夢破れて山河あり 意味。 ねこ猫まんま

夢破れて山河あり?どこにだ

夢破れて山河あり 意味

国破れて山河あり くにやぶれてさんがあり : 国が滅んで町並みなどが失われても、故郷のうつくしい景色は在りつづけるという意味 「国破れて山河あり」の意味を詳しく 「国破れて山河あり」とは、 国が滅んで町並みなどが失われても、故郷のうつくしい景色は在りつづけるという意味を表すことわざです。 騒動のあとの空虚感を表す際や、人間が作ったもののはかなさと、自然の雄大さを対比させる際に使われます。 「国破れる」は、「国が滅びる」という意味です。 争いによって国が滅びてしまい、町並みが失われてしまった様子を表します。 「山河あり」は、文字通り、「山や河がある」状態のことを指します。 人の作ったものが滅びてしまっても、自然の山や河はそのままあり続けている状態を表しています。 中国の詩の一説なので、「国破れて山河あり」で終わりではありません。 「国破れて山河あり」の後に「城春にして草木深し」と続き、さらに6行続きがあります。 全体では、戦いのあとの喪失感と、故郷へのなつかしさを詠んだ詩です。 険しい山を登頂しきったときの気持ちは、まさに 国破れて山河ありであった。 国破れて山河ありとは言うが、戦争では山や河もひとたまりもなかった。 空高くそびえたつ山々を見ると、 国破れて山河ありという言葉を思い出す。 「国破れて山河あり」の由来 「国破れて山河あり」は、杜甫 とほ という人物の『春望 しゅんぼう 』という詩集の一説です。 杜甫は、唐の時代の中国でもっとも有名であった詩人です。 杜甫が46歳のころ、安禄山の乱 あんろくざんのらん という大規模な反乱がおこりました。 この反乱の中で、唐の皇帝は都を追われ、杜甫は都である長安に、反乱軍によって軟禁されてしまいました。 その時に、反乱によって壊されてしまった長安のようすを眺めて詠んだ詩です。 The state broken, its mountain and revers remain. 国は壊れたが、その国の山や河は残っている。 My old city has burned but Nature has returned. 懐かしの都は消失したが、自然は再生した。 Empire broken mountain river remain. 帝国は壊れ、山と川は残っている。 まとめ 以上、この記事では「国破れて山河あり」について解説しました。 読み方 国破れて山河あり くにやぶれてさんがあり 意味 国が滅んで町並みなどが失われても、故郷のうつくしい景色は在りつづけるという意味 由来 反乱の後に残った山や河をみて詠まれた詩 英語訳 The state broken, its mountain and revers remain. 国は壊れたが、その国の山や河は残っている。 「国破れて山河あり」ということわざは耳にする機会が多い言葉です。 しかし、詳しい意味を知らない方も多かったでしょう。 この機会に、由来や詳しい意味なども理解し、使いこなせるようになりましょう.

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夢 破れ て 山河 あり 城 春 にし て 草木 深 し

