あいつ こいつ そいつ ど いつ。 こいついつも◯◯してんなとは

あいつ

あいつ こいつ そいつ ど いつ

嫌なこと言われてた相手のことを考えてしまい精神的に疲労していた。 しかし、この本を読んでそんな捉え方があったのかと目から鱗だった。 自分が相手のことを考え悶々としているほど、相手は親身になって発言している訳ではない。 むしろそんなこと忘れて悠々自適にパフェでも食べているよ。 そう捉えた途端に心がスッと軽くなった。 また、「相手のことを考えている時間=頭の中で相手が家賃を払わず住んでいる時間」という捉え方も秀逸だった。 そう捉えることで、悶々としてたこと自体が無益なものに思えてバカバカしくなった。 悩む事自体は大切で成長を促す反面、度が過ぎると心身共に疲弊してしまう。 その線引は学校で教えてもらうこともなく、また、誰かに教えてもらうことがないのが問題なんだと感じた。 この本を教訓に、心の持ち方、相手の発言の捉え方の参考例として生かして行きたいと思う。 今の日本は「やったもの勝ち」、「正直者が馬鹿を見る」、「真面目だけが取り柄=無能」とか、理不尽というか非情な尺度がまかり通る世の中になってしまいました。 人生ドロップアウトで五里霧中をさまよい続けている私級の放浪人にはオススメ。 いい年になって転職とかも渡り先が皆無で人生積み確定とか、そういう同胞にも捧げたい一冊。 いったい私はいかなる有象無象と戦っているのか…情け無用はこっちも同じじゃないか仕事変えたる、と人生仕切り直しに踏ん切りが付けられそうな読後感が得られそう。 私はダメ人間で人生バッドエンドが座右の銘だと自称できそうな瀬戸際を生きていると感じている人も必読かな。 傷のなめ合いとか生やさしい甘やかしが徒然と書かれているわけでは無く、人生の分岐を強制的に発動させるための第一歩を後押ししてくれるような勇気をもらえそうな本かも。 「おれ、頑張りどころ間違ってたよ」と、筆者へ答えたくなる…かも。 40代に差し掛かって「俺、生まれてから今までの時間と同等か、それより短くしか生きられないような年になったのかもな。 …ここで職替えとか自殺行為に近いけど、既に積み掛けた現状を打開するための賭に勝って幸せになりたい、というか、なるぞ~」って、私はひとりで生きる力がわいたというか、決断を下して動き始められた、次第です。 現状のまま最後まで中の下なら、まだ足掻ける余地があるうちに試すが勝ち、と思えました。 勝機が薄くてもね。 せめてすべての手段を打ち尽くしてからでも、現状に甘んじるのはいいと思えます。 特に「今が苦しくてどうにもならん壊れそう死にます」って人も、予備人生の電源を充填できると思います。 人生、足掻くが勝ちだと思いますので、精一杯、現状打開にパワーを解放しましょう。 …て、気にさせてくれた。 ありがとう。

