あんたはエライ 小松。 小松政夫|シニアライフ|タブ・ハウス

演ってるあんたはもっとエライDEショー : 客席放浪記

あんたはエライ 小松

目立たず、隠れず、そぉーっとやって芸歴50年。 ありがたいことに、日本中どこに行っても「小松の親分さん!」と呼ばれます。 50年の間にたった2、3年しかやっていない「電線音頭」や「しらけ鳥音頭」もみなさんいまだに覚えていてくれる。 うれしいですよね。 芸能界入りのきっかけは、新聞で見つけた「植木等の付き人兼運転手募集」の小さな記事です。 当時の私は自動車のトップセールスマンとして、月10万円(今でいう100万くらい)の給料をもらっていたのが、付き人になったら月7千円に。 それでも植木等が好きで好きでたまらなかったから、迷うことなんてありませんでした。 2人の師弟関係が去年、「植木等とのぼせもん」(のぼせもんとは、博多弁ですぐ熱中する人のこと)というドラマにもなりました。 付き人を始めて4年近く経った頃、「明日からもうこなくていい」と言われてクビかと思ったら、実は植木が事務所の社長に私を独立させてほしいと頼み、マネージャーも給料も決めていたエピソードとかね。 運転しながらそれを聞いたときは涙で前が見えなくて、危ないから車を脇に停めさせてもらったなあ。 テレビでそんなシーンを見ると、あらためて思い出がよみがえってまた涙。 ドラマを見た多くの人が「感動した」「泣いた」と言ってくれたけど、一番泣いたのは私かもしれません。 一昔前はゴルフにのぼせましたが、今はあんまり。 ずっと続いているのは読書で、ベロベロに酔っぱらって帰ってきても、朝、本が顔の上にのっているとか、気づくと本を読んだ形跡があります。 家を建てたとき、幅3メートルぐらいの大きな本棚をつくってもらったんです。 そこに本がぎっしり詰まっています。 本棚だけでは収まらず、あっちこっち足の踏み場もないほど。 昔から文庫本一冊捨てられない性格なんです。 捨てないのには理由があります。 役者の仕事で台本をもらうでしょう。 そうすると、「この役は…」って、参考にできる物語を探して役のヒントにするんです。 本棚の前に立つだけで、「よし、あの人物でいこう」と浮かんでくることもある。 それでもう一度読み返して、自分なりに役をこしらえるわけです。 そのやり方は75歳を過ぎた今も変わりません。 私の笑いの原点は、テキ屋さんのモノマネ。 子どもの頃住んでいた博多の櫛田神社の裏の広場にバナナのたたき売り、十徳ナイフ売り、蛇の薬売り、いろんな人が集まってきました。 その口上が子どもながらに面白くて、毎日飽きずに見ているうちに小さなクセまで覚えちゃった。 それを近所の人たちに見せたくて、本名の松崎雅臣の「雅」を取って、「まさ坊演芸会」をやっていたんです。 舞台は手づくり。 入場券には「お菓子付き」と書いて、私の実家がお菓子屋なものですから、少しずつくすねたショートケーキやジェリービーンズを配ってね。 本物のバナナまで用意して「さあ、買うた!買うた!」と博多弁でやった。 それから浪曲を唸ったり。 今じゃ問題になるでしょうけど、学校の先生の慰安会なんていうと、「ちょっと雅坊、浪曲頼むよ」と呼ばれたものです。 そんな原点に立ち返り、今年4月22日に博多のガスホールで「まさ坊演芸会」を開きます。 「どうかひとつ」「知らない、知らない、知らない」「ねえ、おせ〜て」「あんたはエライ」とか、みなさんが知っている流行り言葉を全部入れて、今回はお菓子の代わりにお酒を少しだけ配って、ほろ酔い気分で笑ってもらおうと思っています。 昔から「笑いは百薬の長」「笑う門には福来る」といわれますが、笑って暮らせばハッピーカムカム。 みなさんにもきっと幸せと健康が訪れますよ! 1942年、福岡県生まれ。 64年に植木等の付き人兼運転手になり、「シャボン玉ホリデー」でデビュー。 その後も伊東四朗との掛け合いによるコントなどで活躍し、数多くのバラエティ、ドラマに出演。 著書に自叙伝的小説『のぼせもんやけん昭和三〇年代横浜〜セールスマン時代のこと。 』『のぼせもんやけん2 植木等の付き人時代のこと。 』(竹書房)、『昭和と師弟愛』(KADOKAWA)がある。 植木との物語はドラマ(NHK)でも放映された。 日本喜劇人協会10代目会長。 タブ・ハウス有限会社 Copyright c 2009 Tub House Inc.. All rights reserved.