夢破れて山河あり 意味

「国破れて山河あり」の意味と現代語訳 「国破れて山河あり」の読み方と意味 「国破れて山河あり」の読み方は「くにやぶれて・さんがあり」で、「国は滅んでかつての面影は失われてしまったが、故郷のうつくしい景色は在りつづける」という意味です。 「騒動のあとの空虚感に浸っている」や、「栄枯盛衰の人の世と、悠久の大自然を対比して物悲しくなる」といった心境を表現するときに用いられます。 「国破れて」の意味 「国破れて山河あり」の「国破れる」とは「国が滅びる」という意味で、ここでは「国は滅んでも」となります。 「敗れる(やぶれる)」と混同されることがありますが、国が戦争に負けるということではなく、国としての機構が破壊されて無くなってしまうということです。 「破」と「敗」では読み方は同じでも意味が違うため、表記する際には注意しましょう。 「山河あり」の意味 「国破れて」に続く「山河あり」は「山や河がある」ということで、いつの世も変わらずにある悠久の自然をあらわしています。 「国破れて山河あり」の使い方 「国破れて山河あり」は都が破壊され国が滅ぶという悲しい故事を由来とするため、人間社会の儚さや人生の悲しみ、国の将来に対する憂いといったネガティブな感情をともなう場面で使われることが多く、それだけに適切な使い方を押さえておきたいものです。 次に、具体的な使い方を例文で紹介します。 「国破れて山河あり」の例文• 今の国政を見ていると「国破れて山河あり」の一節が脳裏に浮かんで心が落ち着かない。 全力を尽くしましたが実力不足で夢かなわず、いまは「国破れて山河あり」といった心境です。 戦後多くの日本人が目にしたのは、まさしく「国破れて山河あり」の光景だった。 英語は「ドナル・ドキーン」訳が有名 「国破れて山河あり」を英語にすると、「The nation is ruined, but mountains and rivers remain. (国は没落するが、山河は依然としてありつづける)」となり、「春望」は「Spring View」です。 「おくの細道」を翻訳した日本文学者のドナルド・キーン氏は、「国破れて山河あり」の引用部分を「Countries may fall, but their rivers and mountains remain. 」と英訳しています。 「国破れて山河あり」の出典や原文 出典は杜甫の漢文「春望」 「国破れて山河あり」は、詩聖と呼ばれる中国唐代の詩人・杜甫(とほ)が詠んだ五言律詩「春望(しゅんぼう)」の一節です。 杜甫は当時の日本でも人気のあった詩人で、江戸時代の俳人・松尾芭蕉も「おくの細道」の中で引用していることから、現代の日本人にとっても馴染み深いフレーズとなっています。 「春望」の背景は「安史の乱」 「国破れて山河あり」の歴史的な背景は、「安禄山(あんろくざん)の反乱(安史の乱)」です。 世界三大美女として名高い楊貴妃にも関係の深い大規模な反乱は755年から8年間続き、唐の都として長く平安だった長安は陥落しました。 当時官職にあった作者の杜甫は、城内で軟禁された757年に「春望」を詠んでおり、全文は「国は滅んでも故郷に春は巡ってくるが、心の拠り所を失った今はうつくしい花を見ても涙が止まらない」と戦乱の世を悲しむ内容になっています。 中国語の原文は「國破山河在」 中国語による原文は「國破山河在」となり、全文は以下のとおりです。 前半部分は荒廃した城内と変化しない自然との対比が主題となっており、後半は「戦火は3か月も続き、家族からの手紙は宝物のようだ」「心労で髪は薄くなり、かんざしを差すこともできない」と身の上の不幸を嘆いています。 国破山河在:国 やぶれて山河あり 城春草木深:城 はるにして草木ふかし 感時花濺涙:時に感じては花にも涙をそそぎ 恨別鳥驚心:別れをおしんでは鳥にも心を驚かす 烽火連三月:ほうかさんげつに連なり 家書抵萬金:かしょばんきんにあたる 白頭掻更短:はくとう掻けばさらに短く 渾欲不勝簪」:すべてしんに耐えざらんと欲す まとめ 「国破れて山河あり」は、「おくの細道」で引用されたほど当時の日本でも人気の高かった「春望」の一節で、作者は李白や白楽天と並び「詩聖」とも称される唐代の詩人・杜甫です。 戦乱の世に国は滅び城は破壊されても、自然は悠久でいつまでも残り続けるところに深い感慨を覚えて詠ったものです。 現在では唐の末路になぞらえて自国の将来を憂えたり、奮闘むなしく夢破れたあとの心境を表現することわざとして使われます。