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こいついつも◯◯してんなとは

あいつ こいつ そいつ ど いつ

嫌なこと言われてた相手のことを考えてしまい精神的に疲労していた。 しかし、この本を読んでそんな捉え方があったのかと目から鱗だった。 自分が相手のことを考え悶々としているほど、相手は親身になって発言している訳ではない。 むしろそんなこと忘れて悠々自適にパフェでも食べているよ。 そう捉えた途端に心がスッと軽くなった。 また、「相手のことを考えている時間=頭の中で相手が家賃を払わず住んでいる時間」という捉え方も秀逸だった。 そう捉えることで、悶々としてたこと自体が無益なものに思えてバカバカしくなった。 悩む事自体は大切で成長を促す反面、度が過ぎると心身共に疲弊してしまう。 その線引は学校で教えてもらうこともなく、また、誰かに教えてもらうことがないのが問題なんだと感じた。 この本を教訓に、心の持ち方、相手の発言の捉え方の参考例として生かして行きたいと思う。 今の日本は「やったもの勝ち」、「正直者が馬鹿を見る」、「真面目だけが取り柄=無能」とか、理不尽というか非情な尺度がまかり通る世の中になってしまいました。 人生ドロップアウトで五里霧中をさまよい続けている私級の放浪人にはオススメ。 いい年になって転職とかも渡り先が皆無で人生積み確定とか、そういう同胞にも捧げたい一冊。 いったい私はいかなる有象無象と戦っているのか…情け無用はこっちも同じじゃないか仕事変えたる、と人生仕切り直しに踏ん切りが付けられそうな読後感が得られそう。 私はダメ人間で人生バッドエンドが座右の銘だと自称できそうな瀬戸際を生きていると感じている人も必読かな。 傷のなめ合いとか生やさしい甘やかしが徒然と書かれているわけでは無く、人生の分岐を強制的に発動させるための第一歩を後押ししてくれるような勇気をもらえそうな本かも。 「おれ、頑張りどころ間違ってたよ」と、筆者へ答えたくなる…かも。 40代に差し掛かって「俺、生まれてから今までの時間と同等か、それより短くしか生きられないような年になったのかもな。 …ここで職替えとか自殺行為に近いけど、既に積み掛けた現状を打開するための賭に勝って幸せになりたい、というか、なるぞ~」って、私はひとりで生きる力がわいたというか、決断を下して動き始められた、次第です。 現状のまま最後まで中の下なら、まだ足掻ける余地があるうちに試すが勝ち、と思えました。 勝機が薄くてもね。 せめてすべての手段を打ち尽くしてからでも、現状に甘んじるのはいいと思えます。 特に「今が苦しくてどうにもならん壊れそう死にます」って人も、予備人生の電源を充填できると思います。 人生、足掻くが勝ちだと思いますので、精一杯、現状打開にパワーを解放しましょう。 …て、気にさせてくれた。 ありがとう。

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「あいつがそいつだ」ユン・ヒョンミン、ファン・ジョンウムを絶賛“すごい女優だと思う”

