【作者】山口誓子 やまぐち せいし 【補足】「沁みて」の読み方は「 しみて」です。 蝉鳴いて 遅月光る 樹海かな 【作者】飯田蛇笏 いいだ だこつ 【補足】 遅月 おそづき とは、月の出るのが遅いことをいいます。 蝉鳴いて 名残雨降る 木立かな 【作者】日野草城 ひの そうじょう 【補足】「名残雨」「木立」の読み方は、それぞれ「なごりあめ」「こだち」です。 蝉鳴くや 暑く掴める ポンプの柄 【作者】阿部みどり女 あべ みどりじょ 【補足】「掴める」「柄」の読み方は、それぞれ「 つかめる」「え」です。 蝉鳴けり 泉湧くより 静かにて 【作者】水原秋桜子 みずはら しゅうおうし 蝉持つ子 笑顔をしまひ 忘れたり 【作者】加藤楸邨 園ふけて 弧燈を蝉が とりに来る 【作者】水原秋桜子 【補足】 弧燈 ことう=孤灯 とは、一つさびしく灯 とも る燈火という意味です。 月さして 鳴き澄む蝉や 雷のあと 【作者】水原秋桜子 【補足】この句の「雷」の読み方は「らい」です。 撞鐘も ひびくやうなり 蝉の声 【作者】松尾芭蕉 まつお ばしょう 【補足】 撞鐘 どうしょう とは、釣鐘 つりがね のことです。 捕はれし 蝉の鳴声 突然に 【作者】星野立子 ほしの たつこ なきやみし 蝉の宵すぐ 闇来る 【作者】山口誓子 【補足】 宵 よい とは、日が暮れてからしばらくの間のことをいいます。 啼き渡る 蝉一声や 薄月夜 【作者】芥川龍之介 あくたがわ りゅうのすけ 【補足】「啼き」の読み方は「 なき」です。 二時頃は 山も汗する 蝉ぢぢと 【作者】星野立子 半日の 閑を榎や せみの声 【作者】与謝蕪村 よさ ぶそん 【補足】「閑」の読み方は「ひま」です。 一筋の 夕日に蝉の 飛んで行 【作者】正岡子規 まさおか しき ふるさとや 松の苔づく 蝉のこゑ 【作者】室生犀星 むろう さいせい 松風の 絶へ間を蝉の しぐれかな 【作者】夏目漱石 なつめ そうせき 【補足】 松風 まつかぜ とは松に吹く風、または、その音のことをいいます。 松風も をのがのにして 蝉の声 【作者】加賀千代女 かがのちよじょ 山をゆき 谿ゆきいく日 蝉聞ける 【作者】篠田悌二郎 しのだ ていじろう 【補足】「谿」の読み方は「たに =谷 」です。 関 連 ペ ー ジ.

次の

空蝉の使い方や意味は?季語の俳句や反対語、類語を例文の文章で解説

蝉 季語

季語(季題)には本意というものがかならずあって、それを俳句の中に使う場合は、あらかじめ決まっている本意の範囲内の意味でしか、その季語を使ってはいけないというのが伝統的な考え方。 たとえば「春雨」はどんなに強く降っていようが、しとしといつまでも降り続くように詠まなければならない。 「古池や蛙飛びこむ水の音」(芭蕉)が革新的な俳句とされたのは、蛙とくればその鳴き声を詠むのが約束だったのに、飛びこんだ水の音をもってきたからである。 蝉の本意もかつての蛙と同じく鳴き声、蝉の声である。 左右の大脳半球がそれぞれ言語と音楽に対応する機能を持つとする説によれば、日本人は虫や動物の鳴き声を左半球の言語脳で聞く珍しい民族らしい。 ところが虫の声でも蝉とキリギリスだけは例外で、言語半球の優位性は認められないという。 つまり日本人にとって蝉の声は、ほかの虫の声にくらべより純粋な音として聞いているということになる。 音としての独立性が高いのである。 六月終わりの梅雨明け頃からにいにい蝉が鳴き始める。 ジーッジーッと鳴き、チッチッと鳴きおさめる。 芭蕉が山形の立石寺で詠んだ「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」の蝉だといわれている。 ついで油で揚げるようなジージーとやかましい声の油蝉。 みんみん蝉は別名、深山蝉。 ミーンミーンと高い声で繰り返し鳴く。 いちばん大きな声でやかましいのは関西に多いくま蝉で、シャーシャーといっせいに鳴いている森の中などにいるとたまらない。 七月に入れば場所によって蜩(ひぐらし)がカナカナと涼しい美しい声で鳴きはじめる。 続いて八月に入り秋風が立ちはじめる頃には、つくつく法師(寒蝉)。 ツクツクホーシ、ツクツクホーシ、オーシーツクツク、オーシーツクツク、そしてジーと鳴きおさめる。 蜩もつくつく法師も蝉といいいながら、その鳴き声の感じもあって、秋のものとされている。 蝉は命の短さの代名詞になるぐらいだが、実際の成虫期間は10日から20日に及ぶ。 しかし幼虫の期間はきわめて長く、数年から17年間もの地下生活を送る。 それから、もちろん鳴くのは雄の方で、雌は唖蝉(おしぜみ)と呼ばれる。 「蝉は幸いなるかな、その妻は鳴かざればなり」(クセナルコス) 蝉に関する季語で忘れてはならないのは「空蝉(うつせみ)」。 つまり蝉のぬけがらである。 長い時間をかけて、地中で幼虫から蛹(さなぎ)になり、地を出て木に登り、背中から割れてその皮を脱ぐ。 その皮を蝉の殻とか空蝉とかいうのである。 空蝉の「うつ」は「うつろ」「うつわ」の「うつ」で、中が空っぽの意味だが、もともとの「うつせみ」は「この世(の人)」という意味で「万葉集」などでは使われていた。 しかしそれに「空蝉」「虚蝉」といった字を当てたために、文字どおりの意味を生んでしまい、しだいにはかないもののたとえになっていったと思われる。 やがて死ぬけしきは見えず蝉の声 松尾芭蕉 蝉の殻流れて山を離れゆく 三橋敏雄 空蝉の両眼濡れて在りしかな 河原枇杷男 2001-08-13 公開.