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小松政夫

あんたはエライ 小松

博多出身のタレント小松政夫さんが、エッセー集「みーんな ほんなごと!」(さくら舎刊)を出版した。 福博の文化情報誌「月刊はかた」で12年間続く連載「ながーい目でみてくれんね」(3月号で143回)の中から、笑いや涙を誘う66話を抜粋した。 タイトルの「ほんなごと」は博多弁で「本当のこと」。 芸能界で出会った人々との交遊などを、博多弁の語り口でつづった。 付き人兼運転手を務め、「オヤジさん」と慕った故植木等さんとの師弟のふれあいには、昭和の人情があふれる。 高倉健さん、勝新太郎さん、松方弘樹さんら故人となった銀幕のスターたちとのエピソードからは、大物俳優の意外な素顔が垣間見える。 伊東四朗さん、タモリさんらとの親密な交際もユーモラスに描いた。 「あんたはエライ!」「上手だね、ジョーズだね」「もうイヤ…こんな生活」など、小松さんのギャグが生まれた打ち明け話も、面白おかしく披露。 偶然耳にした言葉を、敏感に捉えて笑いに変えるコメディアンのセンスが光る。 福岡市瓦町(現・同市博多区上川端町)で育ち、博多二中(現・博多中)に通った当時の笑い話、心温まる旧友たちとの交友、博多祇園山笠への熱い思いも情感を込めて記している。 今年で芸能生活57年を迎えた小松さん。 初のエッセー集に「芸能界に導いてくれたとはオヤジさん。 出会った皆さんに感謝しながら、楽しんで書かせてもらいました。 博多の人たちに読んでほしかですね」と話している。 229ページ、税込み1650円。 (手嶋秀剛).

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テレ朝POST » 井ノ原快彦主演『特捜9』、第4話で伊東四朗&小松政夫の夢の共演が実現!

あんたはエライ 小松

1964年に植木等の付き人兼運転手として採用され、「シャボン玉ホリデー」(日本テレビ系)でデビュー。 芸能生活は55年を超えた。 「1月に喜寿を迎え、生前葬をやるような年齢になったんだな」と感慨深い。 「生前葬といえば、石原裕次郎さんを発掘したことで有名な水の江滝子さんが開いたのを覚えています。 葬儀でお仲間が次々と弔辞を読み上げて楽しそうでしたが、当時は斬新すぎましたね~」 今回は、ロビーに白黒の鯨幕を引き、小松の写真展、著書やCD、DVDの販売など小松政夫一色に染めて、しのぶ。 100近いはやり言葉とギャグで人気を博し、70年代後半はテレビにひっぱりだこだった。 「真面目に演技した合間にブッ飛ぶバカバカしい笑いを演じる。 それが1週間休みなく続くんですからね」 そんな中、切り替えに苦労して生まれたのが『しらけ鳥音頭』と『電線音頭』。 「40年以上前ですが、今でも拍手がきます」。 今春、西日本各地で1カ月半の長期公演に参加。 1回の公演が約4時間とあって、疲れ果てて若いマッサージ師さんを呼ぶと「ワタシの仕事を知らない人で『右足が異常にこっているんですけれど、いつもケンケン(片足跳び)していませんか』って言われましてね。 『電線音頭』でオットットット~ってやるでしょ。 長く続けると筋肉の形も変わってしまうんでしょうか。 年寄りになったなぁと、ちょっとがっかりでしたが」 今公演の『うつつ』では、夢と現実との境がはっきりしない往年の名コメディアン、小松政夫役を演じる。 共演は妻役の奈良富士子のほか、しゅはまはるみ、岡元あつこ、棚橋幸代、帯金ゆかりら。 万難を排して自分の引き出しをぶちまけます。 (高山和久) PR.

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