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夢破れて山河あり 意味

こんにちは、とるてです。 いつもご覧いただきありがとうございます。 今日はある言葉を紹介しながら、考察していきたいと思います。 その言葉とは 国破れて山河在りです。 みなさんどこかで目や耳にしたことがあるのではないでしょうか?• 国破れて山河在り 私がこの言葉を強く意識したのは数年前です。 それまでに出会ったことはあったと思いますが、意識していなかったこともあり、心には引っかかっていませんでした。 よく間違いとしてあるのは、• 夢破れて山河在り• 国敗れて山河在り ですね。 これらは間違いです。 この言葉の出自は、誰もが聞いたことがあるであろう中国の詩人、 杜甫です。 李白と並び称され、 詩聖と呼ばれています。 この言葉が出てくる全文としては、次の詩になります。 國破れて 山河在り• 城春にして 草木深し• 時に感じて 花にも涙を濺ぎ• 別れを恨んで 鳥にも心を驚かす• 峰火 三月に連なり• 家書 萬金に抵る• 白頭掻いて 更に短かし• 渾べて簪に 勝えざらんと欲す 訳はこのようになるようですね。 国都(の長安は)は破壊されてしまったが、山や川は(昔と変わることなく)存在している。 (荒れはてたこの)町にも(いつもと同じように)春がやってきて、草や木は深くおい茂っている。 (この乱れた、いたましい)時世に心を痛め悲しんで、(いつもの春ならば楽しむはずの)花を眺めて涙をこぼし、 (家族と)はなればなれになっていることをうらめしく嘆いては、(楽しいはずの)鳥の声にはっと胸をつかれる。 (いくさの)のろしは幾月もの間ずっと続いてうちあげられて(戦乱はいつ終わるとも知れず)、 家族からの手紙は万金に価するほど貴重なものに思われる。 (悲しみのあまり)しらが頭をかきむしると、(髪の毛は心労のために)ますます短くなっていて、 冠をとめるかんざしをさすことがまったくできなくなろうとしている。 この詩を読んで、みなさんはどのように感じるでしょうか?捉え方は人それぞれかもしれませんが、私は ハッとさせられました。 当時はうつで苦しんでいたこともあり、心が安らぐような言葉を探したり、理不尽な世の中を憂いていました。 私の解釈 出会っていたかもしれないであろう学生時代には何の不安も無かったため、恐らく自分の中で引っかからずにスルーしていたのでしょう。 ところが厭世観が強くなっていたうつ期には、これが刺さりました。 特に前半部分ですが、 戦乱の世の中で国が滅んでしまっても、自然である山や川は変わらずに存在している。 私の解釈は、現在と置き換えて次のように捉えていました。 こんなにも昔から、世の中を憂いている人はいるんだ。 いつの時代も戦争は無くならない。 戦争は人の欲や権力を持っている人によって引き起こされる。 なんて愚かなことだろう。 自然はただただそこに存在しているのに。 破壊しているのに環境破壊だ、自然災害だ、なんて叫んでいるのはその人間。 人間は愚かすぎる。 他の生物からしたら、一番の天敵でいらない存在ではないだろうか? 人間の欲 現在は日本で内戦は起こっていませんが、世界では戦争が絶えません。 戦争ではなくとも、世の中いろんな争いが起こっています。 それらは異常で過剰な欲によって引き起こされています。 欲をザっと挙げるだけでもこんな感じです。 三大欲求 食欲 性欲 睡眠欲• 五大欲求 食欲 性欲 睡眠欲 自己顕示欲・自己実現欲求• 五欲 財欲,色欲,食欲,名誉欲,睡眠欲• 七欲 食欲、金銭欲、物欲、色欲、権力欲、名誉欲、睡眠欲 しかし生きていく為に必須であろう三大欲求を除くと、金銭欲や名誉欲というものは、いき過ぎると争いを生んでしまいます。 お金も名誉も死んだらおしまい。 そんなにがっついてお金を貯めようと、名誉を得ようと、墓場まで持って行けません。 昔からそう、頑張って頑張って自分を蔑ろにして生きたところで、得られるのは過剰なお金であったり、名誉であったり、権力であったり、異性であったり。 でも 自然は何でも受け入れてくれる。 どんな人、生物だろうと 平等に。 世の中根本的には変わらないし、変えることも不可能に近い。 それならば達観しよう。 自然と共存したい。 あるがままを受け入れ、少欲知足の精神で、自分を労わる。 欲は必要だ!と声高に言う人もいるけれど、確かに最低限は必要だろうし、それが人間らしさかもしれない。 それでも欲はキリがなく、過剰にはいらない。 自分自身が充実して、納得できればそれでいい。 そのような考え方のほうへシフトさせていきたい。 私はこのような考え方に至りました。 うつの調子が良くなった今でも、この時の思いはそのままです。 少し冷めた目で現実を見ていますが、それはそれで楽です。 うつになる前のほうが幸せだっただろうけど、もう戻れないんだから、そんなことを考えても仕方がないです。 松尾芭蕉 ちなみにあの 松尾芭蕉も、この杜甫の詩を引用しています。 芭蕉は杜甫を尊敬、崇拝していたようですね。 あの有名な、奥の細道の一節に出てきます。 三代の栄耀一睡のうちにして大門の跡は一里こなたにあり。 秀衡が跡は田野になりて、金鶏山のみ形を残す。 まづ高館にのぼれば北上川南部より流るる大河なり。 衣川は和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落ち入る。 泰衡らが旧跡は、衣が関を隔てて、南部口を固め、夷を防ぐと見えたり。 さても義臣すぐってこの城にこもり、功名一時のくさむらとなる。 「 国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と、 笠うち敷きて、時の移るまで涙を落としはべりぬ。 夏草や兵(つはもの)どもが夢の跡 卯の花に兼房見ゆる白毛(しらが)かな 曽良 芭蕉といえば、 夏草や兵どもが夢の跡のほうが有名ですね。 世の中はいつになっても根本的なところは変わらないんだな、と思わされました。 やはり歴史は繰り返す、ですね。 さいごに 世の中にはいろんな人がいていろんな考え方があります。 十人十色とも言いますし、それは否定しません。 しかし過剰な欲、人に迷惑をかける行為はいかがなものでしょうか?それよりも周囲の人や自然に感謝の気持ちを持って生きてみませんか? 因果応報とも言います。 感謝の気持ちや優しい気持ちを謙虚に持ち、自然に畏怖の念を持って接すると、生きることが楽になっていきます。 最後までご覧いただきありがとうございました。

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