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A ベストアンサー 【自分の動作の向かう先を立てる】という目的で、自分の動作に「お(ご)」を付ける敬語は、謙譲語1と呼ばれます。 bunka. pdf 一般的な形として以下のようなものがあります。 ・お ご ……する(後掲【 参照 ) 補足イ】。 ・お ご ……申し上げる(後掲【 参照 ) 補足イ】。 (同上26ページ) 「先程、待合室の前で、先生を、お見かけしましたよ。 「では、お昼頃に、お伺いします。 「行く」という自分の行為の向かう先が敬意を示すべき相手の家や会社なので、「行きます」ではなく「お伺いします」と表現する。 また、「伺います」は「行く・来る」の特定形なので、「お」を付けずこれだけでも謙譲語1として使えます。 因みに「お昼頃」は美化語と呼ばれる敬語です。 「お待たせしました。 ご注文のお品物を、お持ち致しました。 「ご注文」は「あなたのご注文」なので尊敬語ですね。 「持ってくる」という自分の動作の向かう先が、お客様が注文した品(つまり、お客様に所属するもの)なので、「お持ち致しました。 」と謙譲語1を使う。 謙譲語2については、18&28ページをご参照ください。 <敬語の指針>に一通り目を通せば、あなたも敬語の通になれるはずです。 それほど難しく書いてないので、一応目を通して、あと何か機会があるごとに参照するようにすると良いでしょう。 【自分の動作の向かう先を立てる】という目的で、自分の動作に「お(ご)」を付ける敬語は、謙譲語1と呼ばれます。 bunka. pdf 一般的な形として以下のようなものがあります。 ・お ご ……する(後掲【 参照 ) 補足イ】。 ・お ご ……申し上げる(後掲【 参照 ) 補足イ】。 (同上26ページ)... A ベストアンサー ヘルメットを「かける」とは言いません。 「する」または「つける」です。 また、「作業時」と「作業したため」は重複ですので好ましくない。 しかし、「ヘルメットをしていないで作業した」ということが原因で、「事故を起こす」ことはありません。 つまり不自然な表現になっている。 「事故になる」「事故が起きる」ことはありますが。 作業員がヘルメットをせずに作業したため、事故が起きた(事故になった)。 が自然な日本語です。 >話者が事故を起こした、と思われる可能性があるかな? : 構文的には可能ですが、常識的にあり得ないので「無い」ですね。 「作業員がヘルメットをかけずに作業しているのを見たため、(私が)事故を起こした。 」 という意味になってしまうので。 A ベストアンサー 専門用語としての「遊び」は、自由に動く余地・隙間(があること)。 反対の意味の熟語は聞きませんが、ふつうはたんに「遊びがない」と言いますね。 「タイトな」といえるかもしれません。 機械・器具などの「遊び」は、英語でも「play」と言うようです。 JIS B 6190-1 「工作機械試験方法通則-第1部:幾何精度試験」 3. 3 遊び(play) 構造ループ内の要素間の隙間に限定した変位分だけ発生する,剛性がゼロの状態。 JIS B 0102-1 「歯車用語-第1部:幾何形状に関する定義」 3. 8 半径方向の遊び(radial play) 作用及び非作用両歯面を接触させたときの中心距離の,所定の中心距離からの減少量。 A ベストアンサー 質問者さん、 #13、#14さんへの応答許可願います。 (#13) 1. >「弟に、窓を開けて花に水をやらせる」 「弟に窓を開けて花に水をやらせる」 これではたとえ「読点」があってもあいまいです。 「やらせる」で終わっているからでしょう。 「窓を開けて」の部分が十分に明瞭になっていません。 : なるほど、それはある一面では正しいですね。 「(私は)弟に窓を開けて花に水をやるように言いました」 という文はすんなり耳に入るのですが、 「(私は)弟に、窓を開けて花に水をやらせる」 のように表現するシチュエーションが極めて少ないためなのでしょう。 ただ、たとえば、 「(私は)弟に、窓を開けて花に水をやらせる。 これが私の日課です」 のような文脈であれば違和感は無いはずです。 つまり、こうしたシチュエーションを想定しさえすれば良いだけの話です。 2. >「弟に窓を開けて花に水をやるように言いました」 と、この場合は「読点」がなくても分かります。 使役を使わず「ように」でまとめていることと「言いました」とあることから、「弟に」がこれを言った相手であることが分かります。 そして、この中間部分が、言った内容だと分かります。 : 『「読点」がなくても』分かるのは、このように言うシチュエーションが容易に想像できるからです。 『使役を使わず「ように」でまとめていることと「言いました」とあることから』分かるわけじゃありません。 それを言うなら1の場合も、「やらせる」とあることから、「弟に」これをやらせた相手であることがわからないとおかしいでしょう。 