次の

季語/秋の蝉(あきのせみ)を使った俳句

蝉 季語

季語(季題)には本意というものがかならずあって、それを俳句の中に使う場合は、あらかじめ決まっている本意の範囲内の意味でしか、その季語を使ってはいけないというのが伝統的な考え方。 たとえば「春雨」はどんなに強く降っていようが、しとしといつまでも降り続くように詠まなければならない。 「古池や蛙飛びこむ水の音」(芭蕉)が革新的な俳句とされたのは、蛙とくればその鳴き声を詠むのが約束だったのに、飛びこんだ水の音をもってきたからである。 蝉の本意もかつての蛙と同じく鳴き声、蝉の声である。 左右の大脳半球がそれぞれ言語と音楽に対応する機能を持つとする説によれば、日本人は虫や動物の鳴き声を左半球の言語脳で聞く珍しい民族らしい。 ところが虫の声でも蝉とキリギリスだけは例外で、言語半球の優位性は認められないという。 つまり日本人にとって蝉の声は、ほかの虫の声にくらべより純粋な音として聞いているということになる。 音としての独立性が高いのである。 六月終わりの梅雨明け頃からにいにい蝉が鳴き始める。 ジーッジーッと鳴き、チッチッと鳴きおさめる。 芭蕉が山形の立石寺で詠んだ「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」の蝉だといわれている。 ついで油で揚げるようなジージーとやかましい声の油蝉。 みんみん蝉は別名、深山蝉。 ミーンミーンと高い声で繰り返し鳴く。 いちばん大きな声でやかましいのは関西に多いくま蝉で、シャーシャーといっせいに鳴いている森の中などにいるとたまらない。 七月に入れば場所によって蜩(ひぐらし)がカナカナと涼しい美しい声で鳴きはじめる。 続いて八月に入り秋風が立ちはじめる頃には、つくつく法師(寒蝉)。 ツクツクホーシ、ツクツクホーシ、オーシーツクツク、オーシーツクツク、そしてジーと鳴きおさめる。 蜩もつくつく法師も蝉といいいながら、その鳴き声の感じもあって、秋のものとされている。 蝉は命の短さの代名詞になるぐらいだが、実際の成虫期間は10日から20日に及ぶ。 しかし幼虫の期間はきわめて長く、数年から17年間もの地下生活を送る。 それから、もちろん鳴くのは雄の方で、雌は唖蝉(おしぜみ)と呼ばれる。 「蝉は幸いなるかな、その妻は鳴かざればなり」(クセナルコス) 蝉に関する季語で忘れてはならないのは「空蝉(うつせみ)」。 つまり蝉のぬけがらである。 長い時間をかけて、地中で幼虫から蛹(さなぎ)になり、地を出て木に登り、背中から割れてその皮を脱ぐ。 その皮を蝉の殻とか空蝉とかいうのである。 空蝉の「うつ」は「うつろ」「うつわ」の「うつ」で、中が空っぽの意味だが、もともとの「うつせみ」は「この世(の人)」という意味で「万葉集」などでは使われていた。 しかしそれに「空蝉」「虚蝉」といった字を当てたために、文字どおりの意味を生んでしまい、しだいにはかないもののたとえになっていったと思われる。 やがて死ぬけしきは見えず蝉の声 松尾芭蕉 蝉の殻流れて山を離れゆく 三橋敏雄 空蝉の両眼濡れて在りしかな 河原枇杷男 2001-08-13 公開.

次の