中間部分がやった内容だと分かりづらいのは、単に、先述いたしましたように、このように表現するシチュエーションが稀だから、という理由にすぎないのです。 まさか、「ように」が無いから分からなくなるわけじゃないはず。 さらに言うなら、『この場合は「読点」がなくても分かります。 』とおっしゃっておられますが、それはあくまで、そういうシチュエーションのほうが想像しやすいからにすぎません。 「弟(のため)に窓を開けて、花に水をやるように言いました」 という意味にだって十分なりますよね。 ただ、こちらのように解釈できるシチュエーションが稀であるため、それに気づかないだけです。 『使役を使わず「ように」でまとめていることと「言いました」とあることから』というのは後付けの理由にすぎない、ということにお気づきになってください。 (#14) 3. >使役・受身はそれぞれの動詞に入れて、きちんと言えます。 : ですから、それが間違いだとはひとことも言ってないですよね? ただ、冗漫になる、と言っている。 あなたは日本語学習者に対して冗漫な日本語表現を推奨しているのですか? 4. >日本人のなかには、はしょって、最後だけにする人がいるかもしれませんが、それは文脈に頼った悪文です。 : まったく逆です。 シチュエーションに応じ、省略できるものは省略し、簡略化できるものは簡略に表現するのが文脈を活かした自然な文を形成するのです。 質問者さん、 #13、#14さんへの応答許可願います。 (#13) 1. >「弟に、窓を開けて花に水をやらせる」 「弟に窓を開けて花に水をやらせる」 これではたとえ「読点」があってもあいまいです。 「やらせる」で終わっているからでしょう。 「窓を開けて」の部分が十分に明瞭になっていません。 : なるほど、それはある一面では正しいですね。 「(私は)弟に窓を開けて花に水をやるように言いました」 という文はすんなり耳に入るのですが、 「(私は)弟に、窓を開けて花に水をやらせる」 のよ... A ベストアンサー まず、初めの質問の、 国文法の助動詞「です」は、日本語文法では名詞文の場合は接辞(コピュラ) とされています。 で、「接辞(コピュラ)」は、「繋辞(コピュラ)」の間違いだったということですね。 その後の、 イ形容詞(国文法の形容詞)の丁寧体(敬体)に付ける「です」は接辞でしょうか、 語尾でしょうか。 のところも、「繋辞でしょうか」となるはずだったのですね。 わかりました。 それなら、話はいくらかわかりやすくなります。 次に、「質問者からの補足コメント」の中で、 丁寧体を表現するだけなので、接辞ではなく語尾だと思うのですが、日本語文法 では何に位置付けられているのかを知りたいのです。 というところで、「丁寧体を表現するだけなので、接辞ではなく語尾だと思う」とありますが、ここも「繋辞ではなく」なのでしょうか。 大事な用語が違っていては、何が何だかわからなくなります。 とありますね。 「語尾(sufix」ということは、「語尾=接辞 suffix 」ですね。 これではっきりしました。 しかし、この「です」はどう見ても、二つの名詞を「繋いで」はいないので、「繋辞」ではありえないでしょう。 井口厚夫の説明がわかりやすくていいですね。 コピュラでなく、活用語尾とも言えない。 形容詞普通体の、独立できる形にくっついているだけですから。 しいて分類するなら「接辞」でしょうか。 それにしても、 いろいろな考え方のご紹介は結構ですので、「赤いです。 」の「です」を助動詞 という用語を使わずに外国人にどう教えるのかについてだけご存知の方のご説明 をお願いします。 という最後のコメントは強烈ですね。 「どう教えるか」という観点から言えば、この「です」の品詞論・形態論的位置づけをごちゃごちゃ考える必要はない、でいいんじゃないですか。 そんなことを学生に言う必要もないし、教師も悩む必要はない。 「形容詞の後について「丁寧」の意味を加える」、と言えば終わりです。 日本語学としてこの辺の形態論を教えるなら、何か適当なことを言わなければなりませんが、「日本語文法」での定説・通説などないし、例外的な用法なので例外として扱うのがいいでしょう。 そう言えば、初めの「日本語(教育)文法」とは何を指しているのか、という問いへのお答えはないのですね。 まあ、いいですけど。 saburoo まず、初めの質問の、 国文法の助動詞「です」は、日本語文法では名詞文の場合は接辞(コピュラ) とされています。 で、「接辞(コピュラ)」は、「繋辞(コピュラ)」の間違いだったということですね。 その後の、 イ形容詞(国文法の形容詞)の丁寧体(敬体)に付ける「です」は接辞でしょうか、 語尾でしょうか。 のところも、「繋辞でしょうか」となるはずだったのですね。 わかりました。 それなら、話はいくらかわかりやすくなります。 次に、「質問者からの補足コメント」の中で、...

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